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雑談*己の手綱をとれるか

作中の表現はフィクションであり、この世のすべてと関係ありません。

*b.w.

Wが書斎と呼ぶ部屋には、壁一面の本棚と、書き物机、それから対面用のテーブルと椅子が置かれていた。椅子にはWとBの二人が腰かけて、めいめいに紅茶や茶菓子を楽しんでいる。

「W先生、質問です」
「なんでしょう、Bくん」

「先生は、僕のことを殺せると思う?」

Wは腕組みをして、ふうむと思いを巡らせた。Bは椅子に座り、カップアイスと格闘しながら足をプラプラとさせている。クーラーの効いた部屋で食べるアイスはサイコーだとか、云々。とまれ、B自身になにか落ち込んでいる様子はみえない。そういったものを隠す間柄でもあるまい。つまりいつもの雑談のようだった。ならば気軽に応えよう、と考えるままに言葉を滑り出させる。

「そうですね、例えば貴方がこの世界で死んだように見せることは可能です。死亡届を出して、学校や貴方の親交のある方へ連絡をして、まあしかるべきところで処理をしてそのような振る舞いをして見せれば、いいとこ一ヶ月くらいで社会的な死、貴方が死亡したという認識を作り出せるでしょうね。そして、私にできることはその程度です」
「というと?」
「私が、何らかの武器だの毒物だの策略だのを使って貴方の殺害を試みたとして。貴方の死ぬ条件を満たしはしないでしょう?」
「それはそう」

Bはあっさりと頷いて、はたとその動きを止めた。次いで、首を傾げるように輪郭を揺らす。

「僕、先生に言ったことあったっけ?」
「あれ、違いましたか?」
「違わないけど…」
「私が知っているということは、そういうことなんでしょう」

Wがほほえみかけると、Bは釈然としない顔をする。

「まあ、これも現状ではそうっていうだけですけれどね。今後貴方が心変わりをして、条件の中に私を入れるようなことがあれば、話は変わりますよ」
「なるほどねぇ。それじゃあ、逆はどう?僕が、先生を殺すことはできると思う?」
「それも、貴方がそれを許さないでしょう。貴方はとても人間のことを好きですから」
「そっかあ。僕が絡むと、僕に主導権を持ってしまうんだね。だったら僕とOの組み合わせでも結果は変わらないか」
「そうですね。O君自身でいえば、目の届かないうちに倒れていることも考えられますが」
「違いない」
「あれはいささか…死にやすい方のヒトのようです」
「あの顔色、悪くなることはあってもよくなることはないからねえ。誰も彼もが生きたり死んだり忙しそうに思えるよ」
「人間はわりと生きたり死んだりする生き物ですからね」
「それでいうとW先生もそうだと思うけど」
「ふふ」

Wはカップに紅茶を注ぐ。益体もない話をするのは楽しいひとときだ。言葉がそのままの意味と重さで通じない、とお互いに分かり合っている相手との会話は取り繕わなくて構わない。Bはアイスを食べ終わってリラックスしているのか、行儀悪くテーブルに顔を乗せてゆらりと本の背表紙を眺めている。

「先生はさ、どんなヒトが死にやすいって思う?」
「いろいろありますが…O君みたいな人でいえば、己の手綱をとれない人ですね」

「お、即答」
「貴方のような方が強いのは…貴方特有の要因もありますが、主導権を自分で握れるという意識が強い。自分の生き死に、他人の生き死にでさえ明確に線引きをしている。それをシステマチックに処理しているうちは、一時の感情ではそう簡単に線を越えることはないでしょう」
「その、"システマチックに処理をする"、ということが"手綱を取る"っていうこと?」
「そこより前の、"自分の主導権で線引きをする"というところですかね」
「ふうむ。でも生き死にみたいなことって、そもそも法律で縛られてるじゃない?それを越えたらいけない、っていう。そしておおよその常識的な、集団に属する価値観みたいなのも共通しているものじゃないのかい」
「法律が内心を縛るのは、実は困難なことなのですよ。そして人々は、価値観を共有していません。すべて個々人の認識する世界でのみ、通じる範囲が存在する、という程度のものです」
「価値観を共有していない?」
「ええ。価値観というのは人生を歩むなかで、生まれ育つ場所から家庭環境、出会った相手、それによって得られた体験…言葉のひとつひとつとの触れ合いや感情の推移…そういったものによって、学習体験が強化されて出来るものです。学習されなかった体験は、価値観として獲得しにくい。まあ確かに、ある一定の条件で集った集団には、共有面積の大きな価値観というのも存在しますが」
「そういうの何ていうんだっけ。群衆心理?」
「うーん、違いますし、群集心理も不安定なものですよ」
「難しいなあ」
「要は誰もが別のルールで動いているってことです。だから、他人のルールやその場の主導権によって自身の状態を制御できないと、自分の価値観から逸脱した行動をとらざるを得なくなり、それは疲弊や…誤った学習効果を招きます」

「自分の一線から踏み出してもよいのではないか、という」

「ああ、場の主導権で自分の行動をどうにもできないっていうのはOがよく言うやつだ。アンケンに振り回されるーって」
「学習効果…慣れともいいますね。自分が求めていなかったものを求めていたかのように錯覚したり、望んでいないはずの状態が正常であると感じたり。その感覚は時として必要なものですが、本来の自分の枠組みから乖離してしまうと大きな反動を招きます。そしてそこに感情が乗ると、線を越えてしまう。その手綱を自分で持っていないわけですからね」
「ああ、なんかちょっとわかったかも。学校行ってると、たまになんでこんなことしてだろうって思うことがある。自分の枠組みと乖離したルールで行動しているってそういうことかな」
「それはかなり近い感覚でしょうね」
「なるほど」
「まあ貴方が目の届くところで死なせはしないでしょうから、そこはO君にとってはセーフティになっているかもしれませんね」

Wはにこにこと微笑みかける。Bはやや苦笑する。

「僕にそういう期待をするかい」
「どう受け取って頂いても構いませんよ」

おうぼうだー、あいつが死にやすいことと僕が気にかけるのは別問題だ、べつに管理しろというわけじゃありませんよ、貴方たちなら自然とそうなると感じているだけで、いやそれを思っているだけならともかく僕にいうのは意図があるでしょう、など、云々。

お茶の楽しみはまだまだ続くようだ。

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