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和歌山県 高野山を歩く(6月15日)奥の院を歩く


汗かき地蔵と、姿見の井戸
中の橋あたり

覗いている方もいらっしゃいましたが
わたしはやめておきました

寂しいところ、とか
気味悪い、とか
まったく思いません

たぶん
奥の院参道の両脇の墓標には
違った意味があるからだと思います

そう

弘法大師空海上人さまが
冥界で
弥勒菩薩さまのお言葉を訳して
いち早く教えてくださるので
いの一番に聴きたいと、
ここに墓標を建て
高野山への依り代としているのですから

御霊は
光のごとく
ここへ飛んでこられて
聴くことが叶うのですから



すごいですね!根っこ!

森のニオイが、そこらじゅう

この参道を歩いていると

わたしは
高野山の森の一本の樹木である、と
思ってしまいます

いつか
わたしも朽ち果てる日がきます

朽ち果てた

古株に
コケが覆って
どこからか種が落ちて
小さな木が生えるかもしれませんし

形もなくなり
土の養分と化するかもしれません

それまでは
太陽に向かって
まっすぐに伸びるのです

だれも


もしかすると

この雨は

ご先祖様の
嬉し涙、なのかとも思う

こんな可愛らしい
お地蔵様にも会いました

鬱蒼としていて

雨のせいで、薄暗い参道に

なにか
温かな光が
灯っているような

ありがとうございます

いよいよ
奥の院へやってきました

こちらの墓所では
お花は供えません

奥の院までの途中で

高野槙のお供えが販売されております

購入して、ここまで持ってきます

御供所
こちらで、水かけ観音さまに置く、
カンナガラに、先祖代々など書いていただきます
故人は、そのままの名前でもけっこうです

護摩堂

水かけ供養

わたしのほうも
主人のほうも
お供えすることができて良かったです

皆様は、大日如来坐像の前に置く方が
多かったようですが
わたしは、
並んでいる観音さま、
すべての尊顔を観ました時、
「わが家は、地蔵さま、だな」
直感的に思い、置かせていただきました。

自分の欲で置くより、
なにが、家には足らぬのか、
なにを頼りにしていってほしいのか、
先祖さまの声を聞くことが大事だと思います。

そうすると、「この仏様だ」と
こころに浮かんでくるものです。

わが家は、また、主人の家は

大日如来さまではない、と思いました。


奥の院 

わたしは
ずいぶん前に
夢で同じ御堂を観ていました。

燈籠堂

ハッとしました。

やはり、ここに来るように
なっていたのかもしれません。

わたしのほうのみの供養
2週間、毎日の灯明供養

と、しました。

いい父親ではなかった、父の名前でも
供養をお願いしました。
ここで、2週間、
弘法大師空海上人さまに
教えを請い、冥界で功徳を得なさい、と。

東北では、昔から、

この世で、陰徳や功徳を積まず、
悪徳して、人を泣かせるような者は
あの世で、
家族を助けたい、孝行したいと思っても、
そのチカラは、皆無である、と言います。

そのチカラを得るためには
まず、生きている者が、
このならず者を、供養し続け、
供養していただくことの有難みを教え、
あの世で、
改心させることである、という。


祖父母の時代までは
それは素晴らしい信仰のこころで
特に、父方祖母は
わたしが3歳の声を聞いた頃から
神仏に対する事柄を
口伝として
残していくこととなるのです。

それは
いとこたちには
まったく何の教えもないので
誰も、何も知らないのです。

だからなのか、

信仰心のまったくない者が多く

家系の
日蓮正宗の尼が亡くなる前に

「自分から数えて、七代、護られる
その代ごとに
宗教に携わる者、現れる」

と言い残しております。

わたしは
一族の中で、見込まれた者として
神仏への信仰心を保ち
ここまで達することができました。

特に
修行などしておりませんが、

そのように
日々過ごしてきました。

仏教の最高峰 高野山で

先祖さまへの供養ができたことは
感無量です。

血筋の子々孫々に

信仰心の篤い者が現れて
繋ぐように、と、
祈ることができました。

いつか、そのことを
ルーツを

子々孫々に遺していかねばなりません。


キリンビールでも
会社のために
力を尽してくれた
今は亡き、従業員のために
供養塔があります。

世界に平和が訪れ
麒麟が現れますように




ご縁をありがとうございました

「三昧(さんまい)の法仏(ほうぶつ)は
本(もと)より我が心(しん)に具(ぐ)し
二諦(にたい)の真俗(しんぞく)は
倶(とも)に是常住(これじょうじゅう)なり
禽獣(きんじゅう)卉木(きもく)は
皆是れ法音(ほうおん)なり」

(性霊集 巻第三 空海) 

すべてのいのちが
生まれながらにしてもつ
無垢なる知が

わが心にも具(そな)わっているように

真実の世界と現実の世界は
一つになって常に存在している

(そのことと同じように)

鳥獣草木の自然の声は

すべて、いのちのもつ
無垢なる知の言葉である

(その言葉がわが心の中にもある)



2023年6月28日
「NHK朝ドラ らんまん」より

酒匂の牧野万太郎です
また、参りました!


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