最近のお気に入りアルバム10枚

ふと思い立って最近よく聴いているあまり新譜過ぎないアルバム10枚について書いていきたいと思います。昔からのお気に入りも最近のお気に入りも混ぜこぜです。
特に特定のジャンルとか統一感とかはあまり無いと思いますが、極めて個人的に、2022年現在に聴いてこそという感覚になる10枚です。話は脱線しつつ思うまま書いています。ではお手も柔らかにどうぞ。

The Toys「Sun」
近年のタイポップスを代表する若手の一人であり、今最も新作が楽しみなミュージシャンThe Toys。この2018年リリースの1stアルバムはFMシンセが鳴り響く80年代風ポップスを現代的に落とし込んだメロウな一作。
ただはっきり言ってしまえばこの1stをリリースした後の諸作品の方がさらに一皮むけた白眉の出来揃いで、それによる来る2ndアルバムへの期待が積もりに積もって今はこの1stを聴き倒しているというのが現状の自分と言えます。特に2021年下半期最も聴いた曲と言って過言でない「เมะ (kiss by kiss)」などはどのような言葉も追いつかない傑作。「งูงู้ (Snake)」もまさかのポストロック系統のハードコアな作風で新鮮な驚きを提供してくれました。多幸感と切なさに溢れる中華風ポップス「อาหมวยหาย (阿妹走)」にレトロなシンセが鳴り響くブギ風リズムの「TO THE NEXT GENERATION」…、やはり期待しているミュージシャンがその期待を超える新作を発表してくれることほど嬉しいことはそうそうないなと思わせてくれます。
とはいえこの1stも大ヒットを記録した「ลาลาลอย(100%)」を筆頭に非凡なポップセンスを見せています。やはり2ndアルバムが非常に楽しみ。こんな素晴らしいミュージシャンがいるタイが羨ましくなります。米津玄師と交換しませんか?
またタイポップスはこのThe Toysに限らず、Morvasu、LUSS(chelmicoとのコラボは良かった)、Plastic Plasticなどが現代的で個性豊かなポップスを輩出していて自分の中でますます注目度が高まっています。

Aca Seca Trio「Aca Seca Trio」
ジャズやポストクラシカル辺りを参照していこうかなと思いつつも、やはり自分は元来そのあたりで育ってきた人間ではないので、良いなと思ってもどこか居心地の悪さを感じたりします。
個人的に好きなのはジャズを一要素としつつ、何か別の景色やイメージを押し出すような感じですね。例えば70年代邦楽のフリージャズは国産サイケと親和性の高い独特の粘りというかいなたさがあって好きですし、あとは録音黎明期のクラシックジャズは音の悪さがそのまま時代を感じられて良いですね。ラグタイムジャズや20年代のビッグバンドジャズも同じく。
そういう点では、Maria Schneider Orchestraはドラマチックな映画のように横軸の景色が感じられて好き。現代UKジャズの代表格であるShabaka Hutchingsを中心とするSons of Kemet(残念ながら解散しましたが)はニューオーリンズであったりカリブやアフロなどな景色がじんわりと見えてくるのがとても好き。UKジャズを表現する際に使われる言葉”jazz not jazz”とは言い得て妙です。
というところから若干ワールドミュージック的に傾いていきAntonio Loureiroに行き着いて、傑作「So」を…と思いきやそのラストの「Luz da Terra」に参加しているということで、現代アルゼンチンフォルクローレの旗手、Aca Seca Trioからこのアルバム。やはりこの1stの1曲目「Adolorido」に代表される美しく流麗なコード、そして卓越した演奏。ギターピアノドラムだけで奏でられているとは思えないほどに丁寧に重厚に織り重ねられた音はジャズと表現されることも時にはありながらもやはりジャンルは不明瞭、しかし写真や映像でしか見たことのないアンデス山脈の雄大な自然が心象として浮かんでくるかのようです。
ところでAca Seca Trio——アカ・セカ・トリオってなんか名前ダサくね?と思いませんか?実際のところ地元では相当如何わしい名前のようで、その意味は”乾いた糞”。どうでしょう、こんな名前から一体どんな美しい音楽が出てくるんだと興味が湧きませんか?

Fleetwood Mac「Rumours」
70年代を代表する傑作にして、近年さらに評価を高めている印象がある定番の名盤。もともと自分はEaglesの「Hotel California」が好きで、「Rumours」は同時期に大ヒットを記録した西海岸風のロックアルバムとしてよく比較される…というイメージでした。音にしても「Hotel California」の重厚で壮大なサウンドに対して、「Rumours」の最小限で簡素なサウンドという地味な印象が拭えないものになっているため、大昔に少し聴いて良いアルバムだなと思ってそのままでした。
しかし、最近の評価の高まりに応じてこっそりと聴いてみたところ1曲目の「Second Hand News」が急にぶっ刺さり(改めて聴いてみればいわゆる喫茶ロックが好きな自分に刺さらないはずがありません)、大ヒット作の「Dreams」もやっぱりスカスカな音は良いなとなり、そして他の曲も徐々に刺さっていく、という形で最近の愛聴盤に相成りました。リズム隊が揺るぎないバンドサウンドの骨を作り上げ、そこにBuckingham Nicksを中心としたソングライティングが彩りを加えるというスタイルは、何処か現代のDAWから生まれるリズムを軸にした曲作りと通じるものがあり、そこが近年の高評価に繋がっているところと思われます。
ただそこを考慮しなくともシンプルなポップスとしてのシンプルな良さは、メガヒットに相応しいエヴァ―グリーンな名作。ヒット作はその時代の空気さえ閉じ込めつつ、その上で時代を超えてしまうような不思議な空間を作り出す魔力がある。

Paul Simon「Still Crazy After All These Years」
Paul Simonの作品としてはソロなら恐らくまず「Graceland」が挙げられるし、それ以上にそもそも傑作揃いかつ音楽史上でも重要作の多いSimon & Garfunkel諸作品をまず聴け、となるのでやや影が薄い印象がある本作。一方で、「Graceland」はアフリカ音楽をフィーチャリングしている異色作だし(とはいえらしさもちゃんと有りはするけれども)、Simon & Garfunkelは当然フォーク/フォークロックな訳なので、スタンダードなポップスという点でこの「Still Crazy After All These Years」こそをまず最初にお薦めしたいです。
とにかくPaul Simonというミュージシャンの底知れ無さに最近ますます慄いています。現状最新作の「Stranger to Stranger」なんてとても70を超えた人が作るアルバムではなくて、ビートの感覚も実験的なサウンドもあまりにも挑戦的。全米3位、全英1位というセールスを記録したことも頷ける恐ろしい内容。翻ってSimon & Garfunkelの代表作「Bridge over Troubled Water」を聴いてみれば、例えば「Cecilia」の現代的なアイデアに相変わらず魅了されてしまう。もちろんこれはPaul Simonのソングライティングが先進的であるのみならず、英米のミュージシャンがルーツをしっかり意識した曲作りをしているからこそのものでしょう。Adeleの「Oh My God」~「Can I Get It」辺りなんか直接影響を受けているのではないかと思うほどです。
そんな中で「Still Crazy After All These Years」は多方面にバランスの取れた内容と言えます。70年代的な程よいレトロな曲調を基本としながら、Paul Simonらしい滑らかなメロディーと一風変わったビート。冒頭でスタンダードなポップスとしたものの、その上でアーシーな匂いが通底する、何処を切っても確かな色のついた独創的な名作。

メトロファルス「Limbo島」
昔から大好きなバンドであるものの、最近になってさらに多大なる影響を受けたくなるところとなるメトロファルスからは「Limbo島」。個人的な最高傑作は奇想天外度が高いという点で「風狂伝」なんですが、聴きやすさ的にもバラエティ豊かさ的にもお勧めしやすいのはやはり一般的に代表作とされるこのアルバム。何しろ冒頭のタイトル曲のイントロからもう最高。アイリッシュな空気を湛えながらも、しかし何処の地域かも絞り込めない闇鍋な音楽こそがメトロファルスの真骨頂。そこから曲順を下るにつれ、イディッシュ、ブルガリアン、ロマ音楽や昭和/戦前歌謡に、果てはダビーなレゲエなども混ざり込む。そこに如何わしくも色気たっぷりなボーカルが乗りつつメロディーは最高にキャッチー。サビになればもはや大合唱。
そんなありとあらゆる要素がごった返す音楽性をまとめていたとされるのが当時在籍していた横川タダヒコ氏。P-MODEL在籍時の「カルカドル」も氏の影響色濃い異色の名作とされていることもあり、その手腕はメトロファルスの枠を超えて広く知られていると言えますが、むしろ最も素晴らしい働きを見せたメトロファルスでの仕事が陰に隠れすぎているのではと思うところ。
例えば横川氏在籍以前の「Good morning Mr.Talisman」などはロックバンド然としたサウンドのニューウェーブ的名作ではあるものの、あまりにも混然とした内容はとっつき難さと共にあるところもあります。それを考えると本作「Limbo島」は楽団のようにさらに自由な演奏がありながらもまとまって聴こえるのが横川氏の貢献なのだろうと感じられます。
とはいえそんなまとまりも、そもそも冒頭で示したようなメトロファルス本来の闇鍋があってこそでなければ特別なものではありません。憂き世の悲喜交々がありつつ、音楽を鳴らす歓びとはこういうものだと感じさせてくれます。多彩なビートと楽器で描き出すのは音楽の原風景。

ムーンライダーズ「アニマル・インデックス」
ムーンライダーズは70年代の”既に完成された完成途上”の風格も良いし、90年代以降の風通しの良いポップさも好き。しかし80年代こそがやはり格別です。XTCの影響色濃いニューウェーブに本格的に傾倒した「カメラ=万年筆」、インダストリアルな実験作でありながら超キャッチーな熱き浪漫「マニア・マニエラ」、抜けるほど明るくポップな「青空百景」、外部プロデューサーを起用してトータル的にまとまったドラマチックな「アマチュア・アカデミー」、個別制作の妙「アニマル・インデックス」、ダイナミックなバンドサウンドにして休止前の集大成「DON'T TRUST OVER THIRTY」…いずれも捨てがたい傑作揃いの中で、個人的に一番好きなのは「アニマル・インデックス」。
兎にも角にも、それぞれの楽曲にぶち込まれたアイデアの数々が最も独創的なのが本作だと思います。1曲目の「悲しいしらせ」からしてもはや意味不明に細かなニュアンスを消した打ち込みコーラスによる謎サイケ。そしてラストの「歩いて、車で、スプートニクで」のノイジーなSE、混迷したかのような奥行きの深い音響、ポップかつダウナーなメロディー。この鈴木慶一氏作曲のオープニング/エンディング曲こそがこのアルバムを象徴しています。
そもそもこの「アニマル・インデックス」は各メンバーが2曲ずつ作曲した全12曲で構成しており、さらには制作自体もそれぞれで別々に行っています。それぞれの楽曲がそれぞれの個性をはっきり出している上で、しかし動物をコンセプトとしている共通点が程よい統一感を呈しつつ、独特の閉塞感を作り出しているのがまた不思議な魅力。行き詰った真夜中、ひたすら聴いている内に混沌としたサウンドに身も心も沈んでいきます。月のように明るい面と暗い面の両面を持っているところもムーンライダーズというバンド名に相応しくもあり。
言ってしまえば80年代ムーンライダーズは、前面に押し出されているセンスの面では古臭い音楽であることは否めないと思いますが、少なくとも自分の中では聴く度に新たな発見があるような詰め込まれたアルバムばかり。今だからこそ、この凄まじい曲の構造に心地良く驚いていたくなります。

snow mobiles「冬の明け空 -EP」
色々と音楽を聴いている内に”期待する”ということに関してとてもドライになってきたように感じます。例え気になっているミュージシャンの新作が期待外れだったとしても、別に他にも好きなミュージシャンはたくさんいるし、それ以上にまだ知らない音楽もたくさんあってそちらを聴いていけば必ず素晴らしい音楽に行き当たるので、そもそもがっかりする意味が無い。そういうことを繰り返している内に、結局音楽が良ければそれで良く、個人に期待すること自体が的外れなことだという感覚になってきました。しかしその分、圧倒的な新作を聴かせてくれるミュージシャンに対するデカ感情は反動のように膨らんでもいます。THE TOYSの項でも書きましたが、極めて数の少ない、期待しているミュージシャンがその期待を超える新作を発表してくれることほど嬉しいことはそうそうないということです。
その中で大体5年くらい前から、この人たちの新譜を聴ければ思い残すことなく死ねるな、と思っているミュージシャンがいて、それがb-flower、snow mobiles、シガキマサキの3組です。この内b-flowerは2021年についにアルバムを発表し(当時の感想記事はこちら)、snow mobilesは2019年にEPを発表したため、望みの半分くらいは実現したことになります。snow mobilesは引き続きアルバム制作を行っているらしく、忘れた頃に出るそうなので気長に待っています。シガキマサキ氏は数年前に別名義で久々の新曲を出した(これも素晴らしかった)ものの、新譜制作の話等は聞かないのでそもそも今後あるかどうか…いずれにせよこちらも気長に待っています。
本作はその2019年リリースのsnow mobilesのEP。童謡風のメロディーにシンセポップなサウンド、そして従来作と比較してロック色が強くなり、圧倒的にリズムが豊か。8年ぶり新作でもらしさはそのままに順当進化した内容です。一聴すると毒の無い、当たり障りの無い音楽。しかし、例えば折原氏はThe Cureの「disintegration」を公式サイトでフェイバリットに挙げたりなどしていますが、それに相応しい音周りの発想が垣間見えます。リリース当時あまりの素晴らしさにtwitterで狂喜乱舞しましたが、今なおその時の感覚のまま、生涯かけて愛聴していく作品だろうなと感じています。
そもそもsnow mobilesにこれほどの思い入れを持つきっかけとなったのはアルバム「風note」と2011年リリースの楽曲「夕景の魔法」です。「風note」はnice music/microstarの佐藤清喜氏をプロデューサーに迎えたことで、従来のYMO的オリエンタルなテクノポップに加えてBeach Boys的コーラスワークのソフトロックとシンセポップを邂逅させたことで一気にその独自性を開花させた傑作。そして「夕景の魔法」はsnow mobilesのファンになってから初めての新曲。これが今までに出会った中でも最高の名曲の一つで、これによって自分にとってのsnow mobilesが如何に特別かということが確定したようなものです。
「冬の明け空 -EP」はこの”生涯最高の名曲”から8年振りの新作という上がりに上がり切ったハードルを正攻法で飛び越えてくれた作品。twitterで狂喜した訳も分かって頂けるでしょう。やはり何度も言いますが、期待しているミュージシャンがその期待を超える新作を発表してくれることほど嬉しいことはそうそうありません。

HEAVEN「快晴予報」
HEAVENの最高傑作はこのアルバムの前作の「UNNATURAL GROOVER」かと思われます、というか「UNNATURAL GROOVER」は邦楽史でも類を見ないほどの傑作だと断言できますが、その割にはあまりにも知られていなさすぎるのではと思わざるを得ないです。打ち込みのリズムと塚本晃氏のギターに乗っかるスピリチュアルな歌詞が生み出す酩酊感。中村敦氏のカリスマ性のあるボーカリゼーションはアイデア溢れるメロディーの上で、言葉では言い表せない説得力を持ち雪崩込んできます。そうです、あらゆる名作はどんな要素を切り取って説明したとて何ひとつ伝えられないような得も言われぬ説得力があり、「UNNATURAL GROOVER」もまさにその一つであると思うところです。
そして今回取り上げる「快晴予報」はよりリラックスした内容になり、全16曲というボリュームはかなりのものではあるものの「UNNATURAL GROOVER」のエグめな説得力が抑えられ、より普段聴きに適した内容になっています。リズムはワールドミュージック的に幅が広くなり、音の重ね方もさらに混沌としつつ曲調もはちゃめちゃに発散しています。HEAVENは楽曲コンセプトをじっくりと作り込むために打ち込みを多用していますがその質感はややあっさりとしたもので、思索に耽る歌詞との共存がHEAVENの録音物の醍醐味の一つでもあります。「蟻の群」における「擂り鉢の中に答えがあるなら  僕は毎日自惚れよう」というフレーズはその象徴と言えるでしょう。前作から一歩進んだ打ち込みを軸にした曲の作りであることを考えると、今聴いてしっくりくるのはこちら「快晴予報」の方でしょう。
一つ少し気になる点と言えば、音の仕上がりが90年代的にややペラペラしているところ。例えばやや似たような曲調を有していると感じる高橋徹也「REST OF THE WORLD」(こちらはよりフィッシュマンズやベルリン時代のDavid Bowieの影響が色濃い)は、制作が90年代でマスタリングが10年代に行われたものですが、それだけでもそれなりに現代的にレンジが広く聴きやすくなっています。せめてマスタリングだけでも…と思いますがちょっと難しそうですね。
また、HEAVENのもう一つの真骨頂は弾き語り形式のライブにあります。あまり良くないことではありますが、昔聴いた「花咲く頃は遠く過ぎても」の密録音源はあまりにも衝撃的すぎて音楽観がひっくり返る程でした。歌ってあんなに崩れても上手い歌として成り立つものなんだと思いました。あれを聴かずして”心のこもった歌”の話ができるわけが無いんですよね(海賊版を聴いただけのことで何を偉そうに…)。
ちなみにもう一つのアルバム、前々作の「WONDERFUL LIFE」は驚くほど駄作です。比較で聴いてみるのも面白いほどです。

鈴木祥子「鈴木祥子」
鈴木祥子氏と言えば職人的なソングライティングを軸に完成度の高いポップスを多く輩出しつつ、また数々の楽曲提供でもよく知られているシンガーソングライター。知名度の高い初期の作品や代表作としてよく挙げられる90年代半ばの作品は堅実に作り込まれたスタンダードな印象の強い楽曲が多い。現在サブスクで聴けるのも基本的にその辺りの作品であり、「Candy Apple Red」辺りなんかは中々お目にかかれない名作。
しかし鈴木祥子というミュージシャンの本質を剥き出しにした、聴き手の人生に深い傷を残しうる作品としてこのセルフタイトルアルバムが最重要作と言って間違いありません。本作はピアノの弾き語り、ROVOの芳垣安洋氏と勝井祐二氏によるアヴァンギャルドな音響、そしてカーネーションをバックバンドに迎えたシンプルなバンドサウンドの3つの形式を軸に構成されたプライベートな空気感の作品。全体的にデモ音源のように荒っぽい質感で、サウンドの面では作り込まれた他作品とはかなり方向性が異なります。声が掠れた部分もそのまま、歌詞は内省的で個人的な内容が多くあらゆる方向性で生々しい。その中で曲自体はジャケットの澄み渡った晴天を思わせる、凛としたまっさらな美しさ。ただひたすらに自室のような空間で鳴り響くピアノが魂に寄り添うように歌を引き立てます。そういう意味でやはりPatti Smith「Frederick」のカバーは象徴的と言えます。「ラジオのように」と合わせてカーネーションの抑え気味の演奏がアルバムの全体の雰囲気に合わせつつ作り上げています。そしてピアノ弾き語りの「愛の名前」、「Love is a sweet harmony」、「道」の切実たる歌唱と圧倒的に質実な曲想。
個人の思想を歌詞に反映させ、余計な音を削ぎ落したプライベートな作品と言えばJohn Lennon「Plastic Ono Band」、いわゆるジョンの魂を始めとして数々の名作が存在する中、個人的に最も愛聴している作品でもあります。音楽制作はますます個人によるものに移り変わっていく中で、今後もまた歴史の端々でこうした作品は生まれ続けていくのだと思います。そう思い馳せる時、やはり真っ先に本作に耳を傾けます。

「合成音声ONGAKUの世界」
コンピレーションアルバムというものはしばしばその音楽シーンを紹介する役割を、意図するかしないかに関わらず担うことがあります。例えば映画「The Harder They Come」のサウンドトラックである「The Harder They Come」は70年前後の本格的に洗練されていく前のレゲエを記録した重要な作品とされることがありますし、NME誌が編集した「C86」は80年代UKインディーシーンを代表する名作コンピで、そのまま”C86”の名称がインディーポップの一ジャンル名とされることもあります。近年ではUKジャズシーンから生まれた「We Out Here」なんていかにもそういう性質のあるコンピ。その他にも、個人的には喫茶ロック周辺のコンピから入って様々な音楽に行き着いたりしたこともあり、優れたコンピレーションアルバムの存在は音楽の聴き方を拡張してくれたりと、単なる一アルバムというだけでない一風変わった楽しみを与えてくれると感じます。
そういったところで、本作は2018年リリースのボカロ(合成音声音楽)シーンに特化した内容のコンピ。収録楽曲は必ずしもヒットした曲というわけではなく、ヒットボカロ曲のイメージとは異なる曲が多く並んでいます。こうした作品を聴いていると、どういう音を鳴らすかは関係なく合成音声を使った楽曲をニコニコ動画にアップロードするだけで”ボカロ曲”という括りになる界隈では、ヒットという概念に縛られない各々の感性を存分に発揮した作品があり、それこそがヒット曲と両輪となるボカロシーンの本質だと思うところです。もちろんそうした意図による合成音声作品/作者のピックアップはGINGA等様々存在しますが、この「合成音声ONGAKUの世界」は初音ミク発売10周年にも関連したリリースであり、その分の歴史の厚みを音楽そのものから感じ取ることができます。特に、シンプルかつ完成度の高い平熱のポップス「ペシュテ」、大胆なビートと徹底したメロディーレスが逆説的なキャッチーさを生む「フリーはフリーダム」、合成音声の醒めた佇まいが映えるキラーチューン「人間たち」、自由な発想力とそれを実現する構成力の結実「World is NOT beautiful」の流れはボカロシーンを包括しながらも、しかしここでは見えてこない奥行きがさらにあることを感じさせるほどの輪郭を描いています。
監修と選曲はスッパマイクロパンチョップ氏。自身も優れたミュージシャンである氏の選曲はさすがという他ないバランス感覚に満ちています。スッパ氏は2017年8月にyeahyoutoo氏の孤高の大傑作「but the sky is blue」及びアルバム「[flawless circle]」をきっかけとしてボカロに興味を持ち、そこからさらにボカロ曲をディグする際に私の10周年ボカロ曲100選のマイリストをまず最初に参考にしたそうです(現在は15周年版を公開しているため非公開。15周年版はこちら。異なる部分はそれなりに多いですが、基本的な選曲の方向性は変わっていないと思います。)。この100選によって合成音声音楽がかつて思っていた以上に魅力的なシーンを形成していることを実感し、さらに踏み込んでボカロシーンの楽曲を発掘するようになっていったとのこと(スッパ氏による当時の記録はこちら)。この「合成音声ONGAKUの世界」の選曲は自分の100選とは特別重なりが多いわけではないですが、そういう経緯もあって(また音楽の内容としても)ずっと好んできた音楽シーンが反映されたように感じて勝手に誇りに思っています。
リリースから数年が経ってある程度冷静に聴けるようになってきた今改めて聴くと、ポップスとしての瑞々しさや各々がアイデアを発揮する喜びをひしと感じます。合成音声音楽シーンのある一面への入り口として今でも最適といって良いほど。冒頭で名前を挙げた3枚のコンピや、ここに紹介した他の9枚のアルバムと並べて聴いても何の違和感もなく、むしろこのnote記事の最後を飾るのはこれしかないと思わされます。日々多くの楽曲が生まれる中でこうしたアルバムの誕生へ至ったこと、そして他ならぬ自分自身がこの音楽に胸を打たれること、この作品にまつわるあらゆることが中々の幸運だなあと考えながら、また音楽を聴いていこうという思いが新たになります。

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