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2度と同じ時はないから記憶に強く残したい

彼女と一緒になってから
3年経った頃
私達は家族へのカミングアウトに踏み出しました。

私の両親は理解が無かったけれど
彼女の両親、姉、兄、その配偶者達、その子供達
祖母、叔母、叔母、従兄弟達

少しずつ一緒に色んな経験をした事で
私を受け入れてくれるようになりました。

最初は彼女の友達として受け入れていた私を
突然実は人生を共にするパートナーでしたと
途中からカミングアウトになってしまったため
とても受け入れるには親は特に葛藤があったのでは無いかなと思うのです。

震災の後にカミングアウトを決意し
その後色んな体験を一緒にしました。

結婚式よりも家族として参加できて良かったと強く感じたのは、やはり緊急時。

義父の癌が見つかり手術、入退院を繰り返した頃や、祖母が亡くなった時
その後彼女が手術をした時など…

悲しみの時の方が家族としてグッと距離が近づいた気がしました。

その後楽しい事も苦しい事も
一緒に経験をして
今は本当に父や母となんでも話せる。

私と彼女が不穏な時期は私は泣きながら義母に相談したこともあったし

私が仕事で独立した時は義父は
何度も手伝ってくれた。

本当にねこんな風になっていけるとは思ってなかった。

ただ、彼女と幸せになりたかった。
彼女と幸せになる上で彼女の家族は切り離せない存在だった。

今こうやってお互いを大事な存在として思っている事が嬉しい。

今日は両親と、義理と姉家族と我が家で食事をしていた。

義父が、のんちゃんありがとう。のんちゃんは我が家のキーパーソンだ。

と言ったので、私はなんだか…

心がギュッとなって

みんなが帰ってからその温かさに
食器を洗いながら何でだかポロポロ泣けた。

ゴミ捨てに行ってくれていた彼女は
帰ってきて私が泣いていたのでびっくりしていた笑


私が泣けるのは辛いからではなく

こんな時間は奇跡のようだと思うから。

家族であっても理解できないという事実もあることを知っているから余計に。

目の前にいる人たちを懸命に見つめて
私は大切にしていきたい。


この髪は姪っ子ちゃんが編んだもの

生まれた時から私達の存在がある姪っ子ちゃん。

彼女の年齢と私達が共に過ごした時間は同じだけ。

彼女はよちよち歩いて
お話できるようになった頃から

家族で食事をしている時に私のところへ来て
私の髪を編む。

卑弥呼のような髪型にされる事もあったのは
今でも家族の中での笑えるエピソード笑

そして今夜も編んでいた。

もう高校生になるからねぇ。
もうこうやって髪を触りにくるのも最後かもなぁとほんのり、切なく笑

1人思っていた夜。


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