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発見(介助の仕事にて)

 中学一年の時の同級生が、帰り道に近所の知的障がいの子を「シンショウ」と言って笑った。小学校の頃にはほっぺをつねり、虐めていたと言う。彼女は「この子たち、何も言わないから」と被害を訴えることの出来ない相手を、当たり前のように虐め、楽しんでいた。欲望の赴くままサディティックな快感をむき出しにする同級生を見て、私は自分の中の一番いやなものを見ているようではっとした。
 そしてこの感じが、大人の社会の中でも蔓延しているのを知ったとき、私は障がい者のことを理解したいと思った。

 高校生の時は、当時の養護学校のバザーや、イベントに参加し、ボランティア講座を受けに行った。卒業後は選挙を手伝った市議さんの紹介で、Aさんの介助の仕事をすることになった。
 彼は脳性マヒの重度の肢体不自由者であったが、地域の障害者団体の代表であり、車を運転する行動派で、市議さんはAさんの人柄をもって、選挙で集まったボランティアの若者に介助の仕事を経験してほしいと思っていたようだ。私も、介助の経験をしたいと思い、ヘルパーさんと一緒に家を訪ねた。
 彼の自宅のアパートは、不自由な体での開け閉めに便利な縁側のサッシが玄関となっていた。活動的な彼の足である外出用の車椅子がビニールをかぶって待機している。五十代の彼は、分厚い眼鏡と少し頭の禿げたおじさんで、ヘルパーさんと冗談を言い合っている。斜めに傾いた体を支える背もたれの長い電動車椅子を、指先で操つる。  
 私は、彼の洗濯やご飯を作るなどの生活の介助、Aさんが公民館で行われる会議に出席するための移動介助や、資料作りのためのパソコン入力などの仕事をした。

 ある日、縁側で外出用の車椅子に移ろうとしているとき、3歳くらいの女の子が「こんにちは」と声をかけてきた。Aさんはニコニコして、「いつも声をかけてくれる、近所の子供だよ」と嬉しそうだった。Aさんはみんなに優しい人なんだと思った。私はそんなAさんに、「うちで一緒に暮らし始めたおばぁちゃんが、アルツハイマーと鬱を抱えていて『姨捨山に捨ててくれ』って言うんだ」と相談をした。Aさんは「もっと介護保険を使えばいいんだよ」とアドバイスをくれた。

 Aさんの介助をはじめて一ヶ月くらいたった頃、いつもの様に最寄り駅から住宅地を眺めて歩いてきたが、この日私は嫌な予感がしていた。でも、それは自分の思い違いで何も起こらないだろうと、縁側のサッシを開けた。
 サッシ側の部屋は寝室になっていて、工夫されたベッドや家具がAさんの一人暮らしの生活を支える長い年月を感じさる。サッシの鍵もお手製で入り口にはいくつものお風呂マットを切って作った様な物が置いてあり、最初は何に使うのか解らなかった私も、彼が車に乗るまで体を這わせる時に痛くないように移動する度に敷いて使う事を知った。
 彼の姿が部屋に無いので、ますます悪い予感が頭をよぎり、帰ってしまおうかと部屋を見渡すと、テレビ台の上の埃をかぶった土産物の人形が、ひょうきんな顔をして色違いで並んでいた。おじさんの一人暮らしという生活観に満ちた部屋に哀愁を漂わせているので気を取り直して進んだ。
 台所には洗濯ロープが引いてあり、トランクスが数枚残されている。そのロープの先のトイレのドアが開いてオレンジ色の光が洩れている。
「なんだろう?」と思った。すると「う~う~」とトイレからうなり声が聞こえ「とんぼちゃん、ちょっと来てくれる?」とわざとらしい声が呼ぶ。何回かの介助で、Aさんの大きく分厚い眼鏡の下から覗くねちっこい視線に、私はおおよそ彼の下心は予感していたけれど「そうきたか」と思った。私はトイレを覗いた。這って移動できるようにと、和式のトイレに敷き詰められた、カラフルな発泡スチロールのマットの上で、全裸の彼が「う~う~」とうなり声を上げていた。それでもまだ介助の気持でいたい私は、「失礼します」と看護師さんの気持を思い浮かべてみた。彼があくまで介助と見せかけようと演技を続けているので、私は、これからどうなるか知りたくなって、演技に付き合うことにした。
「大丈夫ですか?」という顔をすると
「ウンチが出ないんだよ・・・お尻をマッサージしてくれないか?」
「ここですか?」とお尻を撫でた。「もっと~こっち~」と彼は甘える声で私の手を取り自分の気持のいい場所を撫でさせた。私は和式便所の彼のウンチを眺めながら要求に応えた。そうしながらも彼は申し訳なさそうな顔で何か言い訳をしていたが、私はそんな言い訳はどうでも良かった。それより「この人はやっぱり下心があった。下品だ」と失望と好奇心を持って彼を眺めていた。
 そのうち彼は「玉をマッサージしてくれ」と介助という口実では言い訳が出来ない様な要求をしてきた。私はあくまで介助の演技で真剣にマッサージを続けた。それから彼はトイレから這い出てトイレの段差に座った。
 そして裸電球の光を反射するペニスのマッサージまですることになった。男性器を握り、彼の「あぁ~」という声と共に白い液体が出るまで何回か言われるままに擦った。彼の性器と私の手に付いたそれを、トイレットベーパーでなくティッシュペーパーで拭かなければいけないことを教わった。勃起も射精もこういう仕組みとは知らなかった。男性器も初めて触った。この現象を不思議に思いながら、私はこんなことを平気でやっている自分を発見していた。芋虫を観察するのと何も変わらなかった。
 それから彼の着替えを手伝った。彼は車椅子のスイッチで高く持ち上がるとベットに移った。そして調子に乗ったAさんが言った。「胸も触らせてくれ」私は呆れて怒りがこみ上げた。一瞬でも自分にしか出来ないことをやってのけた気がして、特別な私になった、そんな風にを思っことを撤回した。
「それは嫌です。もう、こういうことはしませんから」と彼を叱った。
 いつの間にか私の立場は、Aさんを叱る立場になっていた。しかし、Aさんが、いつまでもねちっこい視線のままなので、軽蔑の眼差しで彼に忠告した。
「こんなこと、他の女の人には絶対にさせたら駄目ですよ」
 今日の介助の仕事分といってお金を貰った。今日はいったい何が仕事だったというのだろうか。

 味を占めた彼はまた同じことをすると思った私は、後日、障がい者専門の風俗店を調べて彼に勧めた。しかし彼は知っているようでつまらなそうな反応だった。
 障がい者の性について、いろいろ調べて解ったことは、彼は自分でマスターベーションが出来る障がい者であったこと。介助者に性欲を処理してもらうしか選択肢がなかったわけではない。私にさせたことは、やっぱりただのセクハラだった。

 その後、Aさんは他の介助者の胸を触り、裁判所から百万円の賠償金の支払いを命じられた。
 「Aがとんぼちゃんにもセクハラしたと言ってたの。Aを紹介した私の責任だ」と市議さんに謝られたが、私は被害者では無いので訴えなかった。
 
 私は「大したこと無い」という顔をする自分に、ある種の価値を見出していた。それに相手が健常者ならば、私は要求にこたえることは無かったのだ。介助を口実にセクハラをする彼を情けなく思ったが、同時に私は彼が不自由な身なので何か起こっても襲われることは無いと見越していた。何より、みんなから信頼され、立場のある彼の欲にまみれた人間臭い言動が、この世の真理を知りたい私の好奇心を満足させていた。