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元抜毛症全頭ハゲが地毛をブリーチできるようになるまで。

初めまして。
私は小学生4年生の頃に中学受験や学校、友人関係のストレスにより抜毛症、チック症を患い不登校になり、髪の毛は全くといって良いほど無くなりました。
そこから現在大学2年生ほぼ全ての病気が完治し、全頭ブリーチをしてオシャレを楽しめるようになりました。
これまでの数年間で私が行った治療などを公開することにより少しでも多くの抜毛症に悩む人が救われる事を祈っています。

抜毛症はトリコチロマニアと呼ばれ、現在確約された治療法は無く、行動療法心理療法を中心に治療していかないと行けません。
「マニア」と言われるだけあって正式に病気と認められている傾向は無く、特効薬が無いため手探りで自分に合う薬を見つけて時間の経過を待つしかないのです。

私は小学生の頃に発症したのですが、昔から落ち着きがなく、暇さえあれ手遊びや絵を描いて授業中過ごしていました。その時にたまたま髪を抜く行為にハマってしまい抜け出せなくなったのが発症の原因です。

発達障害の子供に抜毛症になる確率が極めて高いという研究結果も出ている為、ADHD特有の多動の結果、暇つぶし=髪を抜くに繋がってしまったのかもしれないと今は思っています。

しばらく髪を抜く生活が続くと当然ハゲが出来てしまい、気づいた両親が心療内科に連れて行ってくれた所抜毛症と診断されました。
そこからは投薬治療が始まったのですが全く効いているように感じず1度癖になってしまった抜毛は高校生まで治りませんでした。

抜毛した箇所は当然禿げてしまっている為医療用ウイッグを被って普段は生活していたのですが、これがあまり良くなかったのか、「どうせ隠れるからいいや」とウイッグの下の毛を抜きまくってしまい余計に悪化する日々が続いてしまいました。

高校に上がると私はほとんど学校に行けておらず、通信制の学校に編入し、規則に縛られない事から症状が落ち着いてきました。
その頃のウイッグは地毛の上に禿げている部分にだけ被せる形の部分用ウイッグを使っていた為、だいぶ精神的にも楽でした。

ただ、同年代の子がオシャレを楽しむ中自分だけが出来ない苦しみや悲しみがどうしても大きく、それを見兼ねた母が美容院に連れて行って地毛の部分のブリーチを提案してくれました。地毛のブリーチをした事により抜いた髪の毛の色がちがうと罪悪感を覚えかなり抜毛が減り、ウイッグを付けなくて良くなった頃に全頭ブリーチをしてもらいました。

初めての全頭ブリーチ。ここまで生えるまで6年ほど

かなり上の方の毛はまばらですが、地毛で過ごせることの喜びや美意識が芽生え、今まで忘れていた抜いたら無くなるという気持ちや隠せるからいいやという思いも無くなって改善への1歩を踏み出せたきっかけでした。

ここから自分の中で変わったのが美意識です。
今までウイッグで生活していた時は、どれだけ手入れしても帰ってきた頃にはボサボサになってしまう為どうする気も起きずメイクや服装にも気を使うことが無かったのですが、地毛で外出できるようになってからメイクをしたり服を選んだりする喜びや楽しさを感じることが増えました。
そうする事で髪が無くなることへの恐怖や抜きたいと言う気持ちが無くなり、
「どうせ無いなら1本くらい抜いても同じ」
という所から
「今ある毛を守っていこう」
という所まで持っていくことが出来ました。

薬は私と同じものを使っても合わないかもしれないし、手に絆創膏を貼っても手袋をはめても我慢は出来ませんでした。
「我慢する」という気持ちを「守りたい」という所に持っていくまでが大変だと思います。
私は0か100か主義なのでもう駄目だと思ったら諦めてしまい、どうせ禿げてるから。治っても伸びるまで何年かかるの?と気持ちが治療に追いついていませんでした。
無いものは無いからどうせ無駄と思わず1度美容院で手入れするのもありかも知れません。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
また詳しく色々お話したいと思います。

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