生きる気力の源

果たして、いったい全体、何を毎日、どうにかこうにか生きているのだろうか。 

やることなすこと、全てが面倒になる。

やらなきゃいけないことに追われ、自分の好きなことですらやる気が起きなくなる。歩くのは愚か、立つことも、息をするのも面倒。

いっそこのまま消えてなくなりたいと思う時が最近多い。

そのような時に、悶々と自分はなぜ生きているのだろう?とか、生きる意味なんてないしどうしたら良いんだろう?とか考え出すことは、負のスパイラルにハマってしまうことが殆どだ。

それはなぜかと言うと、全てが面倒だと思っている時は、生きる気力を失っている状態だからである。

そんな時に生きる意味など考えても、前向きな答えなんてでてくるわけがない。むしろ、後ろ向きな答えばかりか、答えは闇の中に閉ざされたままで、暗闇に飲み込まれてしまうのが関の山だろう。

そんなこんなで、自分も先ほどまでだいぶ気力を失っていて、こんな状態でまた週明けから仕事に向かって、日々を過ごせて行けるのかがとても不安になっていた。

今は、noteを書く事ができるまで回復しているが、そのことについては思う事がある。

「身体が疲労していると、気力が著しく低下する」

当たり前のことだと思うけれども、悩みに飲み込まれている時はこのことを忘れがちである。

しばらく仮眠をとり、美味しいものを食べたり、身体の不調な部分に対処(自分の場合は鼻炎が酷いので、鼻うがいしてみる等)してみると、少し気分がスッキリしてくる。

ここで重要なのは、気分がスッキリしてくると書いているが、そのためにしたことは殆ど身体的疲労に対する回復方法である。

心と身体はつながっているとは良く言ったもので、まさに先ほどそれを体感したのであった。

今後も、不調の波に襲われることは多々あると思うが、もしそうなった時は、自分の考え方や思考について問題があるのだと思うのではなく、まずは身体がしんどい状態にあるかどうかを捉え、それに対処することで回復を図ろうと思う。

そして何か考えことをしたい時は、そうした身体的な側面が回復して、気分がスッキリした状態で行うと良いのかもしれない。

まあ、そんな風にうまくはなかなかいかないんだけども。

それでも、心に留めておくだけで、少しはマシな状態になるかもしれない。

そんなことを、調子が良い状態の今、綴っておこうと思いました。

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