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脳出血(*_*)クスリは薬か毒か

2023年1月に脳出血に倒れて5か月間入院していたが、リハビリの効果で歩けるようになり、6月に退院した。
退院した頃は、外に出る時にも、杖なしでも歩けていた。
退院後に復帰した仕事がフルタイムのため、通所リハビリも、訪問リハビリも利用できないけれど、自分で工夫して筋トレをしてきたつもりだ。
それなのに、どんどん身体が動き辛くなっている。
痛みの治療のために、毎月クリニックに通院しているけれど、24時間続く痛みは相変わらず、途切れることがない。
もう春だ。来月からしばらく仕事がないので、色々な人と交流を楽しもうと思っていたのに、このままだと、心配をかけるだけだ。
辛いことがあっても、前を向いて進んでいこうと思っていたけれど、私は今、立ち止まって下を向いている。
 
3月の脳神経外科クリニックの受診の日。普段より調子が悪かった。
クリニックの隣にある駐車場に車を停めて、入口までは10メートルもないのに、転びそうで怖い。一歩、二歩、三歩。次につかまるか、もたれることのできる場所を目指してゆっくり進む。入口のドアにたどり着いて、診察券を出そうとしたら、入口近くの窓口は閉まっていて、中に入って中央の受付で診察券を出してくださいと書いてある。たぶん、その場所で立ち止まって入口が混むのを避けるためなのだろう。でも、私は、そこで靴を脱ぐのに時間がかかるのだ。端っこの席が空いていたらそこに座って靴を脱げるけれど、その日は患者さんであふれていて、空席がない。靴箱の端に身体をもたげて靴を脱ごうとしたけれど、あとから入ってくる人がいたので、時間がかかりますのでお先にどうぞ、と声をかけて隅に身体を寄せた。その人は、ゆっくりでいいですよ、と言ってくれたけれど、私の困った様子を見て先に靴を脱ぎ、私の分のスリッパを出してくれた。私はお礼を言い、その人が見えなくなってから、そのスリッパをもとの場所に戻した。私は左足の感覚がないので、スリッパを履くとすぐに脱げて躓いてしまうのだ。そのあと、靴箱につかまりながら5分ほどかけてやっと靴を脱ぎ、診察券を出しに行った。
 
その脳神経外科クリニックの院長は、私の小中学校の同級生だ。私が最初に運ばれた病院があまりにも酷かったので、退院後のフォローをお願いして通うようになった。脳出血の再発を防ぐために、まずは血圧の薬を処方してくれた。そして長年不眠症だったうえに脳出血の後遺症で痛みのために眠れないことを訴えると、不眠のお薬も出してくれた。
通院するようになり2か月経って、痛みが辛いことを言うと、大きな病院の脳神経外科医に診てもらえるように、紹介状を書いてくれた。
そのお医者様は国立病院の院長先生で、疼痛治療を専門とされていて、同級生のクリニックにも月に1、2回の土曜日に診療に来られているそうだ。
仕事を休んでその国立病院に3回ほど通ったが、仕事を休まないですむようにとのお医者様のご配慮をいただいて、月に1回、私の同級生のクリニックでの診療の枠を作ってくださった。
 
同級生のクリニックは、内科もやっていて、いつも患者さんでいっぱいだ。
私を担当してくださっている国立病院の院長先生の診察は2階で、1階の待合室の突き当りにあるエレベーターで上がる。その日、診察券を受付に出しただけでよろけていた私は、壁際に座っている患者さんたちに当たらないように、もう一方の壁に手をついてよろけながら、ゆっくり進んだ。患者さんたちは皆、私が通るときに足を引っ込めてくれていた。
2階に上がって、一番近い椅子に座るまでの間も左足はほとんど上がることがなく、右足と、壁につけた手の力で進んだ。ようやく座ってジャケットを脱いでいると、隣に座っていた女性が私の耳元で、あなた、パーキンソン病なの、と聞いてきた。私は、ああ私の歩き方はそう見えるんだ、と気が付いて、いいえ、脳出血の後遺症で、足が麻痺しているんですよ、と答えた。
30分ほど待って診察の部屋に呼ばれたが、なかなか立てない。看護師さんが抱えて立たせてくれて、医師の前の席までやっと進んで腰を下ろした。

医師はいつものように、様子を尋ねて、薬が効いているかと私に聞いてくれていた。私は、手足がどんどん動き辛くなって、痛みについても、24時間途切れることがないと訴えた。そして、まさか脳出血が再発しているなんてことはないですか、と尋ねた。
すると、医師は、あと2時間待てますか、と言って、そのクリニックにあるMRI機器で検査しましょうと答えた。前回のMRI検査は国立病院でちょうど半年前だったのでタイミングがよかったのだ。
私は2時間待つことを了承した後で、最近手足に力が入らないし、立っていると揺れてそのまま倒れそうになるので、外で歩くときにつかまる場所がないと怖いんです、と言った。その時、医師ははっとした表情になって、それは、薬の副作用ですよ、ふらつきが出ているということです、と答えた。
そして、検査まで時間があるし、待っていてくださいと言って、私を診察室から外に出した。

診察室から出て前の椅子で待っている間に、私は副作用という言葉について考えを巡らせた。
二階に上がった時に、パーキンソン病ですか、と尋ねられたこと。そうだ、その通り、私は左足がほとんど上がらず引きずっている。それだけではない。身体が揺れて、小さい子供のヨチヨチ歩きのような歩き方になっている。今私が痛みを和らげるために飲んでいる薬は神経の薬なのだ。
母も数年前に、神経の薬でパーキンソン症状になり、手足が動かなくなり、認知の症状も出て、意識を失ったのだ。幸い、転院して薬を抜くことで意識が回復して、93歳の今は施設で車いす生活だが意思疎通はできている。
私は、母ほどひどい状態ではないが、ある薬を飲み始めてから徐々に手足が動きにくくなり、特に2月に薬を増量してから症状が酷くなったのだ。

2時間後にMRI検査を受けた。検査結果は、いつもの国立病院の医師が新規の患者に対応しているということで、私の同級生の医師が説明してくれた。
再発はしていなかった。
半年前の画像と並べて見せてくれたが、新たな変化はなかった。血管も調べたけれどきれいだよ、と言ってくれた。ホッとした。

帰りに薬局で処方された薬を受け取ったが、思った通り、薬が変わっていた。インターネットで入れ替わる前の薬の副作用を調べてみたら、重大な副作用の欄に、薬剤性パーキンソニズムを発症することがある、と書いてあった。これだったのだ。

その薬が処方されたのは秋になってからだ。寒くなったせいで身体が動きにくくなったと思い込んでいた。医師は、私が副作用が出やすいことをいつも気にかけながら薬を選んでくれていたが、めまいや耳鳴りや頭痛など、どの薬も副作用がきついと私が訴えて、困らせていた。でも、その薬ではそれらの症状は出なかったのだ。
今回の副作用のことは、私が気が付かなかったせいだと思う。医師に対して、私が薬を飲んだうえの症状をきちんと伝えられていなかった。身体が動きにくくなったことについて、医師を責める気持ちは全くない。

秋からずっと、どんどん動かなくなる身体にもどかしさを感じていたけれど、その原因らしきものが見えてきた。
すっきりした。さあ、下を向いてなんていられない。立ち上がろう。
薬をもらったあとは、久しぶりに、リハビリ代わりにしているジムに寄った。身体が動かせないくせにおやつの食べ過ぎで、体重が3キロも増えていた。これはやばい。
仕事のない期間にまたしっかり身体を動かして、硬くなってしまっている身体をほぐして、元気になろう。前を向いて進む。これからも。
 

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