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【祝詞】天之御中主神さまの祝詞 向北辰唱秘言

向北辰唱秘言

ほくしんにむかひて となふる ひめごと


辰元辰臺(しんげんしんだい)は

天一之居(てんいつのきょ)なり

北極星である

天之御中主神さまのいる場所は天の真ん中に位置する

二化(にか)

中心にいる北辰は、陰陽に分かれている

霊を鋭(えい)にし 物を養ふ

霊威は鋭敏で、すべての物を慈しんでいる

群生(ぐんせい)

たくさんの星の中に

命(めい)を受けて

いのちをいただき

我是れ玄身(げんしん)なり

わたしは北辰の神様とは違い、暗い星ではあるが、生かされている身である。ありがたいことです。


京都府左京区に、吉田神社がある。

「斎場所大元宮」
(さいじょうしょだいげんぐう)

という吉田神社の末社があり、
吉田兼倶は、文明年間に、
森羅万象の起源であり、
また宇宙の根元神である、
虚無太元尊神
(そらなきおおもとみことかみ)を祀る、
吉田神道(唯一神道)を考え、

大成すると、室町にあった自邸に、
虚無太元尊神を祀る社・大元宮を建て、
その祭祀を行い始めた。

そして、兼倶は、いよいよ吉田神道を
目に見える形にして一般に広めようとし、
また本格的に伊勢神宮を含む
全国の神社を吉田神社の統制下に
置こうと考え始めた。

文明16年(1484年)に、
吉田神社の現在地に、
新たな社・斎場所大元宮を創建すると、
11月24日に
自邸から虚無太元尊神を遷座した、と、
あります。

また、天正18年(1590年)には
後陽成天皇の勅命により、
宮中で祀られていた天皇の守護神である
祭神8座
(神産日神・高御産日神・玉積産日神・
生産日神・足産日神・大宮売神・
御食津神・事代主神)を祀る八神殿を、
大元宮の後方に遷座して祀ることとなり、

その地位・権力は、
完全に伊勢神宮を上回るものとなった。

しかし、明治となり、
1872年(明治5年)に八神殿は、
皇居に移されてしまった。

それ以降は、天皇家の祖先である、
天照皇大神を直接祀る伊勢神宮こそが、
日本で最上位の神社であるという
国家神道が、勢いを増す中で、
吉田神道の勢いは衰えを見せ、
現在では大元宮は
吉田神社のいち末社の扱いを受けるに
いたっている。

祭神:天神地祇八百万神

延喜式内社、
全3132座の天神地祇八百万神を祀る。

と、あります。


八神殿は

北極星と北斗七星を表したものではないか、といわれています。

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