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ノイズの有無。

先日キヨシロー本の話を書いた時に書いた本を買って来ました。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか。

ベストセラーなようですね。ということはそう感じている人が少なくないのでは、なんて思います。僕と同じようにドキッとして、手に取ってみた人が多いのではないでしょうか。

子どもの頃、住んでいた街には3軒本屋がありました。小さな街の小さな本屋は売れ線の品揃え中心になる。レコード屋のジャケ買いのような出会いはほとんどありませんでした。年とともに大きな本屋のある街に住みたいなという思いが強くなって行った気がします。別にね、図書館とか行けばいいんだけど、そこでもね、なんかうまく自分の読みたい本を見つけられなかったんですよね。たまにちょっと離れた街の本屋とか行っては、そういう場所が日常にある生活に憧れていました。

大学に入って、横浜駅を毎日使っていました。有隣堂。前も書いたことあるけど、文庫本を何冊も抱えてレジに並ぶ人たち。それはほんとうに驚きでした。日常の中に読書がある。同級生で浪人経験ある友だちが僕がタイトルしか知らない本の話を語り合う。読書する環境に憧れてはいたけど、実際にそういう環境になってみるとただただ自分の無知さを思い知るばかりで。

本を読む意味は人それぞれでしょうけど、僕はもう単純に言葉が欲しかっただけですね。何度も何度も書いてるけど、ほんとうに話が下手でですね。自分の気持ちとか意見とか言える人がほんとうに羨ましくて。それのヒントとか欲しかったんですかね。自分のものを知らない感じにそれなりに危機感があったのかもしれません。読めばなんとかなるというものでもないですけどね。

自分から求めて、それもなんらかの意味やらを求めて本を読むとかいうのはやっぱり大学以降かなと思う。こないだの教養云々の話で言えば、読書って漢方薬みたいなイメージなんですよね。読んだその時に即効性があるとは限らないけど、しばらくして「ああ!」みたいに効いている「ことがある」。いや「こともある」かな。「対話だ」みたいに言う人がいるけど、そういう意味では、自分が読んだ時にその作品に対峙できる精神状態だったり精神年齢だったりするとは限らないので、バッチリハマる時もあれば「?」と思っていたのがすごく長いスパンでブーメランのように戻ってきたり。それが面白いと思うんだけど、これもたぶん僕にしか当てはまらないのかもしれません。

この本では、忙しいと本が読めなくなるというのを、労働をふまえた視点と読書に求めるもの視点で明治から大正、昭和、平成、そして現代までを俯瞰しながら社会の中における読書というものの立ち位置を冷静に分析しています。明治に始まって、大正、昭和、そして戦後の60年代、70年代、80年代と自分も時代の風がイメージできる部分を読んでいて、あれ?これは…出し方は違うんだけど、今年の春先に読んだ「方舟を燃やす」を思い出すなぁと思いながら読みました。

こっちは小説ですからより登場人物の主観的にその時代が語られますけど、ちょうど同じ時代を違う角度で語っている作品が今年読めるのはちょっと面白いですね。

読んでいて強く感じたのは、世の中の流れというものをどう捉えておくべきか…まあべきというか、理由もなくそういうふうになってないというのをわかっているかいないかって大きいなって。わかっていないと風を読めないですよね。どこに立つかにもよるけど。

そういう意味で、90年代以降の話は、まさに僕自身が「働いてきた」30年あまりの期間で。この間の価値観の変化は、実際に感じてきたものでもあり、的確な言葉と膨大な読書?調査?による裏付けでとても腑に落ちるものがありました。いやーこの人すごいなー。

長年自己啓発本に感じてきた違和感もこの人の言葉でストンと落ちるものがありました。

そして、現代における観察。この10年くらい、新聞を読まない若手が増えました。ニュースといえばLINEニュースとかYahooニュースを見ていますと言う。ノイズ。ノイズの有無。好きな情報がすぐ手に取れるところにある。余計な情報を見ることなく欲しい情報にたどり着くことに慣れている。言ってみれば、ノイズだらけの中から苦労してその番組に辿り着いていたAM放送を聴いていた僕らとradikoでノイズなんてなく聴ける今の若手とではそもそも共有できるものはないのかもしれません。そういう意味では、僕らが口を酸っぱくして語りかけることも「ちょっと何言ってるかわからない」レベルなんでしょう。

かと言って、「欲しいものがいつでもかならずすぐ手に入る」というのはなかなか現実では難しいですよね。つまり社会生活はノイズだらけ。ほぼ自分の意思どおりにコントロールできない。ノイズの中から欲しいものを拾い出す、答えを出すという力はかならず必要になると思いますけど、現状は今の若手には逃げられない社会に出る瞬間、あるいは初めて失敗する瞬間までなかなか思い至る機会がないのかもしれません。

読書論と思って読み始めたこの作品でしたが、社会学的なニュアンスの強いもので、とっても勉強になりました。時代は変わる。

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