脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気④
7月3日、私は大好きな職場に復帰する。
またまた数字言葉に当てはめてみた。7と3で「波」。脳出血が起こった1月24日から数えると161日目。「広い」。いい感じ。
数々の波に揺られて広い…?どこに出るのだろう?それは出てみないと分からない。
私は迷路が下手だ。何も考えずに突っ込んで行って行き詰まる。でも、迷ってその先に何があるのか分からないこと自体がワクワクする。行き詰まったからって、それで終わりじゃない。別の道を考えたり、引き返して反対から見る景色を楽しむのもアリなんだ。
リハビリ病院を退院して、家に帰ると急に自分が以前の自分ではないことに気が付いた。
玄関で靴が脱げない私。重いものを持てない私。手すりがないと階段の昇り降りができない私。裏の畑に野菜を採りに行けない私。酔っ払いみたいに揺ら揺らして変な歩き方しかできない私。夫に何か言われても抵抗できない私。できないことだらけの私。
退院翌日、5か月以上会えていなかった母親に会いに行った。母は施設でお世話になっているが、母に必要なケア製品は私が病気をしてからもネットで注文して届けていた。母に心配をかけたくなくて最近まで私の病気のことを施設の人にも言ってなかったが、退院が決まってから施設に私の状況を電話で説明していた。
家を出る時に夫が施設に電話してくれた。コロナが5類に変わったので、面会に行くと母の部屋に入れるようになっていたが、母が私の歩き方を見て私の異変に気が付くのが心配と相談していた。
施設に着いて早速、玄関で靴をどうやって脱ごうか困っていたら、偶然母の入所時に施設長をされていた職員さんがその日に来られていて、私の顔を見て走り出てきてぱっと玄関を開けると、靴のままでいいです、と言って玄関を入ってすぐのソファに座らせてくれた。そして、車椅子に乗った母を連れてきてくれた。
5か月ぶりに会う母は、いつもと変わらずニコニコしていてしっかりしていた。4月にひ孫が加わったことも、私の娘が送ったプリンがおいしかったこともしっかり話す。でも、私がいつもと違ってネズミのようにちょこまか歩くことがないのには気づいていなかった。施設の配慮がありがたかった。
退院3日目に、脳神経外科医の紹介状を持って大きな病院で受診しようとしたが、複数の病院で断られた。仕方なく最初に救急車で運ばれた病院に行く決心をして行ってみると、最後の担当医になってくれた院長先生の診察待ち人数が多すぎて、一週間後の予約しか取れなかった。
行き詰まりだと思った。言語聴覚士さんのリハビリのプリントの迷路で行き詰まっても歌いながら引き返していたのに、現実の行き詰まりは歌えない。でも、病院からの帰り道、私は大好きな理学療法士(PT)さんと何度も歩いた道を一人で車を走らせていることに気付いた時に、「行き詰まっても終わりじゃない」と思えて勇気がわいてきた。
歩こう。外を歩こう。外は雨が降っている。でも歩きたい。
傘の不思議。ある日、一つ目の病院で私が作業療法士さんと杖をついて外歩きの練習をしていた時に、傘を持つ練習をした。不思議、不思議、傘を持つと杖がなくても歩ける。風で揺られても杖なしで歩けた。
その日のことを思い出しながら、傘を差した。右手に傘。左手に杖を浮かせて持つ。坂道を下りていくと小学校の運動場が見える。運動場の端のフェンス沿いの小路は急な下り坂だ。
坂を歩くのにいい練習になると思って小路をゆっくり下って歩いて思い出した。息子がまだ3歳の時に、この道で隣りの家の子と遊んでいて崖の上から落ちてしまったことがあった。傘を斜めにしてどこから落ちたのか見てみると3メートルくらいの高さだ。怖い。近くにいながらそれを防げなかった自分を責めながら、頭から血を流す息子を車で運んだのも私が救急車で運ばれたのと同じ病院だ。助けてもらっておきながら病院の悪口を言うなんて、私はなんて、なんて…?そう考えて歩いているうちに、公園で子どもたちが遊んでいるのが見えた。雨は小降りになっていた。
公園の中央の砂場の横には屋根付きのベンチがあった。あそこならぬれずに座れると思って目指したが、公園の周りは草が伸びていて足元が見えにくくなっていて、近道をしてまっすぐ入ると溝に落ちると思って、遠くの方の舗装された入り口から公園に入ることにした。ボール遊びをしていた子どもたちは、遠回りして歩く私がよろよろとしているのにすぐに気が付き、私が座るまではボールを飛ばすのを中止してくれていた。スーパーの中で私が通れなくて困っていても道をふさいでいるおばさんたちよりずっと気が利く子どもたちだった。
ベンチに座っても傘を広げたままにした。左手の力が弱いので、傘をすぼめてしまうと次に広げる時にまた左半身を全力で使わないといけないことになるのが厄介だったからだ。
足元に傘を置くと、そこにはクローバーの大群があった。PTさんと公園に行った時に何度も四つ葉のクローバーを探したことが懐かしい。PTさんは、四つ葉のクローバーは、人が踏みつけるような場所にあるんだと言っていた。ここはみんなが踏みつけるような場所だなあと思いながら探していると…あった!四つ葉のクローバーだ。なんだ、あんなに探してもなかったのに、こんなに簡単に見つかるなんてな。子どもたちが、「キセキ、キセキ、四つ葉のキセキー」と騒いでいるのが聞こえた。あれれ見てたの、と思って子どもたちの方を振り向くと、彼らは、四つ葉のクローバーのマークが付いた車を指さして騒いでいたと分かった。その瞬間、私は子どもより子どもになって、「ほら見て、四つ葉のクローバー」と言って子どもたちの方にその四つ葉のクローバーを掲げて見せた。4人いた子どもたちは、わあーっと言って私の近くに走ってきた。「すげー!おれ本物見たの初めて」「キセキ、キセキ」と言われていい気になって、つい、四つ葉のあった場所を教えてしまった。「ここ、ここ、この辺にあったよ。まだあるかもね。」私がそう言うと、女の子が1人、男の子が3人の子供軍団は私の足元に集まって四つ葉のクローバー探しを始めた。1分もしないうちに1人の男の子が「あったー!四つ葉やあ!」と言って四つ葉のクローバーを天に向かって掲げた。私は内心しまったと思った。その四つ葉は、私のすぐ足先にあったものだ。子どもたちにかまわないで、1人で四つ葉探しをしていたら私が見つけていたのに、と後悔した。それだけではない。同じ男の子は、もう一度私の足元を探して「もう一つある。おれめっちゃラッキーやん。」と言うのだ。あああ。もう一つ手にしている。今度は女の子が、「あ、私六つ葉見つけた。」と言い出した。見ると確かに六つの葉の集まった、花束のようなクローバー。でも、これはどうでもいいと思った。
私と子どもたちは、昔からの友だちみたいに5人のかたまりになって四つ葉探しをしていたが、私が風に飛ばされた傘を取りに行っている間に、子どもたちはボール遊びを再開した。
子どもがいなくなったので、四つ葉牧場は独り占めだ、と思って私も四つ葉探しを再開したが見つからない。
子どもたちが「ああーやっばー!入ったあ!」と声を上げていたが無視した。次は「キセキ、キセキ、四つ葉のキセキー」と言ったので先ほどの四つ葉のクローバーのマークが付いた車かと思って道を見たが、車は走っていない。しかも子どもの姿がない。あれ?っと思っていると、ペイントが施された高圧鉄塔の壁の端から子どもたちがサッカーボールを持って出てくる。女の子が「あのね、サッカーボールが入っちゃったけど、奇跡が起こって出てきた。」と私に向かって説明してくれた。
高圧鉄塔の近くで遊ぶなんていいのかなあ、と思いながらも私は「そうなん。よかったね。」と言って立ち上がった。
この公園は、息子が生まれて6か月ごろからよく散歩に来ていた公園だ。息子も私も人見知り。ママ友なんてとんでもない。ママ集団が来ると隅っこで二人だけで砂遊びをしていたな、そんなことを考えながらもう帰ろうと思っていた時に、男の子の「あああー!やばい、どーしよー!最悪ー!」という叫びが聞こえた。また、高圧鉄塔の壁の端から女の子が出てきて、よろよろしながら壁の方に進んでいく私に向かって、「いいです、いいです。」と顔を横に振って、手を合わせ、ごめんなさいのポーズをする。
何が起こったのか、心配よりも興味があって、私は高圧鉄塔を囲むフェンスにしがみつく子どもたちの方に近づいて行った。「どうしたん?」私が聞くと、1人の男の子が、「大事なボールがあそこ、あそこに入ってしまって、出てけえへん。」と言って高圧鉄塔の下を指さしている。本当だ。サッカーボールじゃなくて、もっと小さくて白いボール。私は男の子に「そのボール、どんなふうに大事なん?」と聞くと、彼は泣きそうな顔をして、「兄ちゃんが野球してるボール。めっちゃ大事。なくしたら絶対怒られる。出ていく時にお母さんがなくしたらあかんでーって言うててん。」ふんふん、そら大変。これはなんとかしてやらねば。無力ながらも一緒に考えてみた。「あのな、さっきさあ、サッカーボールがキセキでどうして出てきたんや?」私は4人に問いかけた。「そうや!サッカーボールや!あれはいつもキセキなんや。」男の子が答えた。いつもだったらキセキちゃうやんと思いながら、「そのサッカーボールがその大事なボールに当たったら出てけえへん?」私がそう言うと、子どもたちは、何度もサッカーボールをフェンスの内側に投げ入れ始めた。中央が高くなっていて、二か所の低い溝が作ってあり、溝の坂下のフェンスの下側にサッカーボールが出るくらいの穴を開けてあるのだ。きっとこの鉄塔を作った人が、どうせ子どもがボールを入れるんだろうと思って設計したような気がした。
サッカーボールは、子どもたちが言った通り、何度フェンスの中に入れてもキセキで出てきた。でも、いくらやっても、あの大事な白いボールに当たらない。白いボールは軽くて、自分の重みで坂を転がることができないようだ。
20回以上サッカーボールを投げ入れたところで子どもたちが「休憩しようぜー」と言うので、私も一緒にフェンスのへりに座って作戦を練り始めた。「もうこうなったら、大人の人に来てもらうしかないかー。」子どもの一人が言うと、私は自分が大人の一人であることを忘れて「そやなー。あんたら何丁目?」と聞いた。子どもたちの住んでいる丁目は片道20分以上かかるところばかり。私が自分の丁目を言うと、「めっちゃ近いやーん。」と男の子が言ったが、女の子は心配そうな顔をするだけだ。
前回の記事で書いたが、退院3日目のこの日はまだ私の中に爆発しそうなマグマを溜めているところだ。夫と関わりたくない。でも、この子どもたちのお役に立ちたい。私は決心して立ち上がった。「うちにさ、おっちゃんおるねん。暇にしてるかもしれん。おっちゃんに長い棒持ってきてもらおか?」
子どもたちの顔がパッと明るくなった。「長い棒あるん?届くかな。」と言って子どもが心配そうに顔を見合わせている。私が「おっちゃんに電話して聞いてみるわ。」と言って夫に電話して事情を話してみると、夫は、「分かった。行くわ。」と、二つ返事。なんだかワクワクしてきた。
夫が到着するまでの間、子どもたちはその「おっちゃん」に迷惑をかけずにボールが取れるよう、サッカーボールをフェンスの内側に入れ続けている。さっき四つ葉のクローバーを2つ手に入れた子どもは、ベンチの前のテーブルに四つ葉を置いてお祈りを始めた。「ボールが出てきますようにー。おーい、おまえらも四つ葉に祈るんや。キセキ、キセキが起こりますように。あー、おっちゃーん、はよ来てー!」やばい、夫が来ても何も役に立たないかもしれない。やばいやばいやばい。
でも、キセキは起こった。
夫は1メートルほどの筒を持って車から降りてきた。あの、阿部さんを銃撃した犯人が持っていたのとよく似た筒だ。どう見ても怪しい。作業服みたいなぼろぼろのズボンは履いているが、上は下着のシャツ一枚。昭和の怖いおっちゃんそのものだ。何よりその筒が短かくて役に立たないと思って、私はすぐにはっきり言ってしまった。「短かすぎるやん。」子どもたちもその筒を見て、がっかりしている。「あかんー。無理やー。届かへんやんー。」
夫は「待て。」と言って筒を持って子どもたちの方へずんずんと進んでいく。もしも子どもたちの親がそのシーンを見てしまったら叫んでしまうほどの迫力だ。夫が「待て、待て、おまえら。おっちゃんはな、普通のおっちゃんとちがうんや。」と言っている。あああああ。呼ばん方がよかったと思った。「おっちゃんなめたらあかんど。」こっわー、どうしようと思っていると、子どもたちが夫の周りに集まって高圧鉄塔の下をのぞき込んでいる。夫はその筒をサッカーボールがキセキで出てくる穴に突っ込んでいる。「うっわー!キセキや、キセキのおっちゃんや。」そう言いながら子どもたちが見ているフェンスの内側ではボールに向かって、筒からから棒がちょろちょろ出てくるのが見えた。その棒の先に何か付いている。私が「そうそう、あのボール、あれをつついて向こうの穴に出したげて。」というと、夫は「いや待て、こっちへ引き寄せるんや。」と言う。子どもが「おっちゃんそんなん無理やで、難しすぎる。」と言うのに、夫は「おっちゃんはな、無理を可能にするおっちゃんなんや。」と答えている。そして本当にボールを引き寄せて子どもたちがのぞき込む穴の所まで持ってきた。そして子どもが手を伸ばしてボールをつかんで天に向かって掲げた。「取れた、ありがとう、おっちゃん、キセキのおっちゃん。」
夫が、棒を筒の中に納めて、「ああ、おまえら、もう鉄塔のとこでボール遊びすんな。」と言うと、子どもたちはみんな頭を下げて「はい。分かりました。気を付けます。ここでもうボール遊びはしません。」と言ってから、楽しそうに笑って、今度は追いかけっこみたいな遊びを始めた。私が夫の乗ってきた車に乗って辺りを見ると、横にも大きな公園があるのだが、もっと大きい子どもが野球をしていて、じゃまになるのでこの子たちはこちらで遊んでいたという事情が読めた。
家に帰って、あの子どもたちの事を思い出していっぱい笑った。夫のセリフを思い出して、何度もネタにして笑った。あの謎の筒は、私が入院中に夫がアマチュア無線のアンテナを立てるために自作したものらしい。
明日から仕事が始まるが、前回登場したヘビはまだ見つかっていない。ヘビは「へーやん」という名前を与えられているし、その次の日に出てきてまだ退治できていないムカデは「ムカやん」と呼んでいる。へーやんが入ってきた前の日には私が「ゴキやん」を冷凍スプレーで冷静に退治した。
バトルは続く。
私はスクワットを一日百回以上することと、一日5千歩以上歩くという、一つ目の病院のPTさんが教えてくれた毎日続ける自主トレを再開した。1日8時間フルタイム座っての作業で、身体が硬くなってしまわないよう、明日から気を付けて仕事を楽しむ。私は元気。
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