生きること
ひとつの体に沢山の人格が存在する。
解離性同一性障害と言われるソレが自分たちのようです。
診断されるまでの時間、一つの病院に通い続けることが非常に困難で、また、ソレを診断できるお医者様や病院自体が非常に少ない。
それ故に自分たちは「解離性同一性障害」ではなく「多重人格」と名乗っています。
記憶の喪失、各人格の同一性のなさ、現実感の消失、その他沢山のものと常に付き合いながら、自分たちは内界という精神世界で他人格との人付き合いもあります。
自分たちの事を「沢山の魂を神様が間違ってひとつの体に入れてしまった」のだと言ってくれる人がいたそうです。
人格という名がつくものの、一人一人を一個人として、普通の人として扱ってくれる人。
自分たちは、周囲の人の協力でなんとか生活しています。
そんな中で自分は、生きるとは何だろうと考えるのです。
生きる、とは。
呼吸をすること。
眠ること。
食事を取り排泄をすること。
時を過ごすこと。
自分が思い浮かぶのはそんなことで、それだけが、とても難しい。
趣味を楽しむこと。
人と会話をすること。
仕事をすること。
喜怒哀楽を巡ること。
そんな色々も、きっと人によっては上がるのだと、誰かが教えてくれました。
自分たちは、それぞれの生き方と、それぞれの考えを持っています。
良いことも嫌なことも沢山あると思います。
もしもこのノートに綴る沢山のことが、誰かの目に触れて、自分たちが生きている軌跡が残っていったらと、そんな風に思います。
そして、こんな風に生きている人がいると、知ってくれたら嬉しいです。
人格には墓石が残りません。
思い出の遺品も残りにくいです。
自分たちが生きる果てに、統合や消失でひとつになっても、自分は誰かの記憶の片隅に、自分の分も、他の人の分も、こんな人がいたと足跡を残せたら嬉しいです。
檸檬
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