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確固たるものがとけてゆくとき

5月22日

書こうと思ったことが
あったので

パソコンに向かったはずが
書きたかったことが

なんだったのか思いだせない。


なんだっけな。


思いだす努力をやめて
今出てくるものを
そのまま書いてみよう。

そうだ。

手術の日が決まった。


5月20日
MRI検査を受けた日の夕方、
医師から連絡があったのだ。

「最短でこの日です」
と言われていた

その日になった。


ということは、
予想される二番目に
軽い状態だったのかな、
と期待して医師に尋ねてみる。

(一番軽い状態の場合は
手術でなく
放射線治療で
がん細胞を消失させる方法)


答えは
「26日に聞いてください」
ということだった。

まだ詳細はわからないようだ。


25日に
すべての検査結果を見て
医師たちチームが話し合って、
結論を出すということのよう。


でも、
入院の日時が決まったことで、
宙ぶらりんの状態から
ほんの少し
地上に降りてくるような
感覚がある。


職場に
話をしに行ったのは
5月21日。


なんとなく、
このまま
わたしは
ここには
帰ってこないような
気がしていた。

たぶん
あの時

話していた人たちも、
そう感じているんじゃないかな。


園長先生は
「置いておいていいよ」
と言ってくれたけど、
ロッカーの荷物を
すべてもちかえることにした。

わたしの状態を知ってから、
心配で
ずっと下痢だ、
と涙目で話してくれた
同僚もいた。

「もともと
すきだなぁって思っとったけど、
自分が思ってる以上に
大好きだったらしい」
と言って
涙目で
がははと笑っていた。

なんてかわいい人なんだ。

そんなふうに
こころを向けてくれて、
ほんとうにありがたい。

こんなふうに
大切に
想っていてくれていたんだ、
とはじめて知る。

そう考えると、
わたしのなかに
ずっとある
「わたしは愛されない」
という思いこみが
なんだか
ただ
すねてるだけのようで、
リアリティがなくなって
変な感じがする。


「愛されていないわたし」
という確固たる
信念が
ふにゃふにゃになって
溶けていくような
感じがするのだ。


全然
確固たるもの
じゃなかったやん。



そうやって
身近にいる人たちの
愛に

自分の
アタリマエが溶かされ、
壊されていく。


今回のことは
愛に
氣づくための
ツールか。


がんは

すねて
ひきこもって、

そこから
出られなかった
わたしを
あたたかく満たして、
ひっぱりだしてくれるもの。



こうなったおかげで、
もう
わたしは
自分の本当を
生きることしか
できなくなる。


いままで
怖くて
できなかった世界に
行くしかない。


わたしはいま
おそるおそるだけど、
今まで
とじこもっていたところから
一歩
外に出ようとしてる。


外の世界は
光に
満ち溢れている。


まぶしすぎて
何も見えない。


でも、
手探りで
よろよろと
誰かの腕を
つかみながらでも
そこにむかって歩いている。





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