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脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、リハビリの一番幸せな日

朝いつものようにカーテンを開ける。窓の外はいつものようでいつもではない。この景色の中に私が見え隠れするのは今日で最後なのだ。明日の朝早くイチビリ犯は移送される。今日の一秒一秒が貴重過ぎる。

理学療法士(PT)さんと何度も歩いた一番好きな住宅地に彼と二人で入って行くと、いつものプランターに植えられたりっぱな玉ねぎの収穫中。夏野菜の苗も準備してある。畑に興味を持ち始めたPTさんは、人懐っこく、でも丁寧に野菜作りの秘訣を名人さんに聞いている。前日にNHKで野菜作りの番組を見ていたからなおさら熱心だ。私も家の裏で野菜を栽培しているから、エラそうに講釈してもPTさんは楽しそうに聞いてくれる。そのうちに彼はいつもとは違う、踏切の向こうの道を指さして、行ってみましょう、と言ってくれた。踏切の向こうは、田んぼや畑が広がる野道だ。私が退院して帰宅したら歩くであろう山道と似ている。ありがたいけど、道分かるのかなって聞くと、PTさんはバイクで通ったことがあるらしい。どうやら駅の反対側に出て、連絡通路を使って病院に帰れる。私は知らない道を歩くのが好き。うれしい。ちょっと急な坂では、彼の腕をギュッとつかんで少し滑る土の感触を楽しんだ。午前中だけですごく満足してしまった。まだおかわりできるなんて贅沢すぎないか?

午後からも同じPTさんのリハビリだ。今度は逆流して歩いた。反対方向から歩くと景色がまた変わるのは不思議。朝気づかなかったカラスノエンドウの大群を見つけた。「あ、これはすごい。」PTさんは私のやりたいことをすぐに察知して膨らんださやを捜し始める。あーだめだ。膨らみが足らない。「うーん。ぺちゃんこ。最後まで私の演奏を聴かせられない。」私がほおを膨らませていると、PTさんは少し右の大群に手を伸ばして、「こっち膨らんでます。」と日当たりの良い場所を探り始めた。本当だ。膨らんださやを見つけて手を伸ばすと、PTさんはその横のもっと膨らんださやをちぎって手にした。お互いの手の上に膨らんださやが載っているが膨らみはちょっとだけ私が負けている。「はい、交換。」私が言うとお互いのカラスノエンドウのさやは瞬間移動した。二人は笑いながらそのさやで新鮮な楽器を制作し始めた。「プピピピピピーピピ、ピピピプププ」鳴った!「山の音楽家」だ。音階も少し調節できてる。「うまい!こんな音鳴らすの初めて聞いた。」PTさんの誉め言葉に,うれしさで頭のてっぺんからモクモク煙が上がるようになる。また脳が出血する?そんなはずない。だって気持ちいい。幸せホルモンと言うやつ。脳の薬だ。副作用なしで脳を癒している。

彼は「あー、僕のはやっぱり鳴らない。」と言ってがっかりしている様子。私は次に「めだかの学校」の演奏に入る。こっちのほうが簡単だ。低音がしっかりしてきた。PT さんが別のさやを取って新しい楽器を作っているのを横目に見て私は演奏しながら歩き出した。「山の音楽家」を演奏する、そう音楽隊。一人だけど。PT さんは鳴りもしないのに口にカラスノエンドウのさやをくわえながら付いてくる。遮断機のない小さい踏切の手前でPT さんがぷーっと噴き出してさやが線路の上に飛んだ。置き石、いや、置きさやしたな、と思ってPT さんを見たら笑い転げている。「今の人、めっちゃ笑ってましたよ。」振り向くと、反対方向に去っていく男性がふらつきながら歩いて、肩が揺れている。「ほらほらほら。」しまった、またPTさんに恥をかかせてしまった。「うわー、どうしよ、通報されんかな。」私が言うと、「え、どんなことで。」と返す彼に、「病院のスタッフらしい制服着た人が頭変になってる人連れて歩いてるって。」と言ったけど、いや待て、私は脳の、頭の病気で入院してるんだし、合ってる。彼も病院の人だ。二人で顔を見合わせて、「だいじょうぶ。」と言葉を重ねた。

小さい公園、美容院の看板、おじいさんがビーチチェアーを干していた通り。春が来てからここを隈なく歩いてきた。この幸せな時間の終わりが近づいていることを風景がささやき始める。珍しい沈黙。
PT さんが真剣な顔になってこっちを向く。ドラマだったらここでBGMが入るやつだ。ヤバいと思ってイチビリかけたが、ムリだ。これまでを振り返って、私を送り出す言葉。彼の言葉はみんな、心にしみた。彼に出会った一日目から私の心を大切にしてくれたのだから、最後の日まで手を抜くわけがない。最後に、「〇〇さん(私)は、僕が社会人になって十年余りの間患者さんなど多くの人に出会って、その中で一番、」と言ったところでやっとイチビリを入れる隙間を見つけた。「一番、変な人? 一番、ヤバい人? 一番、手を焼いた人? 困った人?」実はそのどれかだろうと真剣に思っていた。先に言ってやったぞ、と思いながら自分がかつて東京都知事が演じていた「意地悪ばあさん」の顔をしているような気がした。そして自分に対して、意地悪じゃない、イチビリだって言い訳をした。「もー! 違いますよ、一番印象に残る人です。」ああ最後に負けてしまった。こんなに私が喜ぶ言葉を言われるなんて。彼の言葉を超える喜ばせ方は思いつかなかった。でも、素直に両手を上げて「ヤッター!」と飛び上がる動作をした。最初はこんな動作は夢のようだった。手も上がらない、足に力が入らないところからスタートしたのだから。

私はいつまで彼の印象に残る一番でいられるのだろうか。そう考えながら最後の路地から出て顔を上げると、大好きなリハビリ友だちが4階の彼女の部屋から、体じゅう使って手を振ってくれている。私たちも手を振る、何回も何回も。
病院の入り口で、警備員さんの横で、最後の「サイナラッキョ」をした。いつものように当たり前のごあいさつ。笑顔で別れた。

人の印象に残るというのは素敵だ。時々その姿が、思い出が心の中に現れるということなのだから。PT さんは私のことを「一番印象に残る人」と言ってくれた。彼はまだまだ若い。私が一番の地位をキープできるのは、いつまでだろう。私を押しのけて一番の地位に就く人が現れた時には、すごく悔しいけど、きっとその人は彼の人生をもっと豊かにする人だろうから、素直に「よかったね」と言って一番の座を降りる。そして二番の地位から、「私のことも忘れるなー!」と彼の心に念じ続ける。

私にとって彼は特別な人だ。身体も心も傷ついてボロボロになった時に手を差し伸べてくれた人。そしてずっと私の心が壊れないように癒やし続けてくれた人。「恩人」というありきたりの言葉では表せない。私の心の中でどの位置に、どんな高い地位についていただこうか、まだまだ悩んでいる。

今日のこの幸せな日を忘れない。
この先何年私は生きていられるのかな。こんなにリハビリをがんばったんだから、長生きするはずだ。再発率が高いとかネットでつい見てしまうけど、私は負けない。負けず嫌い全開で長寿番付けの上位に載ってやる。死ぬ前の走馬灯には、息子の隣に、まだ見ぬパートナーが優しく微笑む姿だったり、娘のまだ見ぬパートナーが前にも後ろにも子どもを抱きかかえてあやすのを娘が腕を組んでカントクする姿があるような気がする。でもそこにきっと私はPTさんを従えて「山の音楽家」を奏でているシーンを映し出すと、今から決めている。



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