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デザイン名著よみとき|多元世界に向けたデザイン

『AFTERNOON RADIO デザインのよみかた』最新回が更新されました。

今回はひさしぶりのデザイン名著よみとき。この春に刊行されたアルトゥーロ・エスコバル『Designs for the Pluriverse』の日本語訳版『多元世界に向けたデザイン』(翻訳: 増井エドワード、緒方胤浩、奥田宥聡、小野里琢久、ハフマン恵真、林佑樹、宮本瑞基/監修: 水野大二郎、水内智英、森田敦郎、神崎隼人/株式会社ビー・エヌ・エヌ)をあつかっています。

テクストだけで500頁を超えるマッシヴな一冊。人類学の視点に主体があるため、ふだんデザイン書にふれる感覚では、すこし読解に苦労する内容。さらにその二割ほどのボリュームを注釈や出典がしめる。正直、僕個人としては、これまでのよみよきシリーズのなか、いちばんスムーズに読みすすめられなかった一冊でもありました。

『多元世界に向けたデザイン』というタイトルのとおり、コロンビア系の人類学者であるエスコバルの視点は、近代における「北側諸国」に対しながら、多元性を論じているようにみえます。

よみすすめるなか「あ。これ自分とはバックグラウンドが全然異なるはなしだから、完全にはよみとけないな……」と気づいて。鈴木大拙やら柳宗悦やら、そのあたりのはなしをスライドさせながら咀嚼してゆきました。いくらか強引ではあるけれど「多元世界」と「デザイン」をかんがえるうえで、こうして「自分たちにとって、それに相当するもの」の経由は、あながちまちがいでもない気がします。

いわばことなる文化圏の思想に触れるとき、共通する普遍性とともに、そもそもから違うところも、たしかに存在する。かならずLost in Translationは起きてしまう。

(翻訳文ということもあるけれど)多元性をふまえ展開されるエスコバルの論も僕としては、どこか主体性が強すぎるようにもみえてくる。それは英語やスペイン語をはじめとするアルファベット語圏において、言語構造が主語+述語なるように、大前提として主体と対象が分節されていることが影響しているのは、まちがいないでしょう。

ちょっと脱線。アルファベット語圏では、しばしば男性名詞/女性名詞があるわけで。こうした言語圏ですごす人々にとって昨今の性における多様性は、日本語文化圏とはまたちがう感覚がありそう。さらにいえば、Artを「美」の「術」と、いくらか誤訳めいたことばで理解している僕たちと、それを技芸として認知している文化圏では、またことなる意識が働いているはず。

近代が文明的、つまりインターナショナル/グローバルだった時代だったとすれば、そこにはある種のコロニアル性も内包されていることになる。ここからエスコバルのいう多元性・多様性な世界に移行してゆくとすれば、彼の論を参考にしつつも、自分たちにとって、それは、いったい何に相当するのか——つねにその意識をもちながら、よみといてゆく必要がありそうです。あたりまえといえば、あたりまえだけど。


12 July 2024
中村将大

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