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コミケは孤独を癒しうるか

 昨日、コミックマーケット101に参加した。
 といっても、知り合いのサークルチケットに便乗させてもらって参加であり、自分自身が何か作ったわけでもない。
 もちろんサークルのブース番(一般的には店番のようなもの)くらいはさせていただいたが、その程度で今のコミックマーケットに参加できるなら安いものどころか大変ありがたい話である。

 さて、一方で世界的に「孤独」が問題になっている。
 「弱者男性問題」という問題があり、男性のほうが女性に比べて金銭以外の手助けを得る際に平均的に大きな困難を抱えることが多く、そのために孤独に陥りやすく、病気などにもなりやすいという問題である。
 これに対し、私がお世話になったサークルの主さんは「コミケに来ればよい」説を提唱していた。

 確かに、コミケに参加するというのは有力な手段の一つではある。探せばたいてい何かしら興味のある分野の書籍または作品はあるし、特にマイナーなサークル主などであれば高くても2000円程度で何か買えばその分野の話なども含めて仲良くできる。基本的に自分の関心ごとに少しでも関心を持ってもらえることがうれしい人たちが多く、それがゆえに「排除」ということはおこりにくい。おまけに陰キャ率や一般的な雑談能力が低い結構高いので、そのような人に対しても割と寛容であり、多少の積極性さえあれば「一般社会での孤独化」とは別ルートでの人とのつながりを得るのには有効である。(同様のルートは例えば放送大学などにもあったりする。)

 しかしながら、探して何かしらの興味のある分野を見つけたり。関心事を深めたり広げたりするというのは結構な「気力と体力」が必要である。そしてその気力と体力は年齢とともに衰える。(私のことである)もともと「推し」や「関心の継続」に長けているような「オタクの才能がある人」(その才能のことを「推しエネルギー」と定義する。)であれば割と平気であろう。しかし、特に若者には信じられない話だろうが、年を取ると結構な確率で「飽きる」うえに、新規分野に進出する推しエネルギーが減るのである。つまり、恐ろしいことにコミケに参加してヒトとのつながりを得られる能力は

才能 × 気力・体力(おそらく若さ依存) =推しエネルギー

 によって決まるのである。
(ちなみに自分自身は昨年の冬から縁あってコミケに参加させていただいているが、友人に引っ張り上げてもらえなかったら自力で参加するエネルギーはなかったであろう。それまでは毎日更新のブログを書くくらいの力はあったのだが。)

 そして、コミケという縁はカネの切れ目ではなく「推しエネの切れ目」が「縁の切れ目」になりやすい。同じサークルで作品を作るほどのエネルギーがない限り、もともとそれほど強力なつながりではないため、関係性が自然消滅してしまうのである。

 結論としては、「コミケ」というのは孤独解消ツールとしては「有効」ではある。一般社会よりは「雑談能力としてのコミュニケーション能力」は高くなくても問題なく、推しエネルギーがあるうち、特に若いうちであれば有効な孤独解消ツールになるであろう。しかしながら、特に中年以降の独身男性の場合、多くの人は推しエネルギーが低下している状態にあり、「オタクの才能」のない者にとってはあまり有効とは言えない。未来がある若者にとってはコミケ参加は「孤独防止の将来の保険」のためにも行うべきであるが、中年以降の独身男性の孤独対策(自殺対策としての側面も含む)としては、「それでよし」というツールにはならないと思われる。

次回予定「孤独をめぐる社会集団の分類」(私の独断と偏見)