見出し画像

脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい③

医療の現場では、サインを求めたり求められる場面が多くある。
今回は患者本人だけでなく医療者側、また患者の家族にサインについて慎重に扱うことの気付きにつながることでお役に立てればうれしい。

実際私は昨日サインを一つした。今いる病院の担当医が入院時と二週間経った今とで私の状態がどれだけ良くなったかを点数化して表した表に間違いがないかの確認のサインを求めて私の病室に来た時だ。私はサインをする前に表をじっと見て読んだ。私の目の動きに気が付いた担当医は、表について説明をしてくれた。説明を聞いて、療法士さんたちがそれぞれ説明して下さっている内容と一致していることを確認してサインをした。

その前日も、担当医に診察に来ていただいた際に、入院時にしたCT検査や血液検査の結果について説明をお願いしていた。前の病院では、頭のCT画像については、発症時の画像も発症直後の私に見せて説明をいただいていた。発症一か月後に検査した時のCT画像は、出血の跡はずいぶん消えていたが外殻だけがまだはっきりと残っていることを脳神経外科医に見せてもらい説明してもらっていた。今の病院の担当医も、丁寧に対応してくれた。スタッフステーションに私を入れてパソコンの前に座らせ、発症後3か月余りの私の頭の中のCT画像を見せてくれた。前の病院から引き継いだ画像を横に表示させて、出血の跡がきれいに消えていることを見せてくれた。安心した。その後血液検査のデータも印刷してわざわざ病室まで持ってきてくれた。

自分が医療現場のお世話になる際は、サイン一つで自分のこの先の処遇が左右されることが多い。まずは今自分がどんな状態であるか、意識がしっかりしていたら私は自分自身で直接医療者に教えてもらいたい。そして医療者が何かを行うときにはきちんとその何かの中身やそれによる影響を説明してもらいたいし、私自身の意思や意向を確認して尊重してほしい。確認できたら私はサインをする。
これが理想だ。私が前の病院で果たせなかった理想だ。だから私は今の病院に来て理想を果たせるように行動している。この先も自分の意識がしっかりしている限り理想通りに生きていこうと思っている。

「入院は個室か大部屋か」の記事を読んで下さった読者の方は、私が救急車で病院に運ばれた当日に、夫が私の意向に反して「差額ベッド代の同意書にサイン」してしまったシーンを覚えておられるかもしれない。
夫はその日有料の入院セットの申込書にもサインをしていた。
この当日、通常の入院費用より家計を圧迫することにつながる書類の二つにサインをした夫を責めることはできない。患者本人よりも、これから患者を支えなければと思う家族が不安になり落ち着いて判断できないのは当たり前だ。しかも個室は、夫が私に良い環境で入院生活を送ってほしいとの思いで選んだのは間違いない。何よりも、私が今生きてこうやって記事を書けているのは夫のおかげだ。
私は仕事をしたい一心で救急車は呼ばないでと言ったが、夫の判断は早かった。自分の母親を同じ病気で亡くしているので症状をよく知っていた。職場の仲間も同じ病気にかかり、判断が遅くて後遺症に苦しんだことも記憶にあった。
私の症状を見てすぐに救急車を呼んで、私が運び出される時に隊員の人の足元が滑らないように、玄関に走りこの冬初めて積もった雪の雪かきをした。こんな夫を責めるなんて出来るわけがない。

私は夫が初日に行ったサインで、自分にとっては不利としか思えない、医療以外の個人負担となる契約をどうやって打ち切るか、その方法やタイミングが分からなくて苦労した。
特に夫は私が安心して入院生活を送れるようにとの思いでサインしているのだから、病院に申し出る前に夫に納得してもらわなければならなかった。
これについては、私のリハビリ友だちの経験はとても説得力があり、夫に説明するとすぐ分かってくれた。彼女に出会えて本当によかった。

個室の差額ベッド代の終了については、四月半ばに大部屋に移るまでに何度かチャンスがあったが逃した。

「脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい」の記事では一番書くのが難しい出来事が2月12日に起こった。これについては後日の記事で書く予定である。
2月15日に私は担当医であったリハビリ医に来てもらい、2月12日の出来事の詳細を綴ったメモ、一睡もできない布団の中で動く方の右手の人差し指でスマホに綴ったメモを読んでもらい、こんな病院にはいたくない、すぐに転院させてほしいとお願いした。転院先では絶対に大部屋にするつもりだった。リハビリ医は理解をしたふりをして、「別の病棟に移って様子を見てはどうですか。」と私に提案した。
私は転院を本気で考えていたが、夫は転院してもその転院先が良いところとは限らないと思っていたので、その提案を歓迎し、私も従った。
後になって私たちは、まずその時点ですでにリハビリ医が私たちを騙していたことを知る。「別の病棟」で時間稼ぎをして地獄を忘れさせようとしているが、「別の病棟」の次は地獄に逆戻りだとリハビリ医は知っていて黙っていたのだ。

ここまで書いてきて、私は今回だけは最初にテーマを決めてしまったことを後悔した。サインがどうのこうのという話から逸れている。それでも続けさせてほしい。そして、もう一つのテーマをここで、世界の片隅で叫ぶ。
「お医者さま。お医者様。さま、さま、さまと言われ続けていい気になるな。知識や経験で患者を救ってそりゃあ感謝されるのは当たり前だけど、時にはその言葉で、配慮のなさで患者の心を傷つけている。医学を習った時に、心を大切にするという基本を学んだはず。人を扱う限りその基本を忘れるなーヽ(`Д´)ノ」
本当はこの叫びがお役に立たない方がいいけど、医学を学んでいる学生の方々や心当たりのある方には役に立つかもしれない。いや、絶対に役に立つ。医学書に載せてもいいかと聞かれたら、私は喜んでどうぞ、と言うし、医師国家試験の一個でも間違えたらアウトの必須問題に入れてくれてもいい。想像するだけでスカッとする。

次のチャンスは夫も私も参加した三月初めのカンファレンスだった。私が安定して歩いたり物を取ったり運んだり介助なしででお風呂に入れることを説明し、自立度が高いから個室にいる必要はない、と私自身で主張した。私が家計を支えているのに失業状態だから、個室料金は負担が大きすぎるとも付け加えた。夫に恥をかかせていないか気になったけれど、夫も病院の支払額のうち、半分以上が差額ベッド代であることをその時には実感し気にしていたので、私の主張に穏やかに頷いてくれていた。そして、私は近いうちに大部屋に移りたいと言った。
その場を仕切っているリハビリ医は私の言葉の後すぐに、「前に言ってました四月に新しくできるリハビリ病棟は、最初患者さんが少ないから、大部屋でも個室ですよ。患者さんよりスタッフの方がずっと多いんです。」と、自分が立ち上げるリハビリ病棟の魅力を熱く語り始めた。大部屋でも個室。大部屋は無料だ。無料で個室に入れる。リハビリも今より充実するらしい。そんなに得するなら私が直前に言った、大部屋に移るタイミングは、4月まで待ってもいいような気持ちがした。
カンファレンスが終わってから、電話で夫と話すと夫も気持ちが揺れていた。もう少し考えてから、大部屋に移る日を決めようということになった。

三月半ばに二月分の請求書ができて、私自身が病院の会計窓口ヘ支払いに行った。明細を見て驚いた。3分の2が差額ベッド代だ。リハビリ医の言葉で四月になってからと思っていたが、やっぱりこれ以上無駄遣いしたくないと思った。
病棟の看護師長さんに申し出て、大部屋が空き次第移動させてほしいとお願いした。
8階病棟は、退院前の患者が別の階から移ってくることがほとんどで、退院して空いたと思うとすぐに埋まる。私がお願いしたときには、すでに空き待ち人数が多い状態だった。やっと順番が来たと言われた時には、四月まであと10日を切っていた。案内をされた部屋は、悪くないと思ったが看護師長さんは私が持ち込んでいる着替えを入れるための引き出しを置くのは難しいと言ってから、男性の介護士が出入りしますと付け加えた。
夫に電話して相談すると、四月になれば無料になるんだし、最後の数日は贅沢してもいいのではないか、と言われ私もそう思い、大部屋への変更は取り消した。

三月も終わりに近づくと、四月からのリハビリ病棟に移る日程が相談員さんから伝えられた。私は四月七日。予定者の中で一番後だ。リハビリ病棟に行きたいと申し出たのは私が一番だったはずなのに、入院順でそうなったと相談員さんは言いにくそうに説明した。もっと早く言ってくれたら、あの大部屋の空きを案内してもらった時に大部屋に移って節約できたのにと思ったが、自分で断ったのだから仕方ない、四月七日から無料で大部屋が個室、と心のなかで唱えた。

リハビリ病棟に移る準備と称して、急に3月28日にカンファレンスが行われることになった。リハビリ医は多くの人数の関係者を集めて私の病状を説明し、次に自分は他にやりたいことがあり忙しくなったので、常勤を辞めて週一の非常勤に変わる、だから担当医は降りることにした、と言って「残念です。ずっと先生に診てもらいたいです。」という言葉を求める顔を私に向けた。数日前にリハビリ友だちからそれを聞いていたし、それが何?と思っていたから私は無言で頷いただけだった。リハビリ医は私の反応に不満げだったが、次は死刑宣告をする裁判官のような顔(当然私はその顔を知らないが、あとで思い返すとそうであったのではないかと想像する)をして、「例の彼はそこで働きます。廊下で顔を合わせることもあるだろうし、大部屋にいたら、あなたのお世話をしないようにはできますけど、他の患者さんのお世話のために部屋に入ってくることもあります。」と宣言した。「例の彼」は、私が転院を頼んだ理由となった人物だ。「例の彼」がいることが怖いから転院したいと言ったのに。
あんなに四月から入るリハビリ病棟が楽しみで自主練をしてリハビリをがんばった日々は何だったのか。新しいリハビリ病棟は地獄じゃないか。もう何もかも嫌になった。

カンファレンスの日から布団に潜ったまま食事もリハビリも拒否するようになった私のところにリハビリ医がやってきた。私のことを切り捨てた、ないがしろにしたと怒りをぶつけると、「彼がリハビリ病棟で働くことは最初から決まっていたこと。決まっていたことを変更すると彼の心に傷がつくから変更はできなかった。」と、「例の彼」によって心に深い傷をつけられた私に平気な顔で言った。
時間のある読者様が先程の、世界の片隅での私の叫びをもう一度読み返していただくと、この時の私の気持ちがよくお分かりいただけると思う。

その後、転院先を私自身が必死で探し、相談員さんに申し込みをしてもらうように頼んだ。相談員さんが、リハビリ専門病院では、患者が入院できる期間が決まっているのですぐ空きますよ、と言ったので、少しの期間だしと思って、四月に入っても仕方なく大部屋への移動をお願いできなかった。しかしいくら待っても受け入れ先が決まらず、早くてもゴールデンウイーク前後という見通しを四月中旬に言われ、私はそれを聞いたその足で看護師長さんのところに、今度こそ空き次第大部屋に行きたいと強い希望を言いに行き、やっと4月18日に大部屋に移れた。大部屋は快適だった。5月2日にやっと転院して今の病院でも大部屋にいるが不便も不満もまったく無い。

初日の差額ベッド代のサインを打ち消すのに約80日を要した。
私の苦労を読んでいただいて、一度サインしてしまったら、それの変更は難しい、だからサインする時は慎重にした方がよいことを心の片隅に置いていただいて、私の経験が誰かのお役に立つといいなと思う。

途中で「お医者様」へ向けた思いを書いた。
患者という立場になった時に、「お医者様」の態度や言動に疑問を感じた経験のある人は多いと思う。このあとの回でも別の「お医者様」の言動で私は苦しくて嫌な経験をしている。嫌な経験をしたり、疑問を持ったら、堂々と自分の意見を言えばいいと思う。「お医者様」だって同じ人間だし、間違いをする。元はひよっこだ。私の息子と同じ、ひよっこの研修医からスタートしたのだ。エライ立場になっても患者の心からの叫びを聞き、ひよっこ時代を思い出していただくことはお医者様のためにもなると思う。

リハビリ医は、私が苦しく嫌な思いをして傷ついた心をさらに傷付けたことを何とも思っていない。私がなぜ早く転院させてくれなかったのか問うと、問いの意味が理解できなかったようで、自分の義理の母も同じ病院に入院していると言ってから、大部屋に入っているから、自分が目を光らせているからだいじょうぶと、私に得意気に語った。彼には私の叫びが届かない。彼は成長を止めたボロ医者だ。

リハビリ医が来る月曜日に、顔を合わせて不快な思いをしないよう、私がリハビリ室を避けて理学療法士さんと一般病棟で階段の登り降りの練習をしていた日があった。
リハビリ病棟に移動しようとしてたまたま私を見つけたリハビリ医は、アヤアヤアと言って近づいてきて、診察のふりをし、自分のお陰でこれだけ動けるようになったと言わせようとする。
言うわけがない。じゃましかしてないじゃないか、と心のなかで腹わたが煮えくり返っていることに気がついていない。
このリハビリ医は「無神経」の代表だ。これをしてはいけないという例として医学書に載せてほしい。

長くなってしまったが、次回もサインにまつわる苦労を書く予定だ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?