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五箇条の御誓文の日で考える、日本の今

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五箇条の御誓文

(ごかじょうのごせいもん、

五ヶ條ノ御誓文)は、


明治元年3月14日(1868年4月6日)に


明治天皇が

天地神明に誓約する形式で、

公卿や諸侯などに示した

明治政府の基本方針。


正式名称は、御誓文


「五箇条の御誓文」の内容は、

戊辰戦争開戦の頃から

検討されていました。

原案を作成したのは、

福井藩出身の

「由利公正(ゆりきみまさ)」です。

坂本龍馬と親交があった由利公正は、

龍馬が考案した

「船中八策(せんちゅうはっさく)」を

取り入れて

原案を作成したと伝わっています。

後に、原案は

土佐藩の
「福岡孝弟(ふくおかたかちか)」



長州藩の
「木戸孝允(きどたかよし)」

によって修正され、

最終的な内容が決まりました。


身分にかかわらず、

全国から有能な人材を登用し、

多くの意見を募って、

会議で政策を決めようした、


身分は違っても、

それぞれが積極的に

天皇に協力し、国を治めるべき」


近代化による国力増強

欧米諸国に追いつき、

対等な立場で交渉できる強い国

つくるため、

国民にも力を尽くしてほしいという願い


近代化を推進するためには、

古い考えにとらわれず、

欧米諸国からもたらされた

新しい風習を積極的に取り入れるべき


世界に広く習い、

日本古来の伝統や文化を

大切にしながら、

天皇を中心に国を発展させよう



明治天皇自身から


「大きな改革を実行する

決意と基本方針を定め、

自ら神に誓ったので、

皆も心を合わせて努力してほしい




と、あります。



どうでしょうか、日本

戦後、目覚ましい発展を遂げ、

世界第二位に

のし上がった日本は

今や、男女平等はおろか、

女性への蔑視、

定年制延長で、若者の居場所はなく

新風の吹かない

鎖国的な日本に

戻ってしまいました

のし上がっていた頃は

モノづくり日本の

発明は、めざましく

次から次へと

新しいものに溢れました

しかし

正直、政権が、民主党に

変わったあたりから

政治自体が

昔に逆戻りして

安倍政権で

なぜか、靖国問題で

戦前に戻ったような政策となり

なんでも

幹事長以下の、古い議員の

物言いが先立ち

日本は、だんだんと

第二位から、退いていきました

若い党員も

古い議員に、物言いも立たず

政治の有様に

国民は冷めていきました

そして、コロナ禍

日本は、どん底です

この2年で

日本は、新たにならなければ

世界から

そっぽを向かれることでしょう

今こそ

五箇条の御誓文を読み返し

国民も

肝に命じて

国のために奉仕しなければ

ならないです

政治を変える権利は

国民の一票にあるのです




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