『イーロン・マスク 下』を読んで。
著者名:ウォルター・アイザックソン
出版社:文藝春秋
発売年:2023年9月13日発売
上巻に負けず非常に面白かった。
上巻がイーロンの幼少期、ペイパル、テスラ、スペースX寄りなのに対し、下巻の方ではスペースXの他、X(Twitter)、オプティマス、ニューラリンク主体の話になっている。
Twitter買収の一連エピソードへの思い
テスラやスペースXなどは私のような下々の人間の日常生活からは程遠い世界なのでSFを読んでいるような受け取り方になる一方、Twitterは学生時代からずっと使い続けているサービスなので親近感が違う。
TwitterはFacebookやYoutubeなどと比較すると、世界におけるユーザの割合が極端にアメリカと日本に偏っているので、他国から見たらなぜイーロンマスクがTwitterに入れ込んでいるのか不思議に見えるかもしれない。
さて私はTwitterをユーザとして使っていたものの、企業としての情報は何も持っていなかった。
なので買収時にTwitter社の文化が多様性を尊重し働きやすさを重視する方針であったことも初めて知った形で、それをとても素晴らしいものだと思ったのだが、イーロンは大規模レイオフ・解雇と同時にその社内文化を完全に破壊し、結局真逆の形へと変えてしまった。あまりにも残念過ぎる事実である。
メガテック企業による労働者の恩恵
私が北米を旅していた2019年の冬、Google社で働いている人と知り合う機会があった。
Googleでは噂で聞いていたようにジムや食堂などが無料で提供されていて労働環境は素晴らしかったようだ。
(ただし彼女はオフィスのあったサンフランシスコの渋滞が酷すぎると嘆いていたが。)
メガテック企業などは利益率がとても高く、他業種と比べるとコストに対する儲けの割合が大きい。その分、一番の原料である「人」にコストをかけるのが通常になる。
優秀な人材を集めるためには魅力的な労働環境を用意し、健康を害さず、最大パフォーマンスを挙げられるような環境に投資する。それによってより収益を上げていくというモデルだ。
ITは自動化や効率化によって労働の総量を減らす効果がある。
だからその分、少ない仕事量で大きく稼ぎ、余裕のある生活や新しいイノベーションを起こすための時間や人材の再投下が可能になる。
しかし資本主義経済の中では残念ながらなかなかそううまくはいかない。
経営者・投資家は労働者を可能な限り搾り、利益を多く捻出し、それをさらに膨らます宿命を負っている。そうしないと競合他社に負けるからだし、自らの取り分を増やせないからでもある。
そして効率化が行き着いて単位時間当たりに生み出せる成果が減れば、労働者を雇い続けることはせずにレイオフするなりもっと働く人に交換することになる。
メガテック企業がベーシックインカム的な再分配を提供することは考えられない
メガテック企業は、例えばAmazonが書店や小売企業を駆逐したように、世界規模で多くの競合他社を蹴散らしてきた。そして世界中の多くの企業が得ていた利益を代わりに獲得した。
それによって得た利益が労働者に適切に再分配されれば文句はないのだが、残念ながらそうはなっていない。再分配のパイは精々各国が徴収する税金の範囲でしかなく、新たに雇用された労働者も駆逐された旧態の仕事における人数からしたら少ないだろう。偏りは大きい。
IT×資本主義の理想像は、テクノロジーによって技術が革新して万人がその技術的な恩恵、即ち仕事量の減少を受けつつ、生きていくに不自由ないお金を得る形だ。
働くのが好きで高パフォーマンスを上げることのできる人やベンチャーを立ち上げる起業家などが大きく稼ぎ、そうでない人はベーシックインカムを得て最低限の仕事をして余暇の時間を豊かに使う…。そんな理想像が他の本でも語られていたが、資本主義経済の仕組みを知るとそれは夢物語に近いと分かる。
そんな中で、Googleなどが労働者への無償の食事や住環境の提供といった環境を用意する姿勢には私は期待と好感を持っていた。仮にその恩恵を受けているのが跳びぬけて優秀な一部のエンジニアに限っていたとしてもだ。
イーロン・マスクの求める働き方は他者の人生時間を奪っているという事実
Twitterがそのような進歩的な労働環境を用意していたのに対し、イーロンの労働スタイルは対極をなす。
私生活も余裕も健康もすべてを犠牲にし、自分(イーロン)の野望のために「オールイン」できる人しか残さない。
退職金を払わないようにするために、旧経営陣が退職する直前に社内メールを差し止めてクビを宣告する策戦や、クリスマス直前にデータセンターからのサーバ移設を強行して移設実績数に応じたボーナスを約束するといったエピソード、自分の要望に合わない人を躊躇いなくクビにする点などから、イーロンが見事に資本主義システムに包摂されていることが分かる。
反富裕層・極度のマルクス主義者に傾倒した娘ジェナとのやり取りからの一連の思想の変化はとても興味深い。
そのエピソードや、彼自身が休息なしにフルスロットルで働き続けるワーカホリズムから、彼がお金目的で行動しているのではないことが読み取れるが、結果的には他の労働者の時間(人生)を奪っているという事実には変わらない。
ワーカホリックの存在の是非
テスラを一度辞めた社員が、その燃え盛る働き方が忘れられなくてまた戻ってくるという話が出てきた。
またTwitter社員に、週40h以上の出社を義務付けた上で、長時間労働をしてでも働きたければリンクにクリックして会社に籍を残し、期限内にクリックしなければ退職金3か月分を受け取って辞めるような仕組みを施したメールを送った話も印象的だった、約3600人のうち2492人が残ることを決断してYesのリンクをクリックしたという。
ワーカホリズムを持っているのはイーロンだけではないということだ。
サンデル教授の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の中で述べられているように、アメリカのアイビーリーグでは、過激な競争の先に入学した学生が、その競争の興奮から解放されずに学生生活やその後の人生でも更なる競争を続けていく姿勢がみられる。
アメリカという超競争社会の中では、こういった強い闘争心やワーカホリズムを持った人間が多くいることが分かる。
ワーカホリックはアルコホリックと同じで「中毒」の一種だ。
日本でもブラック企業や公務員で長時間残業を誇るような言動が聞かれるが、一定レベルを超えた仕事への没入はランナーズハイのような恍惚感を生み出してしまうのだろう。
労働者(ないし経営者)個人がワーカホリックを求めるのは自由だが、それが組織単位や業界単位でスタンダードになることは危険性をはらむ。
イーロン・マスクが大規模レイオフしたのを皮切りに、「イーロンがやるならじゃあ内も。」が如く多くのテック企業が同様にレイオフ・解雇を断行した。こういった風潮を作り出してしまうことも非常に恐ろしい。
私は昨年の今頃(3月頃)にPHPの開発案件を探していたが、日本でもテック企業の人員整理の波があって多くの優秀なITエンジニアが市場に溢れ、PHP開発経験が乏しい自分が滑り込める案件は見事に消えてしまった。
バタフライエフェクトのように自分にも影響が流れてきていたのだった。
イーロン・マスク的働き方を良しと捉えるか悪しと捉えるか
最終章の項の「罪から生まれる」にまとめられている著者の言葉がまさに自分、そして多くの読者の気持ちを代弁していると思う。
やがてイーロン・マスクは地球上の車を電気自動車に置き換えるだろう。
人間を火星に送り届けるだろう。
人間がロボットを意思だけで操作することを可能にし、AIの暴走を止めるシステムを実装した自立稼働型のAIロボットも生産するようになるだろう。
それらの恩恵を将来の我々人類は受けるだろうし、エジソンのような偉人として驚きと感謝の念を抱くようになるだろう。
しかしその過程では多くの労働者が巻き込まれていることを忘れてはなるまい。