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文化を乗せて未来へ運ぶ方舟──内藤廣設計「海の博物館」

船に乗って、大海原へと漕ぎ出す。
目の前を遮るものはなにもなく、ただただ水平線に至るまで、広大な海面がきらめいている──。

そんなイメージを頭に思い浮かべると、不思議と未来へと思考が伸びていきます。
幼少期から繰り返し刷り込まれた、冒険の象徴としての海のイメージもさることながら、地理的な制約から密集度の高い日本の国土利用と開けた海の対比もまたその理由となっているのかもしれません。
いずれにせよ、海にまつわるイメージや文化は、実態としても象徴としても、陸地のそれとはまったく異なる質をもっているのではないかと思います。

三重県鳥羽市、伊勢湾から太平洋へと続く海岸沿いに、ある博物館があります。
単なる市立博物館でもなく、歴史民俗史料館でもなく、「海の博物館」と題されたこの博物館は、建築好きにとって聖地のひとつにもなるほど特別な存在です。
ここで問われたのは、日本人にとって特別な対象である海を取り巻く諸文化を紹介する展示物を、どのような容れ物に収容するべきか? というものでした。
そのような難題に、建築家・内藤廣はいかに応えたのか? 初期の傑作、「海の博物館」をご紹介します。

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内藤廣氏といえば、あの新国立競技場の国際コンペでも審査委員を担ったように、現代日本を代表する建築家です。
そのような建築家の初期の代表作と言われると、だれも見たことのないような奇抜な造形や、建築の歴史を塗り替える目新しさを備えたデザインを思い浮かべるかもしれませんね。

しかし、実際に建てられた「海の博物館」は、いたってシンプルな、そしてどこか懐かしさすら覚えるような、親しみやすい建築でした。
なぜそのようなデザインになったのか?
背景には、建主からの相次ぐ要望の変更と、徹底したコストカットの必要性、さらには潮風の吹く立地において「100年もつ建築」への期待がありました。

設計の前提となる建主の要望が定まらないことは、設計者からするとなにから決めて良いものか判断しかねる、非常に難しい状況です。
一方でローコストの建築にしなくてはならないという条件は、なにを差し置いても実現しなくては事業自体が頓挫しかねない絶対条件です。
そのような状況にあって内藤氏は、建主の溢れ出るアイディアは建物が竣工してからいかようにも使い方を変更できる、「体育館のような」無柱の大空間を用意することで対応しています。
そうして出来上がったがらんどうの大空間は、連続して並ぶ架構がアクセントとして映える、単純かつ力強いものでした。

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なぜこうした空間に懐かしさを感じるのでしょうか?
ひとつには、木の温もりが与える印象が影響しているかもしれません。
あるいは同じ形式の架構を繰り返すことで大空間をつくり出す方法は、古くから使われてきた構法ですので、寺社建築や古民家をはじめ、われわれ日本人にとって身近な光景だからかもしれません。
ともかく、「海の博物館」で提示された構造を魅せる内藤氏のデザインは広く共感を呼び、その後も繰り返し展開されるデザインコードとなりました。
カラフルで視覚的な情報の多い展示に対し、上を見上げると架構の美しさが際立つ空間は、長時間の滞在に精神的なゆとりを与えてくれます。
また重要文化財指定がされた漁船の収蔵庫では、天井のコンクリートでつくられた構造体と展示物とが呼応するような統一感があり、メインの展示室とはまた違った表情を見せてくれます。

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内藤氏が画策した単純さは、建物の竣工後もいくつかの点で恩恵を与えています。
ひとつは修繕費など建物の管理にかかるコストを抑えてくれること。
「海の博物館」の設計が開始された1985年はバブル真っ盛り、建築業界でも次々に新しい造形が生み出され、コストを惜しまず新奇性によって差別化を図る動きがデザインの主流でした。
その当時に建てられた奇抜なデザインの建築は、メンテナンスに想定以上の費用がかかることからすでに解体されてしまったものも少なくありません。
そうしたなかで劣化を感じさせないこの建築は、この先も永く伊勢志摩の海洋文化を未来へと伝えていくことでしょう。

もうひとつは建物の運営上のメリットです。
役割を終えた漁船や漁業道具など、大型の収蔵物が次々と運ばれてくるこの博物館にとって、展示空間内部が自由に改変可能なこと、また展示物の搬入搬出が容易であることは、管理上非常に重要なポイントです。
複数の長方形が少しずつ間隔を取って建ち並ぶシンプルな配置計画は、運営上の簡便さが十分に考慮されたものであることが見て取れます。

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実際に竣工当時の写真と比べると、収蔵品は相当数増えていることがわかります。
また展示空間は大小さまざまな展示品をどのように展示するか、試行錯誤して使い倒されていることが感じ取れました。
「海」という広いテーマを据え、いつどのような展示物を搬入することになるのかわからない状態で設計されたこの建物は、30年経ったいま振り返っても変わらず「最適解」と思える完璧な建築でした。

そんな「海の博物館」も、増え続ける収蔵品の管理に追われ、財政難が続いているようです。
僕のように建築を目的に各地を旅する者にとって、最終的な目的地は建築であるにもかかわらず、旅費のほとんどは目的地にたどり着くための移動費用に費やされます。
少しでも建物の管理費の足しになればと、この日のランチは「海の博物館」内のカフェにお邪魔しました。
こちらも内藤氏のデザインが行き届いた、心地よい空間でした。

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余談。
「海の博物館」は伊勢神宮からほど近く、バスと電車を乗り継いでも1時間と少しで着くことができます。
Voicyで伊勢神宮について少し話してみたので、そちらもぜひお聴きください!


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