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かき続けようとするディスポジション

私が「ディスポジション」という言葉と出会ったのは、大学院時代、子どもたちが絵図を描きながら思考する過程を理論的に説明しようと、研究していた時のことである。

教育の世界では、「思考力」をはじめとして、「表現力」「判断力」「共感力」「対話する力」「学ぶ力」等々、何らかの「力」を子どもに持たせる、育むことが目指されることが多い。私は、そのことに疑問を持っていた。子どもは本来、さまざまな力を持っている。その持っている力を、子どもが発動するかどうかは、その「場」の状況で決まるのではないかと考えていた。

たとえば、私の教室でも、ちょっと複雑な算数の問題を絵図をかきながら考え続ける子どもが、学校のワークやプリントの問題になると一目見たとたん、「どうやって解くのかわからない」と言ったまま、手を動せなかったりする。子どもは「わからない時は、かきながら考える」ことをできるのにもかかわらず、それをする時としない時があり、それを決めているのは、この場合は「問題の種類(教科書的か教科書的でないか)」あるいは「解答を求められている様式(式と答えを書き込むのかそうでないのか)」なのである。

 2年生Aちゃん。ラッキーが2歩で1枚、マッキーが3歩で2枚の落ち葉を拾う時、同時にスタートして、ちょうど14枚の落ち葉を拾うのにかかる時間を考える。7枚と7枚ではうまくいかず、8枚と 6枚でうまくいくことに気づいた。

当時、指導教官の1人だった汐見俊之先生に、「『力』という言葉を使わずに修論を書きなさい」との言葉を頂いたことをきっかけに、「力」に変わる概念を探した。しかし、日本語の文献や論文は「力」のオンパレードである。海外の文献をあたっている時にようやく見つけたのが、「ディスポジション(dispositon)」という概念だった。

「ディスポジション(disposition)とは、ある特定の環境(状況)を与えられた時に、何かをしようとする心の傾向のこと(a tendency to do something given certain conditions)である[1]。ディスポジションを決めるのは環境(状況)なのだから、それは獲得される「力」ではなく、具体的な状況でどのようにふるまうか、何をするか、という「行為」として現れる。つまり、ディスポジションは獲得されるものではなく、「〜のようにふるまう、〜をする」傾向が強まる(よりdisposedになる)、あるいは弱まる(よりdisposedにならない)のである[2]。

2年生Sちゃん。壁の上り下りを繰り返す虫が、8mの壁を上り切るまでにかかる日数を求める。 2日かけてかき続け、解いた。2日目、別の問題に変えてもいいよ、と言うと、
「おもしろいから、今日もやる」とかき続けた。続きはトップ画像。

そうすると、子どもたちが問題を「解けるか解けないか(解く力があるか、ないか)」と捉えるのではなく、問題を解こうとする時に「意味をわかろう」「考えよう」とする、すなわち「かき続けよう」とするディスポジションを発動させるような環境(状況)を作り出せているかどうか、が教える側にとっての関心ごととなる。

算数の問題の場合、一番大事なことは、「何算かは、考えさせない」ことだと私は考える。なぜなら、子どもたちが「わからない」という時、それは「何算で解けばいいか、わからない」を意味していることがほとんどだから、である。

支援員として学校の算数の授業に入り込んで痛感したのは、「図や言葉や計算を使って、好きなように考えてください」という言葉で始まる授業が、40分後には、「このような問題は〇〇算で解きます」という言葉でまとめられることがいかに多いか、である。そのため、子どもたちは、問題を見ると「何算か考える」というディスポジションを発動させ、「何算かわからない」とその場で問題を解くことをあきらめてしまうのである。

そういう意味で、学校に行っていない子どもたちは、「何算か考える」というディスポジションからは自由である。自由な状態から始め、計算も使えるようになっていくことで、思考に使える手段が増えていく、それが理想であると思う。

5年生Kちゃん。「105円まで何円足りないか」「24円を3等分すると何円ずつか」を、かきながら上手に考えた。「引き算」「割り算」を使わなくても、問題は解ける。

学校の算数は得意で「パッと式がわかる」子どもが、一読して「何算かわからない」時、問題を解くことをあきらめることは珍しくない。「何算かを考える」ディスポジションを発動させて成功体験を積んできた子どもに対して、「わからない時はかいてみる、かき続ける」というディスポジションを持てるような状況(環境)をつくり出すことは簡単ではない。簡単ではないが、問題の種類や使う紙、筆記用具などを変えることでディスポジションが変化することも多い。

5年生Iくん。学校のワークを解いている時は「わからない」「どうやって解くの」と聞くことから離れられなかったが、Rootsの算数を始めてから、のびのびとかき続け、考えるようになった。

かき続けようとするディスポジションが発動している時、子どもの関心は問題文の意味にあり、わかろうとするプロセスそのものに没頭している状態であると言える。そのことの楽しさを多くの子どもたちが感じてくれれば、と思っている。                     

by Yoko K.
    


[1] Robert H. Ennis. 1996. Critical Thinking Dispositions: Their Nature and Assessability. Informal Logic, Vol.18: 180

[2] Guy Claxton & Margaret Carr.2004.A framework for teaching learning: the dynamics of diposition. Early Years, Vol.24: 88


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