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【ルーツ】政宗公晩年の居城のある、鎮守神さま

少林神社

仙台市若林区南小泉

少林と書いて、わかばやし、と読みます。

この神社こそ、わたしの産土神社です

子どもの頃の遊び場でした。

かつては保食神を御祭神とし、

明治22年に、南小泉村合併により
七郷村となり
村社の旅立稲荷神社に合祀されましたが、
戦後、地元民により
旧伊達邸の屋敷神と
大杉明神、青葉神社の分霊を勧請しました。


猫塚古墳なのですが、
現在は、その面影はありません。

子どもの頃は、
もう少し、丘のような感じだったような。

猫塚古墳(ねこづかこふん)は、

「現在の宮城県仙台市若林区南小泉にあった
古墳である。
早くに破壊され、遺物なく、
詳しいことはわからない。
跡地に少林神社が建つ。
直系7-8メートルの円墳、
または前方後円墳の後円部だともいう。

猫塚の名は、
猫にまつわる伝説からとられた。

すなわち、ある屋敷で飼われていた猫が、
妻女が厠に行こうとするたびに
つきまとって邪魔をする。
たまりかねた夫が刀で猫の首をはねると、
はねとんだ猫の首が天井まで届き、
そこにいた大蛇の首に噛みついた。
主人に危険を知らせようと
していたのだとわかり、
家の者は猫を手厚く葬って
塚を築いたという。」

ウィキペディアより

猫神社には、たくさんの招き猫が
置いてあります。

当時は、こんな石碑も、
まったく興味などなく。

この歳になって、よく見れば、
どれもこれも、大人になってから、

自分の人生に、非常によく関わっていた

大事な神仏さまだったのでした。

馬頭観音、伊勢神宮 外宮の豐受大神さま

お稲荷さま、鹽竈神社、松尾観音さま

古峯神社、庚申さま、蔵王大権現さま。

仙台市若林区南小泉

この道の右側には、
政宗公の家臣や武士が住んでいた、

武家屋敷がありました。

その屋敷には、実の生る木々や、

屋敷林が植えられていました。

左側は、畑が広がっていました。

その屋敷林を開墾してくれるなら、
好きな土地を分け与える、として

母方祖父が、開墾して、
土地を取得したのだ。

少林神社は、わたしの母の産土であり、

わたしもその土地で生まれたので、
母娘揃って、産土神社です。

母娘揃って、
伊達家の武家屋敷の跡地に
生まれ育ったのです。



写真の右下の暗渠は、昔のお堀です。

深さが、3メートルくらいは
あったと思います。

子どもの頃、オート三輪が、
この堀に車ごと落ち、

運転していた人が、
どうなったかはわかりません。

ずいぶん、酔っぱらっていたそうです。

と、言いますのも、

わたしの子どもの頃は、

子どもが、
今の中学生ぐらいではない歳だと、

ケガ人や死人の顔は見せるな、
火葬場には連れて行くな、と

きつく言われていましたので、

オート三輪が引き上げられる時も、

「小さな子どもは、家に隠せ!」という
声が飛び交い、

家に連れ戻されました。

それほど、子どもの時に、
そういった場面を見せるのは、

こころに傷を負わせる、
大人になっても思い出させる、として

忌み嫌われたものです。

今は、そんなこともなく、
火葬場で、お骨を拾わせたりして

いますけどね。
でも、それって、どうなんでしょうか。

現在の宮城刑務所は、

伊達政宗公が晩年、
住んだ若林城の跡地です。

宮城刑務所といえば、ブラタモリで
一躍、有名になりました。


敷地内に国の天然記念物である、
政宗公が植えたとされる、
朝鮮ウメが生育しています。
また、仙台市保存樹木に指定されている、
蟠龍の松もあります。
現在は、
中に入って観ることはできません。

わたしが子どもの頃は、
作業製品販売の日に、
どちらも拝観できました。
朝鮮ウメは、中奥にあるので、そのうち、
蟠龍の松だけの、公開となりました。
現在は、ありません。

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