船橋町(市)の場合の朝鮮人虐殺について②
前記事の続きになります。そして、最初に訂正させていただきますが「船橋海軍無線電信所」の関東大震災当時の所長を田中少尉と記しましたが、これはウイキペディアによるもので、当時の所長は大森良三大尉で、デマを送信したことで免職となったというのが、真意のようです。
さて、船橋町の場合は前記事でも書きましたが、主に殺害されたのは「東武野田線(北総鉄道)の敷設工事に従事されていた朝鮮人の労働者の人たちで、当時の船橋無線所の大森大尉が住民(自警団)に武器を渡して無線所を警戒させていたこと が虐殺の引き金になっていたと考えられ、敷設中の電車道をしばられて、目をおおう大虐殺事件であった。残された記録によれば38名、目撃者の証言によると、また50数名人ともいわれていて、極めて異常な大量虐殺事件であったことに変わりはないとされています。
さらに、逃げた朝鮮人を下飯山満まで追いかけて行き日本刀で斬首したなどの記録もあります。
ところで、上記の「船橋海軍無線電信所」ですが、無線塔は戦後になってGHQの指示で撤去されましたが、主塔があった場所に記念碑が建てられていますが、碑文(説明文)には一切、朝鮮人虐殺については触れていません。
そのことで、私は船橋市の教育委員会に説明を求めましたが、下記の内容となって、まるで、責任はないというような返事でした。
これでは、まるで戦争賛美か、朝鮮人虐殺はなかったというような印象操作か、歴史修正にも思えるのですが。
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関東大震災の際、 “朝鮮人の暴動”といった流言飛語の拡大により、船橋市周辺でも多くの方が犠牲になったことは歴史的事実であり、大変痛ましく、船橋の歴史の中で決して忘れてはいけないことであると考えておりますが、行田公園は県立公園であることから、市では記念碑設置の詳細な経緯を把握していない状況でございます。
船橋市教育委員会 生涯学習部 文化課
船橋市 市長公室 広報課
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この事にについて。二人の船橋市議会議員の方に質問させていただき見解を求めているのですが、今のところ返事はいただいていません。
返事をいただいたら、もういちど記事にさせていただきます。
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