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ああ、何書こうかな。ハトの話でいいか。

なにか書かなくてはいけないのに、何も思いつかない。

かれこれ1時間ほど真白な画面を眺めただろうか。

しかし、なにも浮かんでこない。

自分とパソコンしかいないのに、あまりの静寂の長さに気まずい空気が流れ始めている。

初対面の人と会話して、初めのジャブでまったく共通項を発見できずに間があいてしまった時と同じくらい気まずい。

それでもその静寂に耐え切れず、苦し紛れに独り言のように言葉を発する。

「ああ、何書こうかな。ハトの話でいいか。」

まさかそれが今回のタイトルになろうとは思わなかった。


こんな感じは初めてではない。僕は昔から恐ろしいほどの遅筆だ。

小学生の頃の日記帳、おそらく120字ほどだろうか、それにすら余裕で2時間はかけていた。

1文字あたり1分掛かっている計算だ。おそらくカタツムリの散歩の方がまだ早い。しかも泣きながら、ペンをへし折るほどのストレスを抱えて書いていたのだ。

今の自分なら冷静にあの頃の僕を見れるかもしれない。

きっとあの頃の僕は「ちゃんとしたおもしろいものを書きたい」と思っていたんだと思う。

年間300冊近くは読んでいたのだから別に語彙がないわけでも、文章に触れていなかったわけでもなかった。加えて週刊少年ジャンプもどんな理由があろうと欠かさず読んでいた。ただ、普段読んでいる文章に比べて自分が書いているものがあまりにつまらないことに耐えられなかったんじゃないかと思う。

正直なんの変哲もないその日の出来事をただ書き綴って、特大の花丸がその上に記されることになんの意義も感じなかった。そんなものだったら書くだけ無駄だと思っていた。憎たらしいガキである。

どうせ書くのだったら、なにか面白いことや自分の持った感情などを読者、つまり先生に伝えたいと純粋に思っていたんだろう。だから週末などは日記のネタがないかと常に目を光らせていた。

ある日家の近くで出会った伝書鳩らしきハトが足を怪我をして休んでいたところ、それを看病する傍ら餌を取りに目を離したすきにいなくなっていた、通称「いなくなったハト事件」などは大スクープだった。手紙を出した人や、困難のなか手紙を届けるハトの心情を抒情的に描き、果たしてハトは受取人のもとへ無事たどり着いたかという想像力を掻き立てるエンディングで締めくくった傑作ノンフィクションを書き上げることのできた日曜日は忘れられない。あの日は良質のネタだったので奮発して日記帳2ページにあたる240文字を勢いで綴った。

その後、日本の一般的な教育システムに身をゆだねた私は数多の無意味だが書かねばならない文章たちと闘い、抵抗し、妥協していった。そんな文章たちとの和平が決定的になったのは中等教育学校における校長先生の演説に対する感想文の強制執筆という事変だ。これが引き金となって僕は無から有を生み出すという神の領域へ一歩足を踏み入れたのである。またこの話も機会があれば、というかネタが思いつかなかったら書きたい。

しかし、序盤を思い出していただければわかるように、未だに小学生から変わらず遅筆だ。

しかし毎週ひとつ記事を書くという十字架を自ら背負ってしまった以上はやりとげるしかあるまい。どうせ書くならちょっとでも面白いと思ってもらえるような文章を心がけて書いていきたい所存です。そこもあまり変わってないか。

では、また来週。


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