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いいなポイント。

先週は土曜日、日曜日と続けて音もだちのライヴイベントやライヴパーティに顔を出しました。それぞれとても楽しく、日曜日の方はまったく予想していない状態で演奏もさせてもらったり。

両イベントとも、コピー・オリジナルまぜまぜの構成でした。当たり前ですけれど、50代通り過ぎてオリジナル歌ってる人はそうそういない。Charさんが50代通り過ぎてからしばらくオリジナル曲リリースしなかったの見てずいぶんもどかしい思いをしたことがありますけど、自分がその年になってみて思う。年相応という言い方が正しいかどうかはわかりませんが、その年に何を歌うかというのは、芸風と言っちゃなんだけど、やっぱり合う合わないを気にしてしまうと、ためらってしまいます。まあCharさんがどう思っていたかは知る由もありませんけど、孫目線の歌をそのまま歌っちゃうまではやっぱり時間が必要だったんじゃないかと思ってしまいます^^。

なんでこんなことを書いているかというと、土曜日に見に行ったイベントで、トップバッターのI氏が「昔のオリジナルを歌うのは歌詞がなかなか気恥ずかしくて歌いづらい」と言っていたから。高校生くらいから歌詞を書いている人は、そりゃ背伸びして書いたものもあるでしょうからそういう気分になるというか、書いた時の気分というか自分を思い出すからかもしれませんけど、僕はそういうのがすごいなと感心して見ていた方なので、背伸び上等で知らん顔して歌ってほしいなあと思うほう^^。

「言わずにはいられない」くらいな気持ち、というのが原動力なんでしょうけど、そういう意味ではプロのみなさんはそれをコンスタントに出し続けないといけないので大変だろうなあと思います。

この数週間は、個人的に好きなひとたちのリリースラッシュでした。緑黄色社会と山本彩嬢。

リョクシャカとさやねえはそれこそそれぞれの芸風とか跳ね方があって面白いんですけど、両者に共通するのは言葉の選び方の絶妙さ。長屋さんは単語、さやねえは視点。フォーカスの仕方がとても素敵です。この人たちの言葉の選び方はすぐ隣にあるような言葉を上手に選んでいる。この時代にそういう感性ってすごいと思います。

むかーし僕が書く歌詞をある人から「優等生」と評されたことがあって、そのひとはどういう意味で言ったのかわからないんですけど、僕はそれを聞いた時にどっちかというと「そこ聞いてくれてうれしいな」と思ったのです。歌詞には立ち位置がある。壮絶にマイナスの経験をしている人が書く暗い歌と別にふつうの人が書く暗い歌ではベクトルが違います。同じマイナス2の歌でもマイナス10から見るマイナス2とプラス5から見るマイナス2は違うはず。言葉ではなく空気感。そこを書いている。聞いている人にハマるポイントがあって、まあインストでもきっとそこはあるんでしょうけど、やっぱり歌詞は面白いと思う。

うちのバンマスからは「読んですぐ絵が浮かぶような歌詞」じゃないとメロディーが出来ん!と言われます。まあそうなんですけどね。たいがい怒った時にしか歌詞書かないので、それを上手に消化/昇華するのが難しい^^コピーしながら精進します。

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