今を生きるということ

いつも思い悩む時は、未来への漠然としたモヤモヤを拭い去るために、ひたすらノートに書き殴ったり、空を見上げたりしてぼっーとしたりしていた。

これは、悩みを整理したり、スッキリさせたりするために有効であるし、これからもよく行う悩み解消の手法になると思う。

人に話してスッキリすることもあるし、たくさん人に話すことが好きな人もいる。それは自分には当てはまらないので、ひたすら1人の時間を大切にして、生きる活力を充電している。そんなことが自分にはよくある。

今もまさに、そんな状況である。

そしていつも、素敵な未来を思い描いては、そんな理想の日々に向かって突き進むぞ!うぉーー!!って感じで物思いにふける時間が終わる。

そう、未来への希望を抱くことで、自分のモチベーションをあげて、生きる活力につなげているのだ。

こうしてうまく行ったこともある。描いた未来に向かって突き進む。行動力がMAXになる。どんどん活動的になれる。恐れるものを知らない、無敵な状態になれることもある。

ただし、描いた未来には簡単にはたどり着けない。それに、思い描いていた未来がそんなに良いものとも限らない。

そうして、何度も夢を描いては、打ち砕かれてきて、とうとう思い描くこともやめてしまったのである。それが、まさに最近である。

適応障害で仕事を休んでた時に、頑張ることをやめた。これは、目標を掲げて何かに向かって努力することを良しとしてきた自分にとっては大きなことだった。

頑張ることをやめたことで、心身への負荷は減った。これは良かった。頑張りすぎて、気づかないうちに疲弊してしまっていることが多かったから。(自分ではそんなに頑張っているつもりはなく、こんなこともできないのかとムチ打ち続けているような感じ)

今では自分に相当甘く、まあ無理なら無理だしょうがないか〜自分そんかにキャパ大きくないし。と、割り切れるようになった。

このような心境の変化は、病気の回復には役に立った。とにかく休養することが最善の治療法だったのである。

そして少しずつ病も治りかけてきている中、また何か目標、生きる目的を欲し始めてきていた。

ただ漠然と生きていることが、自分の中ではソワソワしてしまう。というか、日々の辛いことを乗り切る上で、○○があるから頑張れる、○○のために頑張る!みたいなものがないとやってられないのだ。

そうやって無理矢理、また自分にとっての生きる糧はなんなのか、目標はなんなのかを探り始める。

探り始めてみつけたところで、またすぐに消えてしまうのではないか、挫折してしまうのではないかという思いから、昔ほどのめり込んで目標探しに没頭することができない。

でも、それでよかったのかもしれない。

生きる希望とは、理想の未来へ向かって歩くことではなく、

「今目の前に起きている出来事に対して、自分がより幸せになれる選択をしていくことである」

ということに、少なからず気づくことができたから。

漠然と、ぼんやりとして未来に想いを馳せるのではなく、

今目の前の出来事に対して、今を生きているこの自分が、どうしたら幸せになれるのか。

遠い先にある未来よりも、今ある目の前の行動を変えた方が、すぐに結果も現れるし、現実的である。

その今の積み重ねが、結果として、理想である未来につながっていくという生き方が、懸命に生きていくということなのかもしれない。

とりあえず、今日の夜ご飯、美味しいもの食べて、ゆっくりお風呂に入って、ぐっすり寝よう。

それが、その小さな積み重ねが、生きる希望となる。

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