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ルーツしまねインタビュー#2上田航平さん Part.1

 「ルーツしまね」とは、島根にゆかりのある大学生、若手社会人が島根と繋がり続けるために、一人ひとりにとっての最適で多様な関わりを提供する、学生を中心にしたコミュニティです。このnoteでは、島根に関わりを持つ大学生や若手社会人に向けて様々な切り口からインタビューをしていきます。


<自己紹介>
名前:上田航平
出身地:島根県雲南市
所属:神戸大学大学院農学研究科

<自己紹介>
 ルーツしまねインタビュー2人目は、上田航平さんです。島根県雲南市で生まれ育ち、高校生の時にまちづくりに関心を持った上田さん。地元を見つめ直すために、大学進学は島根大学を選び、雲南市を拠点としてこれまで活発な活動をされてきました。活動を通じてたくさんの人と出会い、自分の故郷に対する想いが深まる上田さんの視点から、地域をどのように捉え、島根や地元とどのような想いで向き合い続けてきたのか、じっくりお話を聞いてみました。

「故郷、雲南市から、地に足の着いた活動を通して地元を見つめ直す」

 幼い頃から、行政職員であるお父さんが地域の人から感謝をされている姿をたくさん身近で見てきました。その時から、お父さんの仕事に憧れを感じ、将来は父のような、地域に貢献できる仕事に就きたいとずっと考えていました。高校の時までは、学校の先生になることが夢でした。しかし、地域への貢献には必ずしも学校の先生だけではないこと、そして学校の先生は雲南市だけに関わり続けられるわけではないことに気づきました。そのきっかけが、高校2年生の秋に、「自分をつくる楽校(がっこう)」というイベントに参加をしたことでした。その当時は、地域活性に繋がる活動や生まれ育った雲南市に対して盛り上げていきたいという関心は特になく、ずっと先生になりたいという夢を追いかけていたため、関西の大学に行って教員免許を取得しようと考えていました。
 このイベントを通して関東や関西から来ていたおもしろい大人にたくさん出会いました。「将来何したいの?」「どういう人生にしていきたいの?」といった自分のキャリアについて一生懸命向き合ってくれた大人がたくさんいて、先生になりたいという自分の夢を肯定してもらったことがとても嬉しかったことを覚えています。
 また、向き合ってくれた大人の方から「地元から出たいって言っているけど雲南市もとてもいいところだよ」、「雲南市は人口減少しているけれど、まちづくりにはとても熱心に取り組まれていると思う」ということを真剣に伝えてくれました。お父さんの仕事に対する憧れに加え、地元の取り組みについて知れたことで、より一層自分の地元を見つめ直し始めました。地元に住んでいる自分より東京の人の方が雲南市のことについてよく知っていて、自分も地元について深く調べたいと思うようになりました。自分の故郷である雲南市について知れば知るほど、自分が地元に向けてやりたいことが少しずつ生まれ始めました。このタイミングで進路変更をしたいと考えるようになりました。もともと教員になるために関西の大学を目指していたけれど、島根大学に行くことに決めました。県外という遠い場所で学ぶというより、自分の地元に近い場所で地域について知り、学び、活動したいという想いが生まれました。そこから、もっと雲南市に直接関われる仕事がしたいと考えて、行政職につくことを見据えて、島根大学法文学部に進学を決めました。

Q上田さんは、島根大学に入ってどんな大学生活を送っていましたか?

 大学生活が始まり、1年目は正直無駄にしてしまいました。大学に入ってから、自分の夢に向けて地域に貢献できる活動を積極的に行っていくはずでした。しかし、大学生活にもしばらくは慣れることなく、大学は単位を取る場所だと完全に思いこんで、休日は、友達と遊べることだけを楽しみに過ごしていました。そのため、地域活動は全く動けなかったというより、動かなかったという方が正しいです。
 大学2年生にきることを教えてくれました。その友人は、島根大学に推薦入試で入ってから何か活動をしたいという思いはありながらも、なかなか活動をすることができず、それでも活動をしたいという思いを知ってくれていたからこそ、大学内で行われた雲南市の活動であるUCC(雲南コミュニティキャンパス)の説明会に誘ってくれて一緒に参加をしました。
 UCCのプログラムを見つけ参加したことが、自分が大学入学前から抱いていたことの原点に立ち返れた大きなきっかけとなりました。

Q雲南市の活動は何をしていたのですか?

 大学2年時にUCCに参加をし、同世代の友人と出会い一緒に活動をすることになりました。また、雲南市で活躍をされていた鈴木隆太さんと雲南市出身の森山裕介さんに出会いました。島根県内や雲南市で活躍されているかっこいい大人2人に出会い、森山さんの紹介で雲南市に関わる様々な活動に参加するようになりました。
 雲南市で初めて取り組んだプロジェクトは、雲南市の祭りのコンテンツを盛り上げる企画でした。UCCの中にはプロジェクトがいくつかあり、「桜まつりのスパイスプロジェクト」、「子どもたちの手形で桜の花を咲かせようプロジェクト」、「スタンプラリープロジェクト」がありました。
 僕の参加したプロジェクトは、「桜まつりのスパイスプロジェクト」で、雲南市のスパイスの認知を広めようというプロジェクトでした。スパイス横丁というブースがあり、そのプロモーションを通して、どのように人を集めるのかを考え、商品開発も行うプロジェクトでした。他のみんなは別のプロジェクトでしたが、同世代の仲間としてこれからも繋がれたらいいよねという会話をして桜まつりプロジェクトを終え一旦解散しました。

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Q大学2年時にUCCの活動に参加をしてから、大学生活においてもともと地域に貢献できる活動を行いたいと初めに言っておられましたが、何か変化は起こりましたか?

 UCCの合宿のときに、島根大学でお世話になった高田先生と出会いました。高田先生と大学の友人が一緒に、大学生の拠点をつくるプロジェクトを始める話を聞き、僕も一緒に取り組むことになりました。実は雲南市には元々大学のサテライトキャンパスがあり,しばらく何にも使われていなかったため立て直していこうという方針になっていきました。しかし、場所をつくったことはいいけれど、誰も使わなければ前と何も変わらないということで学生が使える場所にしていくことを決め、大学時代の仲間と共に立ち上げた「学生団体Mican」の活動へと繋がっていきます。

 僕が学生団体Micanを立ち上げようと思った経緯は二つあります。
 1つ目が、これから出会うおもしろい大人や同世代の仲間と一緒に活動できる母体が欲しいと考えたことです。UCCとサテライトキャンパスプロジェクト以外に、雲南市の取り組みである認定NPO法人カタリバの活動を通じて、たくさんの人との繋がりができました。この繋がりを活かして、立てた旗に人が集まれるような団体にしたいと考えていました。
 2つ目は、学生の学びに合わせたチームづくりとして大学生が活用していける活動へと繋げていくためです。例えば、空き家のリノベーションをする際に、まったく素人の僕たちだけでやるよりも、建築に興味がある学生を巻き込むくらいの多様性をもたせたほうが良いかもしれないと考えていました。

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Q学生団体Micanで行っていたプロジェクトは何ですか?

 学生団体Micanでは、「リノベーションプロジェクト」、「田んぼ米作りプロジェクト」、「中高生の居場所づくりプロジェクトinフィールドステーション」の3つの活動を同時並行して行っていました。団体の立ち上げ人として全プロジェクトのマネジメントを行いながら、中高生の居場所づくりプロジェクトのリーダーもしていました。

Q学生団体Micanの活動のスタート時の話を聞かせてください。

 学生団体Micanは4人で結成し、一緒に活動する仲間を集めるためにフィールドステーションのみんなの拠点リノベーションプロジェクトをつくりました。プロジェクトメンバー集めという名目で説明会を開き、地域活動に興味がある人で、参加したい人を募ったところ想像以上に30名くらい集まり「学生団体Mican」が始まりました。そこからリノベーションプロジェクトが本格的に始まりました。リノベーションプロジェクトを進めてながら、学生の「お米を作りたい、教育系のこと活動をしたい」などの個人の興味分野から3つのプロジェクト活動が立ち上がり、同時並行で進めることになりました。

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Q団体をまとめて行く立場としてどうでしたか?

 まず、活動拠点が雲南市で島根大学からの移動手段として車の手配が大変でした。まさか最初から30名集まると思っていなくて、すごく大変でしたね(汗)それ以外の大変さとしては、学生の活動に参加する頻度や意欲が人によって次第に分かれてきたことです。活動に対してとても意欲を持って、フィールドステーションをどのようにしていきたいのかという想いを強く持っていている学生もいれば、活動に参加をしてみて楽しいけど別にそこまででもないなとか、本当は参加したいけどうちわ感あって参加しにくいと感じる学生もいました。一生懸命やりたい人は何も言わなくても自ら積極的に進んでいけど、活動意欲が下がってきている学生のモチベーションをどう維持または上げていくのかと言うのがとても課題でした。どうやったらもっと中心メンバーや幹部になるような子が増えていくのかという議論を結成メンバーで重ねていました。
 そうしているうちに、もっと活動したいという学生の気持ちもおざなりになってしまって、活動が止まってしまうし、誰かが指示しないと動けない状態になってしまい、マネジメントすることの難しさを実感しました。そうした中でも、大事にしていたことは、お互いのことをよく知ることと、仲を深めることだと思っています。組織内で、団体を結成した4人の話し合いの場と団体メンバー全員との話し合いの場の2つを大切にしていました。結果的に、4人で話すことのほうが多くて、改善点は多くありながらも、結成メンバー4人で議論したり、人生グラフ共有したり、飲み会していくうちに、「みんなで新歓しよう」という話になり、団体全員に話を伝えて協力してもらって開催しました。これは特に大変だったけど、最後までやってよかったとは思っています。

 学生団体Micanは、僕たちが大学を卒業すると同時に、団体を継続するかについてたくさん議論をしましたが、一旦の区切りをつけるために解散をしました。終わったことに後悔はないですが、もっとやれたという気持ちはまだ残っています。しかし、団体はなくなったものの、米プロジェクトはまだ残っています。

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Q大学時代印象に残っている活動は何かありますか?

 それはもう「五感で感じる雲南ツアー」です。雲南市の高校を卒業する高校生を対象として、雲南市の魅力を再発見するためのツアーを企画しました。きっかけは、大学3年生の冬にUCCで活動を一緒にしていた藤原くんが「雲南市で何かやろう」と突然誘ってくれたことです。もともと僕自身が、地元の場所もそうだけど地元の人も知らないという問題意識を抱いたことを藤原くんが覚えてくれていました。そしてある日急に電話がかかってきた時に、「俺も、地元について知らない人が多いとおもってもったいないと思っている。こんなにも雲南には熱い大人がいて、面白いことやっている人がいて、きれいな自然がたくさんあるのにもったいないよな」という話をしてくれました。僕たちだけではなく、雲南市の地元の子たちは、地元のことをあまり知らなくて、自然がきれいとかありきたりなことしか言えなくて、全然地元の魅力を知らずに地元から出てしまうことにずっと違和感を感じていました。
 島根県には大学が2つしかないし、雲南市に大学がないから地元を出てしまうことは当たり前で、その時点で地元の魅力に気づいている子がいれば、地元を離れても雲南を思い続けてくれる子が増え、あわよくば帰りたいという子が増えるんじゃないかという仮説のもと、その魅力に触れられる体験ツアーを作ろうというのがこの五感で感じる雲南ツアーを企画しました。

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Q雲南ツアーの事前視察で感じ取ったことや、参加した高校生は企画を実施してみて何か変化は起こりましたか?

 雲南ツアーの下見などは特にしていません。大学に入学して間もない頃、県外から来た学生にもっと雲南市の魅力を知ってもらおうと、藤原くんと一緒に案内した時に、調べて行く場所を振り返りながら決めました。当時、日本で初めて和歌が詠まれた「須我神社」や、美味しいワインやパンが販売されている奥出雲葡萄園など自分も20年間雲南市で暮らしていたにも関わらず行ったことのない場所がたくさんありました。県外から来た人もすごく良いと言ってくれて、自分自身も雲南市は実はすごく良いところなのではないかと改めて思うようになりました。
 実際に雲南ツアーを企画してみて、初回企画に参加をしてくれた高校生と大学生は18人でした。自分たちの立てた仮説として地元の自然とか食べ物などが魅力だと感じると思っていましたが、参加してくれた高校生の意見を聞いてみると、人が一番魅力だと思いましたという感想が非常に多かったです。
 また、ある高校生が、「何年か前まで自分たちと同じ高校生だった人が大学に入って自分たちの想いを持って地元で活動している大学生がいることがすごいと思った」いう感想を言ってくれました。参加してくれた高校生の満足度も高く、次回やるなら私達がやりたいと言ってくれる程、ツアーを通して雲南の人への魅力を一番感じ取ってくれたのではないかと考えています。

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Qそれこそ五感ですね。人によって良いと思う地域の一面で違うと思います。地元の魅力に気づいた上で、「なぜ地元の魅力を知ることがいいのか」、自分の仕事につながるというのもあるかもしれないけれど、すぐには直結しないと思っていて、なぜ上田さんは地元のことを知る必要があると考えているのかを聞きたいです。

 これは、僕自身明確に考えがあります。でもこれが答えというわけではなくて自分の中で仮説として地元を知る必要があると考えていることは、「自己肯定感」だと思っています。要は自分のことが好き、自分にはこういうことができるのではないかということって、日々の行動に繋がると思います。僕は、自己肯定感とか自己効力感を高める効果が地元愛にあると思っています。だから、自分も地元のことを人に話すときも雲南市の良い面を愛着を持った上で伝えることができます。地元への自己肯定感が高いことや、そこで生まれ育った自分も素敵であることを思ってくる気がしています。実際、僕の後輩も「地元のことを知れば知るほど眼の前の地域の中でやりたいことが生まれてきて活動的になるし、自信がついてきました」と言っていました。地元を知ることの意味は、自分の自己肯定感を高めるものだと思っています。そのためにも自分の生まれ育ったふるさとに誇りをもつとか、自分のふるさとのことを知った上で人生における多くの選択(進学や就職など)をしていく良さはそこにあると考えています。

 やれている気がするだけではなくて、自分の学びにもなるような活動ができるというのが地元を知って活動することの良さにもつながるのだと思いました。

 僕は、必ずしも地元で活動しなくても良いと思っていて、自分が活動したい場所やいろんなことに挑戦しようと思えたら最高だと考えています。活動をするために必ずしも地元に帰ってきて、というわけではないと思っています。
 そのような自分の興味・関心分野に対する意欲が自分の自己肯定感が高まることによって他の場で活かされるのではないか、そのためにまず地元での魅力を感じることや活動をしながら自分について知る、そして自己肯定感を高められるためにそのようなきっかけが必要ではないかと考えています。

Q今後も雲南ツアーはする予定はありますか?

 今回もまた卒業シーズンに始めます。今年は去年やってくれた学生が運営者になり、雲南を出た大学1,2年生にも声をかけてやっていこうと思っています。基本的には個人に声をかけています。自分たちが五感で感じる雲南ツアーをやって、雲南市出身の学生が縦のつながりで毎年つながり続けたりすることって結構すごいことだと思っていて、他にはあまりない良さだと感じています。

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インタビュー記事はPart. 2に続きます。

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