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【出雲】出雲大社参拝の旅 ②2008年、仮殿遷座祭の出席

出雲大社 仮殿遷座祭、奉祝祭

2008年 4月20日~21日のことでした。

これもまた、不思議なご縁で、
60年に一度の、
御屋根の葺き替え工事の年に、
奇しくも、この世に生き、
出席できたことに、
これほど感慨深いものは
ありませんでした。
2008年4月20日、
朝一番機で、伊丹空港に降り立ち、
神社のチャーターしたバスで、
出雲を目指しました。


蒜山高原SAから見た、大山 (当時)

鳥取県西部の旧国名が
伯耆国であったことから
伯耆大山(ほうきだいせん)、
あるいはその山容から
郷土富士として
伯耆富士や出雲富士とも
呼ばれています。
角度によって山容が異なる、大山。
素晴らしいですね~!

宍道湖

島根県松江市と出雲市にまたがる湖。
一級水系の斐伊川の一部である。
湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。
日本百景。
主に大橋川・中海・境水道を介して
日本海と接続し、
淡水湖ではなく
汽水湖となっている
(平均塩分濃度は海水の約1/10である)。と、あります。

島根半島の山並みが見えてきますと、
間もなく、出雲大社です。

19時からの斎行ですが、
一度、荷物を置き、
最初に、全員で、ご挨拶に伺います。

斐伊川

古くは「肥河」
「簸の川」(ひのかわ)などと
呼ばれた。
『出雲国風土記』大原郡斐伊郷の条に、
「樋速日子命がここに住んだので
樋(ひ)という」との記載があり、
出雲・伯耆両国境の
鳥髪山(船通山)付近を源とし、
出雲国を流れるのが「斐伊川」、
伯耆国を流れるのが「日野川」
とする説がある。
古くから度々洪水が起こっており、
これが
八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の
元になったという説もある。
と、あります。

教務本庁 おくにがえり会館

出雲大社の信仰を広める
布教機関として組織された
出雲大社教を総括する
出雲大社教教務本庁
がある他、
二階には結婚式場が設けられています。
出雲大社教教務本庁は、
出雲大社教の傘下で
全国各地に組織された
分祠・大教会(分院)・教会・
講社を統括する
出雲大社教の事務所です。

こちらにて、皆様揃って、
ご挨拶をいたしました。
「おくにがえり」という言葉が
大好きで、
伊勢神宮とは違い、
神仏混合のような考えがあります。
出雲大社の下に、行くことを、
「おくにがえり」と表現する、
神様の優しさ、地域の信仰の深さを
ものすごく感じます。

遷座祭の際、
写真撮影は禁止、
斎行中は、言葉も禁止。

それはもう、感動で、
涙が流れる遷座祭でございました。

出雲は、朝霧で有名です。
斐伊川も幻想的でした。

まるで、白龍のように

遷座祭の翌日は、奉祝祭です。

全国から集まった、
奉祝祭にお呼ばれの、
出雲大社の分院、分祠からのツアー、
出雲大社教の教徒であふれていました。

奉祝祭の斎行が終了しますと、
役員などから、列をつくって並び、
御本殿内部の拝観となります。
懐かしい素鵞社の様子です。
こんなにうっそうとしていたのですよ!

60年もの間、
御本殿の御神体を守護してきました、
御屋根も、葺きが剥がれ、
損壊していました。
年月を感じますね。

おにわふみを囲む塀の御屋根も、
ボロボロで歪んでいます。

昨夜は、この結界の向こう側に、
菰(こも)の筵(むしろ)が敷かれて、
正座していました。
目の前を御神体を載せた御神輿が
通りますときは、ひれ伏して、
通り過ぎるのを待ちました。
斎行中は、終了するまで、
なにがあろうと、
一言も発することができません。

紫色の旗に、「常陸」とありますね。
茨城県の常陸国出雲大社の
ツアーさんです。
しかし、この後、この神社は、
出雲大社と係争し、
現在は、本家とは、
縁切りになっております。


御神体は、拝殿内に遷されました。

八足門から、間もなく、
おにわふみに入ります。
中の撮影は禁止です。

感激いたしました!

「わたしが、この時に生きている」

だからこそ、拝観できたこと。
ご縁つながりで、
ここまで来ることができたこと。

来年で、還暦ですが、
わたしの一生分の幸せは、
ここにありました。

ふと、空を見ますと、
鶴山の上空に、
龍神さまと虎、宝珠がありました!

奉祝祭に列席した人たちの
拝観が終わりますと、一般の拝観です。
ものすごい列になっていました。

これが、2008年の、
出雲大社の参道、神門通りです。
現在のような
華やかさはない通りでした。

このほか、御神酒やお菓子など、
入っていましたよ。

平成25年、2013年の、本殿遷座祭、

この遷座祭に列席することは
ありませんでした。

単独で、出雲大社を参拝したのは、
2015年のことです。

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