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~西洋思想の流れ~ざっくりと①ソクラテス登場

①ソクラテス登場まで

ソクラテスは古代ギリシャの哲学者。「哲学の父」と呼ばれます。

紀元前8世紀には古代ギリシャの世界観がありました。ギリシャ神話の世界観をもっていたそうです。ゼウスを「万能の神」としたギリシャ神話の世界観ではオリンポス12神をはじめとしてたくさんの「神」がいました。そのころ、ギリシャ神話は主にホメロスの叙事詩「イリアス」と「オデユセイア」から引用した物語からなっています。このころ、ギリシャあたりの地域では、詩人・作家が活躍しています。

ヘシオドス「神統記」

アイキュロス、ソフォクレソス、エウリピデス→悲劇作家

アリストパネス→喜劇作家

当時はポリスという都市国家ができていました。都市が国として成り立っていました。アテネとスパルタとは何度も戦ったポリス同士でしたが、連帯感があったようです。ギリシャ世界では、「ギリシャ世界」と「遠くのところ(異国)」という意識だったようです。

当時のポリスではいい大人が暇(スコレー→スクールの語源)をもてあましていました。奴隷が仕事をしていたんですね。当然、選挙権は成人男子のみ。その成人男子が真っ昼間から「生きるとはなんぞや」「人間とはなんぞや」ということを議論していたんです。

タレス・アナクシマンドロス・アナクシメネス・ピタゴラス・ヘラクレイトス・パルメニデス・エンペドクレス・デモクリトスはこのあたりの自然哲学者です。(ギリシャ自然哲学。紀元前6世紀頃から)

万物の根源(アルケー)は何で構成されているのか?をギリシャ自然哲学者が考えています。

①タレス「水」日蝕を予言。

②アナクシマンドロス「無限なるもの(ト・アペイロン)」

③アナクシメネス「空気」

上記3人は学者。ミレトス学派。

④ピタゴラス「数」宗教と学問を一体化したピタゴラス教団作る。音楽と数を重要視。

⑤ヘラクレイトス「火」万物は流転する「パンタ・レイ」同じ河に二度と入ることはできない。

⑥パルメニデス「有るもの」有るものはあり有らぬものは有らぬ(←存在一元論)

⑦デモクリトス「原子(アトム)」それ以上分割できないもの。



紀元前5世紀頃になると、ソフィストと呼ばれる職業教師が出現します。弁論術(レトリケー)を重視して、論争に勝ち自説を認めさせることが目的になっていきます。勝つことが目的なので、詭弁を用いるソフィストも多かったようです。当時の(カリスマ)ソフィスト:プロタゴラス、ゴルギアス

そんななか、ソクラテスが登場します。ソクラテスのすごいところは「真理はあるんだよ!」と言ったところにあります。真実はどうあれ言い負かすことがすべてになっていた話し合いを「違うだろ!」と一喝したようなものです。ソフィストに議論をふっかけ、「ほら、おまえ知らないじゃん!」と言ったのです。「汝自身を知れ」「自分自身がいかに知らないのか自覚しろよ」とソフィストに言ったのでしょう。議論ばかりで堕落していたアテネ市民に啓蒙していきたかったのでしょうね。アテネ大好きだったんでしょうね。フィロソフィー(知を愛する・哲学)はソクラテスの言葉です。ソクラテスが哲学という学問を作ったといってよいでしょう。

②プラトン・アリストテレス

ソクラテスが処刑されたとき、「せんせ~い」と大号泣したのがプラトン。ソクラテスは書物を残していませんでした。たくさんの書物をまとめたすごい弟子=プラトン。ソクラテスの言動をまとめています。著書「ソクラテスの弁明」。プラトンの弟子のアリストテレス君はもう少しスマートな青年で、「師プラトンは理想的すぎる」なんて言っていますが、この3人(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)の流れは直接の師・弟子関係です。

③ヘレニズム思想

紀元前4世紀後半、ギリシャ人(ヘレネス)中心の都市国家は、マケドニアのアレクサンドロス大王による東方遠征などの混乱で政治的な独立を失います。ギリシャ人は東方に移住させられたことから、ギリシャ風の文化(ヘレニズム文化)が地中海沿岸に広がります。ここで、ポリスの一員としてのわたしではなく、世界の中のわたし(世界市民・コスモポリテース)という意識が芽生えてきます。

そのころ、エピクロス派(紀元前341頃~紀元前270頃)が台頭します。快楽主義と言われていますが、「飲めや歌えや」ではありません。どちらかというと引きこもりに近い感じです。「隠れて生きよ」が信条だったりします。快楽とは心身の苦痛や魂の不安から解放された状態(アタラクシア・魂の平和)と説きます。

同じ頃、ゼノン(紀元前335頃~紀元前263頃)が禁欲主義をときます。「人間は理性に従うことで怒りや肉体的欲求などのパトス(情念)を抑制し、幸福になれる」と、ときました。個人主義の祖といわれています。ストア派に分類されます→ストイックの語源。

ローマ帝国では多くの賢帝が登場します。

古代ローマの人々

キケロ(前106~前43)政治家。共和制支持したのでカエサルに嫌われる

セネカ(前5~後65)暴君ネロの師。ネロによって自殺に追い込まれる。

エピクテトス(55~135)哲学を学んで地位を得た。もと奴隷。

マルクス・アウレリウス(121~180)アントニウスとも。五賢帝の最後。

しかし、キリスト教の台頭により思想は混乱していきます。ローマ帝国はキリスト教を国教にしましたが、キリスト=ローマの一神教的な思想とポリス的な哲学とはうまく混ざっていかなかったようにみえます。3~6世紀には、新プラトン主義(プラトン・ストア派の考えを発展させたもの)というやや神秘主義的な考えがでてきますが、逆輸入のようにキリスト教に影響を与えた面もあるでしょう。キリスト教の影響は多大で、ギリシャ思想の流れが再び日の目をみるのはルネサンスを待たねばなりませんでした。