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【宮城】仙台どんと祭 仙台東照宮

1月14日、

神社の境内などで
正月飾りを焼き、御神火にあたることで
一年の無病息災・家内安全を祈願する、
お祭りです。

いつ始まったのかは不明でありますが、
1842年(嘉永2年)には
恒例行事となっていました。
正月飾りを焼く行事は
1880年ごろまでは
大崎八幡宮、特有の行事でありました。

仙台市以外の神社に広まったのは、
高度成長以降だそうです。

大崎八幡宮で、裸参りが行われて
いましたのは、
南部杜氏をはじめとする、酒造業に
起源があるといわれています。

ウイキペディアより

『仙臺始源』(安永 - 文化年間成立)に

「木下薬師の通夜 
木下祭祀の事は三月にあり
堂塔の眞圖は爰に出す正月七日の夜
諸人群をなして木下薬師に賽す
是を七日堂と云
通夜する者多し
夜籠りといふ寒候薄衣を着て
詣る者ある裸参りといふ」

とある記述が
仙台周辺の「裸参り」の初出とされる。

1849年(嘉永2年)刊行の
二世十遍舎一九(著)
『奥羽一覧同中膝栗毛』第四篇に
掲載された仙台の年中行事
(別名『仙臺年中行事大意』)の中には

「十五日。大崎入幡宮。
十四日夜 より参詣群集す。
 この日、門松を入幡の社内にて
焚失るなり。」

 という記載がある。

さらに、1850年(嘉永3年)頃
成立と推定される
『仙臺年中行事絵巻』の
『正月風俗の図』には、
注連縄と鉢巻きだけの男性3人
(それぞれ、鐘・三方・
「菅原」と書かれた桶を持参)の絵と
「裸まうて(で)」という注書きが
記されており、
これらの資料から
1840年代後半には
「裸参り」が実施されていたと
考えられている。

前記仙台市教育委員会資料は、

「仙臺では十四日から暁かけて
大崎八幡宮に松焚祭を執行され、
みちも社もうずまるばかりの盛況である、
中にも数百人の裸体詣りが
神鈴を鳴らして雪を踏んで
寒中の中を進むのが威勢よく見られる、
これらを暁詣でといふてゐる。」

という郷土資料の記述から、

「酒屋の安全祈願」であった
「裸参り」が
「暁詣で」(アカツキモウデ)という
民衆習俗と習合した

「『参拝行事』の一形態 と化していった」
としている。


と、あります。


夕方、徒歩で
仙台東照宮さんへ行って来ました。

徳川家康公は、

壬寅の年、天文11年12月26日
(1543年1月31日)午前4時に、
岡崎城にて誕生

壬寅歳、壬寅月、壬寅日、寅の刻

四寅の日に、誕生したのです!

今年、徳川家康公は、8回目の還暦を
迎えるのです。

わたしも、壬寅歳生まれで、
今年、還暦。
なんだか、嬉しいですね!

仙台東照宮さんでは、
今年、特別御守が出ていますので、
どうぞ、手に入れてくださいね!


そういえば、
静岡の遠州信貴山の、四寅の御祈祷、
申し込まれましたか?
2月18日ですよ!
10日が、締め切りです!



まずは、お参り

御神火 です。

皆様も、どうぞ、写真から
御神火にあたって、無病息災を
お祈りくださいませ


ロウバイが咲いていました。
いい香りです。


仙台東照宮の、どんと祭の日だけ、
販売される、

山形県、月山の若水。

元旦の朝に、月山の湧水を汲んで
販売しているのです。

これも、楽しみのひとつです。

なぜか、仙台東照宮の下、
宮町地区と、出羽三山の歴史は古いです。

また、江戸時代、山形県からの移住者も
多いんです。

仙台市の北山に、

北山羽黒神社が鎮座しており、

1602年(慶長7年)に 
伊達政宗により建立。

・祭神「倉稲魂命」

・例祭は,6月第1土曜日,日曜日

政宗の母(保春院)が嗣子を憂え,
長海上人を湯殿山に参籠させた折り,
湯殿山初代行者萬海上人の
梵天を宿して生まれたのが
政宗だと言われている。 

(同社縁起に因る。           1716年)

・長海上人と慶印上人が,
師の生まれ変わりとしての政宗に,
上杉軍との戦いで
大いに助勢した功が認められて
慶印上人が開祖。


仙台東照宮は、もとは、
現在の仙台榴岡天満宮が
鎮座していました。

東照宮を建立させるために
移動したのです。

ところで、

若水は、

山形県寒河江市、
チェリーランドさがえ

こちらで販売しています。
なくなれば、終了です。

仙台の小正月飾り

宮城県は

14日~

神棚、もしくは、門の両脇に小正月飾り、
繭玉、もしくは餅花飾りをして祝います

わが家は、片方のみ

「繭玉飾り」は繭玉団子を
柳や水木の枝にさしたもので
「餅花」の一種です。
「餅花」とは、
丸めた餅や団子を柳の枝にさして
作物の豊かな「稔り」を表現したもので、
それを神棚やその近くに飾り
作物の豊作を祈念した予祝行事です。
また繭玉団子が蚕の繭の形をしているのは、
言うまでもなく養蚕をおこなう人々が
蚕繭の豊作を祈願していた名残です。

と、あります。

東北は、小正月に、餅をついて
白、赤、緑の3色を作ります
色は、食紅を使います

それを、のして(伸ばして)板状にして
包丁で、小さくサイコロに切って
枝先につけます

昔は、3色、もしくは、
紅白だけの餅花でした

それがカラフルなモナカにとって代わり、
見映えも、明るくなりました

だいたい、3日で塩をふって、
ゴミ扱いになります

今でも、昔ながらを守る人は

お店の中の神棚に一年間、
飾りっぱなしにして
華やかを演出するところもありますし

うちも、一年間、飾りっぱなしです

もちろん、身内に不幸があれば、
下ろします

家の中が明るくなりますよね!

そして仙台の場合、
縁起ものの絵柄を垂らしているので
ちょっとした風に、
ゆらゆらして可愛いですよね!

神棚がなくても、
これをお飾りするだけで、
お友達が来たときに
話の種にもなりますし
インテリアにもなります

昨今、こうしたものを
飾らなくなりましたが
もったいないですね!

お子様がいらっしゃる、お宅なら
いろいろなものを飾るより、
伝統を教え伝えるものをおいたほうが
いいと思いますよ

その子どもが、また伝えていく

今の日本に欠けている、
大事なことだと思います


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