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セルフラブ

「セルフラブ」

という言葉がある。

もっと早く出会いたい言葉だったなあと最近つくづく感じる。

高校生の時、私は幸せになること/幸せであることがとても怖いことだとはっきりそう考えていた。

私は側から見るとなんの変哲もない家に生まれたわけだが、
とにかく周りの人間は毎日大変そうだった。

大人による口喧嘩・お酒で変わる人格・刻々と続く説教・病気・心の病

そういう日常の中で、家の中に平穏はなかった。
だからいつも、「私はちゃんとしてなくちゃ」
「私は健康でなんでもできるから迷惑かけちゃいけない」そう考えていた。

「あんたは鈍臭い」「人間力がない」「すぐうろたえる」
そういう言葉を真に受けて、自分はそういう人だと信じて疑わなかった。
鈍臭くて人間力がなくて情けない人間やけど常に努力してないといけない、
そう見せないといけない、そう思っていた。

自分を大切にする方法なんて何も知らなくて、
家庭環境や友人関係で悩むことのなくなった高校生の時に
その幸せな状態が怖くて、どうしたらいいのか分からず苦しかった。

自分は幸せにはなれない、周りが大変だったように私にも大変なことが訪れる。
ではなんで今こんなにも平穏な日々で優しさを浴びているのだろう。
そんなものは私に見合っていない。もっと苦しくないと。

今から考えると本当にアホらしいけど、本気でそんなことに悩んでいた。

今ははっきりと分かる。
自分の1番の敵は自分だった。
自分に最もストレスを与え、いじめ、ひどい言葉を浴びせ、幸せや自由を制限し、泣かせてきたのは他の誰でもなく、私が私を大事に思ってなかったから。
自分が自分に愛されるに足る存在だと思っていなかったから。

これまで全ての選択は自分の心から願うものではなく、
こうすれば「ちゃんとした人でいられる」という選択だった。
だから、これからは自分の心に従いやりたいことをやり、心を潤わし、
今までの自分に意地悪なもう1人の自分と決別をする。

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