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トーチライト。

数年ぶりに山下達郎のコンサートへ。「こんばんは大分!4年ぶり!」的な感じだったので4年ぶりなんでしょうけど、前回は抽選に当たらなかったので、参加していない。いったい僕は何年ぶりに参戦したんでしょうか^^;

ご本人も「満員御礼ありがとうございます」と言われていましたが、やはり昨今の情勢の影響は少なからず感じる部分があります。何より僕らが1階にいることがその証拠だったんじゃないか。彼のライヴを1階で見れる日が来るなんて、というのが今回チケットをダウンロードした時の驚きでした。ファンクラブにも入っていないのにPA席よりも前で見れるなんて!あのテレキャスターの生(じゃないけどまあまあ近い)音を聞けたり、アコギのボリューム(のない音作りとタッチ)を感じたり、1階席はいいですね。上からだと残響込みで聞いているからすごい小さなタッチで弾かれた音までは聞こえてこない。

そういえば。初めて彼のコンサートに行ったのは大学卒業直前の89年3月の神奈川県民ホール。もう33年前。これ、振替公演だったんですね。友だちがマニアックなファンだったので、たぶん誰かの都合が悪くなったかなんかで偶然見れたコンサートでしたが、2階席の一番前くらいだったかなあ。関東では「見れるだけ幸せ」的な雰囲気を感じながら見たのを覚えています。その後日本全国どこでも見れるだけ幸せだと知るんですけどね(笑)。レコードのイメージと違ってまあよくしゃべる人だなあと思ったのと声がすごいなあと思ったのと足が細いなあ(笑)というのと…高校生の頃に読んだGUTSかなんかの誌上レポートと同じだと思いながら聴いていた。CINDYさんがコーラスやっていたころですね。すごく印象に残っている。

今回、なぜそのことを思い出したかというと、ある出来事があって。その日「山下達郎に行くならクラッカーを持っていかないと!」って言ったら何言ってんの?みたいな感じで…実はその友だちもその時初参戦だったんですね。僕は前述の雑誌の記事で特にそこが印象に残っていたのでそこにはこだわった。ただ、そのとき僕はLet's Dance Babyの曲も聴いたことなかったんですけどね(爆笑)。クラッカーだけ持って友達に「始まったよ!」って教えてもらって。無事鳴らして大満足で帰って。

以来、参戦できた時には必ずクラッカー鳴らしてきたんだけど、今回完全に忘れていました。イントロが始まった瞬間、思わず「うわしまった忘れた!」と口走ってしまいうちの奥さんにきょとんとされるという^^;…曲名ネタバレですみません。でもいいですよね。絶対やる曲だから。ご容赦ください。

ネタバレなのにあえて書いたのには理由があって。それが今日のタイトルの意味です。王道には意味がある。王道という言葉が合わなければ、定番、という方が正しいんでしょうか。定番を揶揄してマンネリという人もいるかもしれないけれど、誰かがブレずにいてくれることが、弱っている誰かの支えになることがある。一曲目のカッティングが始まった時に感じたのは高揚とともに安心でした。ここにいられた、という実感をさせてくれるもの。今、僕にとっての音楽はそういうものになっているのかもしれません。それが、この3年だからなのか、今の年齢だからなのか、その両方なのか、そこはよくわからないんですけれど。少し前に、チケットを買うことで未来を買っているということを書きました。明日何が起こるかどころか今日何が起こるかさえわからない中で少し先の未来への―文字通り―「片道切符」を買っている。その日にたどり着けたという「安堵」をきっと一曲目で感じたのでしょう。それはもうなんかわからないままに波にのまれて3年間流され続けて、ふとつかんだ流木のような感じです。とりあえず、まだ生きていられた。そんな感じ。なんでそんなことを感じてしまうのか、そのことが異常ですよね。病んでいる。暗いわー我ながら。なんだろうな。それが自分なのか、世の中か。どちらにせよ音楽に助けられている。暗闇の中のトーチライト。そんなことを思ったのは初めてじゃないかなあ。毎日普通に暮らしているつもりなんですけど…こわいこわい。


6時から9時まで圧巻の3時間弱。「こんな時だから少しでも明るくなるように」と選ばれた曲でとても元気になりました。とっても好きで自分でもやってるけどご本人のライブでは初めて聴いた曲もあったかな。それにしてもどういう鍛え方をすればあのショーができるんでしょうか。一切のエクスキューズがないんですね。ものすごい集中力。歌詞カードなんか見ない。先達の凄みを改めて目の当たりにした夜でした。音楽がやりたい。そういう気持ちにさせてもらえた夜でした。

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