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日常。

すべてをnoteに切り替えて、よかったことは直感的にすべてのコンテンツをコントロールできること。これはふるーいHTMLサイトを動かしていたときにどうしてもスピード感が出せず――まあそれは自分の腕のせいなんですけど――そこが改善できたのは本当に大きかったです。

反対に困ったことは――まあ困ってはないんですが、難しいなと思うのは、ここnoteの性格でもあるだろうし、その方が健全だとも思うんですけど、少なくとも僕は、ネガティヴなことを書きにくいな、というところです。

もともと外に向かってやっていることですから、実際にはここに書いてることにも、書いている段階というか、書くことを決めている段階でまずフィルタがかかっている。基本的に、書き始めたころに比べるとネガティヴな内容は圧倒的に減らしています。それは理由があって。マイナスの書き込みはマイナスな感情やコメントを引き寄せるからなんです。これは20年ちかくやってきて確信している。負の感情には魔力/磁力があります。呪いと言ってもいい。払いようがない。「同意」が同意にならない。「一緒に堕ちていこう」みたいな感じになる。あれは恐ろしいと感じます。だからある時期から書かないようにしようと決めた。ところが。日常の中においては「それでも」書きたくなるような「マイナス/ネガティヴ」な出来事が起こります。それが個人的なものであっても、あるいは社会的なものであっても。まあこのへんをどう昇華するか、あたりが腕の見せ所なんでしょうけどね^^

で、どうするか。当初はあれこれ、のんきなことを書こうかな、みたいな感じでした。だけど、自分の感情に嘘をついてまで書いてもねえ。プロじゃないし、そこには技術的に限界もあります。で、こんな感情はやっぱりなあ、と思って発信するのをやめちゃう。いまここ。noteには連続投稿するとバッジをくれるというラジオ体操のカードみたいな継続応援システムがあるんですが、これが途絶えちゃうから、ちょっと罪悪感さえ感じる(おおげさ)。

こういうのはまあ、18年19年やってきて極めて珍しいんですけどね。ひとつは、新しいプラットフォームに来たから、まだまだ使い方に試行錯誤している証拠かもしれない。もうひとつは、当然それに見合うだけの、とんでもない、たいへんなことが世の中で起こっているからですよね。こないだ岡本おさみの詞を上げたのはそういう意味です。僕はあの歌に助けられている。「毒が空をめぐってる」。もう一回リンクしましょうか。

結果的に、何も書かないことを選んできました。この2週間あまりで過去のアーカイヴ記事上げた以外は、エントリは3つ。いわゆるSNS——twitterとかを見ていても、僕の好きな人たちは多くを語らないですね。だから好きなんだけど。そのせいで、どんどんフィードがヒステリックになっていく。やっぱりね、どんな内容だろうとセンスが要ると思うんですよ。字面読み消化不良自分勝手解釈人間の書き込みが増えて、2年前の春先みたいにミュートすることが増えました。なんなら意地になってミュートしてる(笑)。俺は見なくなったりしないぞ。俺の欲しい情報を邪魔すんな、みたいなね^^。

そういった意味では、このnoteって本当によくできてると思うんですけど、荒れないですね。素晴らしい。だからこそ、僕もいま書きにくいなあと思ってますけど(苦笑)。まるで、凛としたライヴハウスみたいな感じです。技術を必要とする場所には、やっぱり線を引く存在というのが必要です。そしてそのステージに上がれることを目指される存在である方が健全。あんまり好きじゃないけど、ひろゆきという人が「誰でもはいれるようにしちゃうとそこは荒れる」みたいなことを言っていたけど、その通りだと思います。

そのうえで、ここで何を言うのか。今ここ。そう言われるとねえ(汗)。というわけで、今書きあぐねてる、っていうのを書こうと思ったという話でした。お付き合いさせてすみません(大汗)。でも。毎日変わらずFacebookやインスタ、ツイートとかで毎日の書き込みを続けてくれている遠いところに住んでいる友人のあなた、あなたの書き込みのおかげで僕は助けられています。これを言いたくてここまで書きました。ありがとう。

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