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【大阪】寺社参拝記録 ②安倍晴明神社

2017年4月のことです。

いつものように、初日は、
奈良吉野山、金峯山寺に参り、
阿部野橋に宿泊。
このときには、天王寺公園の一部が、
すっかり、飲食街と、
ミニサッカー競技場となり。

ますます、天王寺区は、
発展を極めていきました。

朝焼けの通天閣

天王寺公園の入り口には、
以前、ホームレスが溜まり場となっていて、暗いイメージがありましたが、
払拭されていました。

必ず、翌日は、
堀越神社への早朝参拝は欠かさず。

層積雲の波状雲に見とれていたら、

わかりますか!あべのハルカスのお隣に、

「ふし」の雲文字!!

実は、わたしはよく、
「ふし」あるいは、「ふじ」の雲文字を
見るんです。

富士、不死、父子、節、伏、不二、不時、藤..........

いったい、どんな意味があって、
現れるのか、知らず。

この年は、四天王寺には行かず、
阪堺電車に乗って、
安倍晴明神社に初参拝としました。
きれいに整備されましたね~

路面電車も懐かしいものです。
仙台は、わたしの子どもの頃には
路面電車が走っていましたから。

毎年、来ていても、なぜか、
安倍晴明神社を外していました。
今回は、どうしても参りたいという
思いがありました。

安倍晴明神社 

安倍晴明は阿倍野の豪族だった
父・安倍保名(あべのやすな)と
葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた
伝説があります。
葛の葉の正体が白狐であることが
発覚した時に、
障子に葛の葉が書き残した歌
「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 
信太の森の うらみ葛の葉」は、
あまりにも有名です。
社伝によると、安倍晴明神社は、
晴明没後2年の寛弘4年(1007)の創設と
されています。
境内には、江戸の文政年間に建設された
晴明誕生の地を示す碑や、
産湯の跡などがあり隆盛を極めましたが、
幕末に衰退へ。

大正10年(1921)、
50m南にある阿倍王子神社の末社として
復興、大正14年(1925)には
現在の社殿が建てられたといわれています。

2019年5月に参拝しました時は、
「如意の玉」が置かれていました。

狐であったと言われている、
晴明公の母・葛乃葉が
信田森から
飛来する姿をイメージした像です。

晴明は、古代豪族阿部氏の出身で、
一説によると、
平安時代の天慶7年(944年)3月に、
ここ大阪・阿倍野に生誕されたと
されています。
それを記念して、
堺の商人・神奈辺大道心
(かんなべだいどうしん)が建立しました。

古代、船のいかりとして使った鎮石。
安産を祈願して帯を
「しめる」(鎮める)と掛け、
孕み石(妊娠している状態)とも
呼ばれます。

安倍晴明大神の父・安倍保名の名を
冠しております。

さて、歩いて数分、
阿倍王子神社へ行きましょう!

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