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夢日記録♯000 夜と昼にみる夢を、これから。

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夜と昼に見る夢を、これから記載していこうと思う。
その導入として、今回は夢日記をつけることになったきっかけについて記しておく。

夢に映像が付いている人、付いていない人
「漫画とかで、夢にでてきた人と現実に会うみたいなシーンあるけど、夢ってそんなにはっきり見えなくない?」
「はっきり見えるときもあるよ」
えっ。

その友人によると、夢にも映像や声が付いているらしい。たまにモノクロだけど、とはいうものの。
これは、自分にはないものだった。夢は”誰が何をした”といった事象を追うものであって、漠然とした距離感や体性感覚はあるものの、色だとか表情だとか声だとかは見えたことがなかった。
(たとえば、「学校に行く夢をみた」なら、身支度を整えて足を動かしたという感覚はあっても、青空や通学風景は見えないのであった。道である、という事実だけが意識されている。味気ない。)
話を続けてきいていると、その友人は小説を読んでも風景が脳裏に浮かぶそうで(すごい)、体性感覚と音として主に認識する自分とはどうやら違う受け取り方をしているようだった。そういえばアニメを見て「原作と声が一緒」なんて表現をしていたけれど、そういうことなのかもしれない。

ほかの友人たちと話しをしていても夢の記憶にはばらつきがあって、声だけはわかるという人、走ってる感覚がわかるという人、さらには昔はモノクロだったけど最近カラーになったなんて変化のある人がいた。
何それ楽しい、と思った。

「昨日夢のなかに君が出てきたよ。帰りに駅前の本屋に寄ったら、店員さんが猫のエプロンつけてて、君がめちゃくちゃはしゃいじゃって」なんて、まさに夢の通い路ってやつじゃないか。こっち側からも見れて欲しい。
「夢って、しばらくすると忘れちゃうから、覚えておくようにしておくと意外と残るもんだよ」
なんて言われたものだから、夢日記を残すことにした。


夢日記のために夢を覚えるようにしていたら、
夢に映像がつくようになった。
夢を思い返して日記をつける習慣。
ついでに、文章から映像を想像するこころみもはじめてみた。
要は自分にとっての「視覚」の優先度を上げるということだ。
そういうことを繰り返していたら、段々、夢が具体化、映像化するようになってきた。

“体性感覚”から”モノクロ映像”に。
“モノクロ映像”から”カラー映像”に。
人の声や顔もわかることが増えてきた。
“言葉の内容”だけでなく、”言い回し”がわかることも増えてきた。
なんなら、カメラワークや編集まで。
これは残しておくと、のちのち、ネタ帳として使えるかも。
なんて邪な動機も持ちながら、ゆるやかに夢日記の習慣は続いていった。


夢日記に厚みが増した。
しめて、6万字。
とくになにかの物語に発展することもなく、厚みだけが淡々と増していった。
ついでにいうと、夢の具体性が高すぎて現実と混同したり、昼間にあらぬ風景が見えたりすることもあった。
(夢のなかで受けたメールに現実で返信をして、話が通じない!となったことがあった。だってめちゃくちゃリアルだったんだ。)
なんかもう、ン年分あるし。
供養しちゃいたい。
そういうわけで、夢日記の記録を放出することにする。
次回から、不定期的に。

*
自分のネタ帳にはなかなかならなかったけど、ここから物語にしたいという方がいたら一報ください。
なんてね。
*

夢の主人公って一体どっから来てるんだろう。

191227_夢日記_000

ところで夢に映像がついたことで、主人公像がはっきりしてきたのだけれど、彼らはどういう基準で選出されているんだろうか。男も女もキャラクターのこともある。中の人とは異なることもたびたびあり、通説にあるように記憶の整理だとしたらどう考えても「なかったことを思い出している」状態なんだけどなあ、なんて、自分の記憶力を心配したりもする。
まあ記憶は怪しいんだけど。

*
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