パイフラに思うこと

最近は、個人的にしんどい出来事や、楢崎正剛の引退ニュースなどが一遍に襲ってきたので、つらいつらいマウンテンである。とてもつらいのだが、それを逆手にとって物書きすることで、あわよくばポエジーを発揮できるのではないかと思い立った。要するにこれはポエムです。いつも以上に感情まかせでやっていきたい。


パイフラ

さて有難いことに、本note(六分間練習)では、「狂気」こそ、サポーター文化の本質である。がまあまあ読まれた。そのなかには、かざねさん(@heavy_stereo_)のツイートを交えた「パイフラ文化史」っぽい行がある。

このパイフラ、名古屋ゴール裏にいたっては、その多くが手づくりであるというから驚きだ。作りたい欲もでてくるが、私の場合、その意欲に体力や器用さなどが追いついていかないだろう。やっとの思いで布地をつなぎ合わせ、そこに創意工夫を凝らしたデザインを描く。一連の作業に対価が支払われることはない。むしろ、材料費等それなりになってしまう。

最近は行けていないが、とくに2017年シーズンはアウェイも含め、たくさんスタジアムに行った。ピッチ内外でつらいことが起ころうが、振り手たちが心血を注いだであろうパイフラ群を眺めれば、何ともいえない高揚した気分になる。懸命に声を出しつつも、陰でそれらをチラ見、またはガン見することで、かえって筆者自身が励まされていったのである。


つらいつらい案件

さて、パイフラに目がなくなり始めて久しい頃、めちゃくちゃ悲しい事件がおこった。端的にいうとそれは、サポの出入り禁止案件である。何がそんなにつらいのかというと、その被出禁者がパイフラの名手だったこと。名手とは、ツイッターなどを勝手に漁らさせていただいたうえで、勝手にそう呼ばさせていただいていた。プライバシーの問題などあると思うので詳しくは言えないが、まさか人生のうちに、赤の他人の出禁で滅茶苦茶つらくなるときが来るなんて、思いもよらなかった。



ちなみに、名古屋グランパスのゴール裏については、上記のページ内にあるような光景が好きである。たぶん、私がスタジアムに通い始める前の、2012~2014年あたりのものではないかと思う。すごく洗練されている感じがある。生でみられず勿体ない。


「パイフラは自己満足だ」という意見もあって然りである。しかしサポーターにとっては、そういう独善的な部分も必要なのだろう。自らをも奮い立たせようと努めれば、それが巡りめぐって、選手たちにもエネルギーを与える気がする。

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