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友人の死、自分の癌体験


先週

大好きな友人の一人が

この世を去った。


熱中症だったらしい。


今年になって

大好きな友人が身体を離れるのは

彼女で二人目だ。


元気だったのに…

ついこの間まで連絡取っていたのに…

という話を耳にすることはある。


でも

それが

自分の身近で起きるなんて

あまり考えていなかった。


こういうことって

本当にあるんだ。


もしかしたら

わたしが

「癌で手術することになった」

という話をした時に

友人たちは

いまのわたしと似たような感情を

味わっていたのかもしれない。


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自分の身に起きて

はじめて

わかることがある。


いや

自分が体験しないで

わかることなんて

ひとつもない、

と言った方が

しっくりくるかもしれない。


想像はできても

それは

想像でしかないし、

なんなら

想像できないことが

起きるのが

現実だ。



わたしが今味わっているのは

まさにそういうことで、


わたしはいま

癌を体験する前には感じたことのない

不安を

感じている。



「このままだと

(なにかを劇的に変化させないと)

がん細胞が

また活発になってしまうのではないか」


「そうしたら

わたしの選択は

間違っていると

証明されてしまう」


そんなことが頭をよぎると

もやもやとした

言いようのない感情が

体中に充満して

鬱々とした気分になる。


そうして

ため息とともに

暗く

どこまでも

落ちこんでゆく。


癌を体験する前には

味わったことのない感情だ。


自分の選択の間違いが

死に直結しているような

後がない感覚。


淡路の朝日



間違っていたら

どうしよう…


間違っていたら…

最悪

死ぬ。


間違っていなかったら

どうだろう?


間違っていなかったとしても…

最悪

死ぬ。


・・・


あれ?



最悪

死ぬのは

おなじだ。



そして

死が

「最悪の出来事」

というのは

はたして

本当なのだろうか???



かつて

わたしにとって

死とは

やすらぎだった。


大切な誰かが死んでしまうことは

めちゃくちゃ怖れていたけれど、


生きづらさを感じていたわたしにとって


わたし自身の死は

むしろ

甘美で魅力的なものだった。


あぁ

もう生きなくていいんだぁ

よかったぁ、、、

なんて思っていた時もある。


でも

小学生の頃には

死ぬのが嫌で

あれこれ妄想しては

考えられる危険を

回避しようともしていたから

笑える。


死ぬのが魅力的に思えていたのは

ああ、もう嫌だ!!

と思えるような

つらい体験があったときだけで、

あとは

だいたい

たのしく

能天気でもあった。


わたしの内側には

いろんな側面があって、

相反するものが同時に存在していたり

日によって

コロコロと変わる気分の

そのふり幅のデカさに

どう対処していいのかわからなくて

戸惑っていたのかもしれない。


ちっとも

うまく生きられなかった。

(べつに「うまく」生きる必要なんてないのに、
そう生きたい、と願っていたんだなぁ…)


つくづく

めんどうな性格だなぁと思う。



それでも

今回

本気で生きよう!と決意した。



そう決意することで

今度は

じわじわと

死に対する恐怖、というか

自分の選択が間違っているかもしれない

という恐怖が出てきて


それによって

イキイキといのちを輝かせることを

すっかり忘れて

不安に押しつぶされそうになって

どうしたらいいかわからなくなっている。。。


こんなことになるなんて

想像したことなかったよ。


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友人たちの

死や

自分の癌体験を通して

今まで通ったことのない

新しい道を

歩いている。


こわくて

あたりまえか。


だって

はじめてなんだから。


間違えることだって

あるよね。


もう間違えたって

しかたない。


それで

人生が終わったとしても

それはそれなのかもしれない。


そんな自分も

ゆるして歩こう。


こわがって

びびって

動けなくなってる自分を

「なんで真剣に生きるって決めたのに

なんもしないの?!

そんなんじゃだめじゃん!」

って責めてたけど

よく考えたら

こわくて動けないのも

無理ない。


やる気が持続しない、とか

疲れやすくて

たくさんの休憩が必要、とか


いままでの自分とは違う

自分の

取扱説明書を

改めて作り直すことが

必要なのかもしれないな、と思う。


ここ最近の暑さで

以前にも増して

暑さに弱くなっている自分にも

出逢っている。


湿気もニガテだ。


自分をニガテを知ることが

快適につながる。


自分のカラダを観察することで

今まで見過ごしてきたことを

みつけられる。


そして

表現することで

わたしは

やっぱり元気になる。


コレ、
すぐわすれる…(笑)



一般論じゃなくて

自分基準で。


そして

自分の心地よさや快適さも

日々

変化することを

覚えていよう。





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