見出し画像

雑談*死ぬほどのこともない

作中の表現はフィクションであり、この世のすべてと関係ありません。

*b.o.

香が炊かれているのか、部屋にはシトラスの香りと、うっすらとした煙が漂っていた。BとOの対話。Bはこう切り出した。
「O、君はどうして生きているんだい?人生で達成したい目標とかあったりするのかな」
ともすれば唐突にも思える話題だったが、Oは反発もせずに思考を巡らせた。概念や定義について語り合うことは、彼らにとって日常的な行為であるからだ。
「目標は特にないな。なんで生きてるかって、強いて言うなら、"死ぬほどのこともないから"って所だ。能動的に死のうとするにはリスクが大きすぎる。まあ生きていくうちに、その目標とやらが出てくることもあるかもしれねえが…今のところ、結婚や子供とかって予定もないからなあ。そういうBは、どーして生きているんだ?」
「僕も"死ぬ条件を満たしていない"から、ってかんじ。似たようなもんさ」
「死ぬ条件ね。そういえば前に死にかけたつってたか?」
「まぁね。そこで死に損なったから、こういう思考に行き着いたのかもしれない」

Oはなるほどな、と頷く。
「お前は殺しても死ななそうなツラしてるもんな」
「君はいつも死にそうな顔をしているよ」
Bは拗ねたようなそぶりでやり返した。

「ほっとけ。人はいずれ死ぬ、望むと望まざると関わらずな」
「そうだね。そして君も僕も、惰性で生きている。たとえば、君はきっかけがあったら死ねると思うかい?」
「そりゃそのうち死ぬさ。まあそれこそ、意志に関わらずなんじゃないのか?現代の行き届いた医療って奴は、死にそうな身体がありゃ生かそうとしてくるもんだし、それでも手の施しようがなければ死ぬさ」
「"環境に生かされている"ってこと?」
「その側面は否めないだろうよ。まあお前はその辺、自分の意志でどうこうしたい方だろうが」
「そうだね、僕にとっては、条件が揃うまでに死ぬわけにはいかないから、死なないように頑張っている最中さ」
「そいつはご苦労なこったな」
「ほんとにね。……しかし、そう聞くとあれだね。環境が許したなら、"君の本来の意志"としては死にたかった時期もあるのかい?」
「人並みにはな。ま、死にたいことなんて誰にでもあるだろう」
「例えばどんな時に?」
「そうだなー。修羅場越えてようやく納品って日に案件ひっくり返されて色々尽き果てた時とか、そういうのこなしてダッシュして駅に向かったのに終電逃した時とか、あとはまあ、人間関係がうまく行かない時とかな」
「振られた時は?」
「そらもう地獄よ、死んだ方がマシ」
「あはは」
「そーいうときはなあ……。帰り道の線路ぎわが魅力的に見えるもんだ」
「やめなよ、それこそコストが高くつくやつじゃん」
「わかってる。俺はやらねえよ」
「かしこい」

たたん、たたん。遠くで貨物列車が足音を立てている。

*

窓に木漏れ日が落ちていた。青々とした葉はレモンの木のものだ。実をつけないうちはただの樹木にしか見えないが、枝に付いた鋭いトゲが柑橘類の性分を主張していた。

「交通安全週間の標語とか、課題で出るじゃない?ネタ集めに、家から学校行くまでに何回死にそうになるか数えながら登校したことあるんだよね」
「危険な場所リストってことか?」
「もっと広く浅くってかんじ。歩道橋で転んだらやばいなとか、突き飛ばされたらとか、前の人の傘が目に刺さったらとか…あとは自分から危険に踏み出せちゃうところもカウントして」
「人為的なモン含めたらキリないだろ」
「キリなかった。50くらい数えてやめちゃった」
「うぇ、そんなにか」

「結局やろうと思ったらできちゃうもんだからなあ」

「ああ、それでさっきの"環境が許したなら"ってとこに行くのか」
「そうそう。君の場合はつら〜い現実から目を背けたい!みたいな気持ちからきているようだけど」
「うっせ」
「それでも死ぬほどではないって思ってたなら、それはすごい胆力だ」
「ふん。こう言うのも癪だが、こんなのはよくある話だろ」
「そこで踏み外すかどうかは、気持ちひとつだからね」
「……。それで言えば、"やろうと思ったらできる"ことが片道50個もある中で、よくお前は踏み外さないこったな」
「まだ条件が満たされていないからね。それは踏み外し方に左右されるものではないのさ」
「条件ねえ」
「聞く?」
「聞きたくはねえが、お前は話したいんだろ」
「うん。それはね、XXXXこと、XXXXXXこと、XXXXXXことさ。厳密にはもう一つあるけど、まあ、これが満たされれば付随してくるやつ」
「ああそりゃわかりやすい…そら、あれだな。殺されなきゃ死なないな」
「あはは。でしょう」
「しかし意図せず、条件が満たされることもあんじゃねえのか」
「いつかはね。その時には、なるようにするしかないのさ」
「割り切ってんなあ」
「死に損なってるからねえ」

*

風がカーテンを揺らす。窓の内側と外側の空気が攪拌されているのが視認された。

「そういや、この間"死にたいと思ったことがない"って奴がいたな」
「え?死にたいことなんて誰にでもあるんじゃないの?」
「そーでもないらしい。初めて聞いたわ」
「へえ……すごいなあ。想像ができない」
「俺も。びっくりしすぎて、何から訊いていいのか悩んだくらいだ」
「どんな人なの?元気ハツラツ青少年?」
「うーん、趣味はお前と近いと思うがな。あと理屈っぽい」
「それだけ聞いていると、余計に意外なかんじがする。論理を考える人って、世の中の不条理に対して色々考え込んでしまったり、その通りに行動できない自分を振り返ってしまいがちだという印象があるんだけど。生きづらくないのかなあ」
「ああ、それだけは少し訊いたよ。世の中に不条理や不都合が多すぎないか?生きづらくないか?って」
「そしたら?」
「"不都合は世の中のシステムが生み出したものなので、自分のせいじゃないから仕方ないし別にいいかな"ってことらしい」
「システムのせいだとしても、不条理の存在には絶望したり、不条理を行使する相手には思うものも出てきそうなもんだけど……」
「人を憎まずタイプってやつなのかもしれん。なんか深く突っ込むのも怖くて聞けなかったが」
「そこまで聞いたならもうちょっと先まで踏み込んで欲しかったなあ」
「いやあ、価値観が違うとわかってる奴との会話って難しいわ。考えを整理しながら訊かにゃならんし、なにがフラグになるかも分からんし」
「そういうものかなあ。僕なら質問攻めにしちゃうかも」
「その機会があれば是非そうしてくれ。結果を楽しみにしてるからよ」

いつの間にか、シトラスの香りは薄れて、窓の外へと吸い込まれてしまったようだ。
二人の会話は切り上げられた。

*
citrus/lemon
"陽気な考え"

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?