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和歌山県 高野山を歩く(6月15日) 壇上伽藍➂中門、善女龍王社ほか



中門

五間二階の楼門で、両脇には
持国天(じこくてん)像(東)・
多聞天(たもんてん)像(北)が
まつられていましたが、

天保14年(1843年)に
壇上を襲った大火により、
西塔のみを残して、
ことごとく焼き尽くしました。

その後長らく
再建はされていませんでしたが、

高野山開創1200年記念大法会の
記念事業として、
平成26年(2014年)に中門を再建、
翌27年(2015年)4月2日に
落慶法要が執り行われました。

なお、再建するにあたって
増長天(ぞうちょうてん)像(南)と
広目天(こうもくてん)像(西)が
現代の大仏師・松本明慶により新造され、

天保14年に類焼をまぬがれた
二天像と共に四天王像が中門を、
ひいては伽藍全域を守護しています。

広目天
持国天
中門
多聞天
増長天

勧学院の前に位置する
この池は、蓮池と呼ばれます。
昭和の頃までは
美しい蓮(はす)が咲き誇っていました。
この池には
小さな祠(ほこら)がまつられています。

明和年間のこと、
干ばつが度々起こり、民衆は苦しみました。
そこで明和8年(1771年)、
瑞相院慈光(ずいそういんじこう)というお方が
善女竜王(ぜんにょりゅうおう)像と
仏舎利(ぶっしゃり)を寄進し、
蓮池の中島に
小さな祠を建立して
おまつりしたところ、
たちまちに霊験が現れたそうです。

平成8年(1996年)には
祠とともに橋が修復され、
毎年10月17日には
縁日としてお勤めが行われています。

善女龍王社

勧学院

北条時宗(ときむね)が
高野山内の僧侶の
勉学・修練のための道場として、
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)境内に
建立しました。

後の文保2年(1318年)に、
後宇多法皇の院宣によって
現在の位置に移されました。
本尊には
大日如来が奉安されています。
現在でも
勉学・修練の行事である
勧学会(かんがくえ)が毎年行われ、
一般の立ち入りが禁じられています。

ひと通り観てきまして
ようやく、青空が見えました

高野山の入口にそびえ、
一山の総門である大門。

開創当時は
現在の地より少し下った
九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、
それを総門としていたそうです。

山火事や落雷等で焼失し、
現在の建物は
1705年に再建されました。
五間三戸(さんこ)の二階二層門で、
高さは25.1メートルあります。
左右には金剛力士像(仁王さま)が
安置されています。
この仁王像は
東大寺南大門の仁王像に次ぐ
我が国二番目の巨像と云われ、
江戸中期に活躍した大仏師である
運長と康意の作です。

正面には
「日々の影向(ようごう)を
闕(かか)さずして、
処々の遺跡を檢知す」
という
聯(れん)が掲げられています。
この聯は、
「お大師さまは
毎日御廟から姿を現され、
所々を巡っては
わたしたちをお救いくださっている」
という意味であり、
同行二人信仰を表しています。

また、大門の横手には
弁天岳登山口があり、
山頂には
弘法大師が勧請された
嶽弁才天(だけのべんざいてん)が
まつられています。

帰り道

道路を間違えて行きましたら
なんと!
あの、109号線に出ました!


夕日に照らされて
煌びやかです!

戎社
妙見社

程近く、
丹生都比売神社のほうに
行ってみましたら

109号線が
土砂崩れによって
通行止めを知りました

きっと、神様が
教えてくださったのでしょう

日を改めまして
参拝することにいたしました


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