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2020/04/22

ずっと書いては消してを繰り返している。

納得がいかない。

なにを書いても嘘を書いている気がする。

サン=テグジュペリは著書の中で以下のように述べている。

離別や、不在や、距離や、帰還の観念は、言葉こそ同じでもすでに同じ現実を含まなくなっている。今日の世界を把握するのに、ぼくらは昨日の世界のために作られた言葉を用いているわけだ。過去の生活が、よりよく人間の性情に適するように思われるというのも、理由は、ただ過去の生活が、よりよくぼくらの用語に当てはまるからにほかならない。
人間の土地 サン=テグジュペリ 堀口大學 訳

確かにな、なんて思う。

古語や方言の持つ響きに何とも言えない心地よさや力を感じることがある。
それは世界や自然と地続きで実感のこもった言葉だからなのかもしれない。

明治になると舶来の概念をなんとか日本語に拵えて、より近代化が進むと横文字を多用するようになった。

それは当時必要だったのだろうし、偉業だと思う。
未だに「社会」とか「芸術」とか「哲学」とかを分かったなんてことは言えないけれど。

そんな中で僕たちは分かったようなふりをしていて、中身のない空っぽの言葉は口から次々と滑りだしていく。
そうしてどんどん現実から離れて、世界とも人とも自分ともうまく話せなくなっていってしまう。

それでもやっぱり言葉が好きだし、形而上のことを言語を使って思考するというのも魅力的だし、とっても画期的だと思う。それに言葉で言い表すのが難しいから、ぴったりの言葉を見つけた時とてもうれしいし、人の文章の中でよい言葉や言い回しを見つけると、それに感動したりもする。

今生きている世界は言葉の入れ替わりも早くて、難しい言葉も横文字も多くて、便利な一面もあるのだけど、ときに疲れてしまう。
だからたまには和歌や詩などから、言葉の力や暖かさを感じることも大事なのかもしれない。
人や世界に接するときは言葉を一度捨ててみるのもいいかもしれない。そうしたら、何より確かで大事なものを受取れるかもしれない。

そうして受け取ったものを丁寧に選んだ言葉で相手に伝えていけたらいいな、と思います。


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