ポストコロナの家族関係について考えてみた


Black Swanさんから、質問へのお答えをいただき、反省しています。
少しだけテレビにからむ仕事をしていたくせに、4K、8Kという技術がそちらの方向につながっていくとは考えもしませんでした。
テレビ局で見ると、素直に、きれいだな、と思いましたが、個人の家で見ると、きれいというより、見なくていいものまで見えてしまうなどと思っていました。
ほんとうに、なるほどです。

さて、

人間関係が、テクノロジーの力で、あまり変わらないとして、家族は、変わらないでしょうか。

私は、東京生活が長いため、家族全員が自室を持てる家庭はいくつあるだろうか、と考えてしまいます。
もしも、自分だけの空間を持てない住環境で、現在のような外出自粛生活を続けるならば、関係の深さだけでなく、同居適性のようなものが、もっと試されてしまうように思います。

あえて同居適性と書いたのは、絆とか、愛情とか、重い言葉で語られるものと、ずっと同じ空間にい続けて問題ないか、というのはまた別のことではないかと、個人的経験から感じるからです。

人として、とても魅力的であったり、尊敬していたりしていても、24時間共に過ごすのは厳しいひと、というのは、確かにいます。差し支えないところで言えば、亡くなった私の父は、その範疇でした。
しかし、父を庇うわけではないですが、いっしょにいて楽な人より、そういう人をパートナーとして選ぶことも、決して間違いではないと思います。

コロナ離婚、という言葉も見かけますが、もしも、スペースが許せば、もっとうまくやっていかれるはずの関係が、うまくいかなくなる危険性が高まっているのではないでしょうか。

これからは、家族を築くために、この人と始終いっしょにいても大丈夫か、という同居適性が、より重視されるのでしょうか。現在でもそうしている人はいるでしょう。でも私は、ずっといっしょにいてうまくいくか、なんて、いっしょにいてみないとわからないと考える派でした。結婚も、恋愛も、何が起きるか分からぬ中で、それでもいっしょにいると決めることなのだと思っていた。

家族とは、とても個人的で、いろんなかたちがあっていいのかなと思っています。プライベートも、スキル定義されて標準化、評価されてしまうならば、少し寂しくないですか。

新しいルールやテクノロジーの力で、それも乗り越えていかれるのでしょうか。

子供を持つ機会には恵まれなかったので、自分が親となる立場での家族関係については、何も書けません。

このあたりが、限界でしょうか。

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