学歴コンプからの脱出
※これは私の視点で見た世界の話です。不快に感じる方がいらっしゃったら申し訳ありません。
社会人になって、学歴コンプレックスに悩まされている。
中学受験をして、家から通える一番偏差値の高い女子中学に受かった。いま調べたら、女子校では偏差値が全国5位以内になってた。地元の女子校では1位で、男兄弟が灘中高、女兄弟はうちの中高って人が多かったな。仲いい友人3人も、みんな兄弟は灘だった。
私は勉強が嫌いで、しかも努力をするとか何かを継続するとかいうのが本当に出来なかった。中学受験の時は泣きながら毎日勉強していたらしい。中1の1学期の中間テストで1教科だけ学年1位を取って、あとは転げ落ちるように6年間最下層を這いずり回った。
特に苦手だったのが英語と数学。文系だったから数学は中2で無理になったし、英語も英単語を覚える努力をしないから出来るハズがない。
授業中は小説を書き、家に帰ったら小説を読み…。多分、高校卒業までの6年間で合わせて10時間も勉強してないと思う。試験勉強も基本ゼロ。1度も赤点を取らなかった事が唯一の自慢。笑
もうその頃になると完全に自分は頭が悪いんだと思っていたし、どうせ私はバカなんだからと色々頑張ることも諦めていた気がする。勉強だけじゃなくて、部活や外見においてもそう。
で、そのまま大学に進学した。うちの学年は、上位10%はストレートで東大、その次の30%くらいが京大、でさらに20%くらいが阪大みたいな。医学部も多かった。4人に1人くらいは医学部に行ってた。
先述した仲のいい3人もそれぞれ京大、京大、神戸大医学部に行った。
東大、京大、阪大、神戸大、慶応、早稲田、でだいたい95%くらいかなあ?そんな中、私はFラン…と言うには失礼だけど、まあ偏差値55前後だったからDランくらい?の同大学に試験なしで内部進学した。
で、大学が始まったら、最初の英語のクラス分け試験でいきなり一番上のクラスになった。びっくりした。だって英語は本当に苦手で今でも見ただけで頭痛くなるぐらいだから。それなのに一番上のめちゃ難しいクラスになって、クラスメイトはほとんどが英文科の人たちになった。
2年の時、バイト先の友人のレポートを代筆した事があった。晩ごはんを奢ってくれるっていうから、神戸大の受けてもない授業のレポートを一晩で書いた。そしたら一番いい成績がもらえたらしい。びっくりした。
その頃にはうっすら気付いていた。私、自分が思っているほどバカじゃないかもしれない。でももう、努力をするっていうやり方をどこかに忘れてきてしまったから、そこから何かを始めようなんて思いもよらなかったな。努力で人生が好転するなんて考えた事もなかったし。
そのあと社会人になって、学歴が関係ない業界に入った。そしたら今度は自分の「何もなさ」に絶望した。発想力もない、センスもない、根性もない。ベースに「自分は何もできない」「どうせ上には上がいる」っていう固定概念があるから、努力して高みを目指そうとも思わない。。。よく上司から「自己評価が低すぎる」って言われたけど、自分は努力してないっていう思いが根底に強くあるから、自信が持てるハズがない。
ただ何か人生の縦軸が欲しくて資格を取ったりしたな。といっても、産業カウンセラーと語彙・読解力検定の準1級くらい。どちらも1回で受かったけど、自分で納得できるほど勉強してない。ホントお前ってやつは…。
(※産カウは学生時代に、受験資格を得るための講座を受けていた)
仕事では、怒られるのが嫌いだから気配りはするし、八方美人で人当たりは悪くないから、何度か別会社に誘いを受けたり、他部署から直電で異動の誘いとか受けた。でもじゃあ仕事が出来るか?一番か??って言われると、絶対NOってなる。メダルで言うなら銅メダルタイプ。金メダル(天才)や銀メダル(努力の人)には絶対勝てない。こないだ会社説明会で実績を話せって言われて、自分の語るべき実績がなにひとつないことに気づいて絶望しちゃった。
で、ここからが本題。
社会人になって、人生を何となくやり過ごす中で、学歴コンプを感じる事があった。
友人たちと会っている時には、別に感じない。東京にいる同級生で集まったら私以外全員東大、とかいう時もあったけど、私にとって「同級生が全員自分より上なのは当たり前」の事。
でも、職場の人たち、正確には法政や青学の人が「高学歴!」と言われているとき、ムクムクとコンプレックスが頭をもたげる。そりゃ私よりいい学校を出てる。私みたいな名も知れぬ地方の女子大ではない。でも私は、、私も高校時代もっと頑張ってたらいい学校行ってたかもしれない。いや、もちろん、どんなに努力しても地方の女子大止まりだったかもしれない。でも、でも、でも、、、。私は一度も自分を試したことがないのだ。
大学に入ってからのうっすらとした根拠のない「私はバカじゃないかもしれない」が私を苦しめている。いや、違うな、たぶん昔は頭良かったからムダなプライドが消えないだけだ。。。賢い友達に囲まれて育ってきて、自分は、、なんてダサい人生なんだろう。
あと、英語できないコンプも同様に苦しかった。
社会人になってから一番長くいたのは海外と関わる部署で、私以外全員が英語ペラペラだった。それどころか、大体が英語の他にもう1カ国語を話せた。その部署に入った時、最初に聞かれたのが「海外経験は何処で何年?」だった。ない、というと驚かれ、英語話せない、というと更に驚かれ、パスポート持ってない、というとドン引きされた。
その部署では各種翻訳サイトを駆使してどうにかやっていけたのだけど、その部署を出た後、今度は「あの部署にいたって事は英語出来るんでしょ?」が私を苦しめた。どうしてわざわざ「英語喋れません!」と言って回らなきゃいけないんだろう。
最後の引き金を引いたのは上司の言葉だった。その言葉はムカつき過ぎてここにも書きたくないけど、とにかくそれは私がバカだってことを前提に発せられた冗談混じりの言葉で、でも私の最終学歴はバカでしかないから言い返せなくて、どうにもならない思いをもう4ヵ月も抱え続けている。(偏執狂!)
この4ヶ月間、めちゃくちゃ苦しくて色々調べた。(臥薪嘗胆ヘアにすることも考えた!)そして私には選択肢がひとつしかないとわかった。結論はめちゃくちゃ簡単に出た。決意には時間がかかった。公表を決断するにはさらに時間を要した。また、努力せず尻つぼみになるかもしれなかったから。
でも。スカスカの学歴、話せない英語。忙しすぎる仕事。何もかもを断れない性格。八方美人で仕事のモットーが「自分の評価が下がってもいいから人には親切にする」なこと。休みの日、何もしないままに外が暗くなる絶望感。そういうの全部自分の手で変えたいと思った。まだ間に合うと思った。
だから私、「5年以内に海外大学院卒業」を目標に勉強します。但し働きながら、現地留学ではなくフルオンラインで!自分の手で努力して、ちゃんと結果を出して、コンプレックスも自分の手で摘み取りたい。20年ぶりの努力、私にできるかはわからないけれど、やりたいと思った自分を尊重してあげたいから。
5年後、ドヤ顔で英文ブログを書いていますように。
最後まで書いて、読み返して、ふと思い出したので追記。人生でいちばん好きな映画は「耳をすませば」で、小説を書くのが好きだった私は、月島雫にめちゃくちゃ共感していた。その雫のセリフ「自分を試すって決めたんだから」を書きながらふと思い出した。試してないな〜私。
「あんなに高く?」『なぁに、近付けばそれほどの事はないさ』。
うむ。がんばろ。
追記2。なんか自己満足のために大学院に行きたくて研究を蔑ろにしてる感が出てるな…。就職の時も、院進するか迷ったんです。心理職に就きたくて。結局全く別の業界に就職したけど、心理学の知識は役立つことが多いし、今後も仕事でたくさん必要になると思う。
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