見出し画像

脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい⑧

「脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい」シリーズも終わりに近づいてきた。
一番思い出したくない出来事は最後に残しているが、今回の記事はその次に思い出したくない出来事だ。最初に言っておくと汚いことや残酷なことが苦手な人は、この後は読まない方がいいと思う。 

それから、お願いしたいこと。これで3度目だ。分かっている。でも、読者が見落としたりお忘れになっているかも、との失礼な想像にお許しを。
私は、病院を傷つけたくない。今回の記事での私の経験に、優しい読者が私に同情して怒りを感じられるかもしれない。でも、私自身はこの経験についてはそっとしておいてほしいという感情に変わっている。
その代わりに私は私を守る行動を取っている。
もしも何かが起きて救急車で病院に運ばれるという事態になれば、次回はもうこの病院に運ばれることがないように、準備を着々と進めている。これについては後述する。

サインの話に戻る。5階の看護師は入院セットの控えだけは私の手元に置いたのに、他の書類はことごとく、ベッドから離れて私が見に行けない棚に置いていた。8階に上がって見つけた「看護計画」の話は前回書いているが、その他にも色々一緒に重ねていた。私が夫に持ってきてほしいと頼んだ昨年9月末実施の人間ドックの結果ファイルもそこにあった。コピーしましたと言って原本を戻しに来た時に「ここでいいわね。」と置いていた。私の手に戻してほしいと言いたかったのに、看護師はそれを置くとすぐに出て行った。
私は「看護計画」を見つけて怒りでいっぱいになったので、その他の書類はいったんテレビの横に置いた。次の日だったか、数日後だったか、この辺りは確かではないが、別の日にその他の書類を1枚1枚確認した。

脳の出血が広がっていないか、また反対に血液が脳の中で組織に吸収されて出血の跡がどの程度消えているのかを確認するために定期的にCT検査やMRI検査が実施される。書類の中にその予約票があり、未実施のものは日程を頭の中に入れた。そして1枚の紙を見て、確かめたいと思っていた重要な場面を思い出した。1枚の紙というのは、「輸血同意書」だ。署名欄は空欄のまま。どうやら2枚用意して、こちらは控えだ。病院に提出した方の同意書に夫がサインしたことは、夫から聞いていた。しかし、他の同意書の控えは私のもとに、苦しい思いをした私本人のもとに戻されなかった。私の同意が不十分だった、つまり納得していなかったので、わざと証拠を残していないとすれば、これは病院の腐った体質と言いたい。

始まりは2月6日だ。この日、予定されていた、3回目のCT検査をした。同じ日の夕方に少し下血があった。CT検査と下血は全く関係ない。ただ、偶然この日から連続してあと3日検査が続くのだ。看護師は排便後のポータブルトイレの血液に目をやると「生理は、あの、まだ不定期にあるとか、痔とかでしょうかね。」と言ったが、邪魔くさそうな言い方だったので私も「ああ、痔かも。」と邪魔くさそうに答えると、彼女はその汚物をトイレに捨てに行った。後の流れを考えると、その下血のことは記録に残っていないようだ。でも私は心当たりがあった。その数日前に浣腸をしている。おむつを履かされたために、快便体質だった私は便が全く出なくなり、薬も効かなかったので最終手段としてしかたなくそれを受け入れた。浣腸をすると便がゆるくなる。下痢状になる。それが出血につながったのかもしれないと、1年前の経験が頭をよぎった。

1年前に滅多にしない下痢をして大出血した。かかりつけの医院で「虚血性大腸炎だから入院しなさい。」と言われたが、入院を断った。かかりつけ医は病院に入院したら大腸内視鏡検査があると説明した。私が、検査のほかに何をしますか、と聞くと、医者が今回出す下痢止め、止血剤を飲んで寝ているだけと答えた。私は、何かあっても自己責任です、入院はやめておきます、と言って帰った。その夜10回近くトイレにたどり着きバケツ一杯と思えるほどの大量の下血をして真っ白な顔になっても、夫に救急車を呼ぶなと言って寝た。翌日もトイレに行く以外はほとんど横になり、薬を飲んで医者の注意通り水分をしっかり摂って安静にしていた。翌々日には自分でおかゆを作って食べて薬を飲み安静にしていると、夜には普通便が出て出血も初日以外見ることないまま全快したのだ。

この経験は、たまたま私がその時に運が良かっただけだ。よいこの読者様は絶対にまねをしないでいただきたい。普通は、かかりつけ医に入院しなさいと言われれば入院するもの。私が入院しなかったのは、その2か月前に入院保険を解約していたので、あまりに悔しくて入院しなかっただけの、私の危ない「もじゃもじゃ」行為と言える。

看護師が下血のことを大事にしなかったのを内心私は安堵していた。なぜなら、前の週の後半にやっと初めてのシャワー浴をしてもらい、下血した月曜日の昼に、次はいつシャワーしてもらえるのか聞くと、火曜日と言っていた。次の日にシャワーしてもらえるのに、安静だからシャワーだめと言われるのが嫌だったのだ。

次の日の早朝、少し下痢気味の便が出たような感じがした後に、右側の身体に力を入れて立つと、看護師が、「あ!」と声を上げた。昨日と違う看護師だ。私が「拭いて下さい」というと、我に返ったようにトイレットペーパーでおしりを拭き、私に「今までも出血しましたか。」と聞いた。私は「昨日も少し出血ありましたけど、痔じゃないかな。」と答え、心の中では、シャワーがなくなったらまた不潔地獄、それだけは避けたいとばかり考えていた。看護師は、「量が普通じゃないので」と言って、部屋を出ていき、別の看護師と一緒に戻ってきた。二人でポータブルトイレの中をじっと見たあとで、汚物をトイレに流した。そして、「お医者さんに報告して来てもらいます。」と宣言して出ていった。

その後、医者が現れる前に、看護師が採血に来た。私の右手にモニターなど色々なチューブが付いていて、左手は麻痺していて何かあると危険なので右足から採血された。足からの採血はすごく痛かった。

その後主治医の脳神経外科医が部屋にやってきた。胃腸科の医者と相談して、今から大腸内視鏡検査をすることにしたと言った。私は、一年前の経験を話した。バケツ一杯の出血でも、安静だけで治ったと言った。9月の人間ドックで便に潜血ありと出ていたが、数年前に同じような結果でかかりつけ医で大腸内視鏡検査再検査を受けたが何も問題なかったと言った。とにかく、大腸内視鏡検査は受けたくない、去年もそれが嫌だから家で完治させたのだと必死で訴えた。しかし脳神経外科医は、この病院で私の命を救ったという地位にある。その地位にある者が「去年は大丈夫でも今年はどうなるか分からない。去年とは違う病気の可能性もあるのだから、この検査を受けなさい。」と宣告したら、その宣告を受け入れざるを得ないと、当時の私は折れてしまった。

脳神経外科医は、私が折れたのを確認すると、すぐに部屋を出ていき、そのあとすぐに看護師が大腸内視鏡検査を受ける同意書を持ってきた。今から考えると、ナースステーションで待ち構えていたのだ。私の気が変わらないうちにと、すぐにそれを持ってきたようだ。いつもは細かい文字をちゃんと読んで確認するのに、その時の私はあまりにも気持ちが折れていたので同意書の説明部分をほとんど読まず、サインした。看護師がその紙を持ってきてすぐに、私は彼女に今日シャワーどうなりますかと聞いて、検査があるので今日はシャワーできませんと言われ、医者の検査宣言とのダブルパンチで、もう投げやりのサインだった。

ここで私は大変なことに気が付いた。「お役に立ちたい」と言っておきながら、役に立つどころか、私が上で書いたある部分が人を危険にさらしてしまう可能性もあることを。
「大腸内視鏡検査」のことを、受けたくない検査と書いている。
記事を読んでそのことを覚えている人が健康診断の結果で「潜血あり 要精密検査」と書かれているので病院に相談に行ったとする。担当医に「では、大腸内視鏡検査をして、何かの病気で内臓に異変がないか確かめてみましょう。」と言われたら、「いや、知ってますよ。それ、受けたらやばい検査ですよね。拒否します。サインしません。」となってしまうではないか。
それで、せっかく健康診断で内臓の異変を見つけてもらっているのに、もしも何かの病気であれば、早期発見で治療できる機会を逃してしまう。それはとても危険だ。

かかりつけ医は、胃腸内科医で、20年ほど診てもらっていて、私のこれまでのデータをパソコンに入れ、それを前に私の身体について相談に乗ってくれる。医院とはいえ、胃部内視鏡検査や大腸内視鏡検査の設備を整え、今まで健康診断で要精密検査と結果が出れば必ずこの医院で受診して、相談していた。
去年9月の人間ドックの結果で便に潜血ありと出ていたので相談すると、数年前のこの医院で実施した大腸内視鏡検査の結果や、また別の機会にお腹が痛くてエコー検査したときの結果を見て、今回は検査しなくてもだいじょうぶと診断してもらった。一年前の下血の話を私の方からすると、血液検査の結果を見て、むしろヘモグロビン濃度は少し高めまで戻っているから、出血が続いているとは考えられない、だいじょうぶですよ、と言われて安心していた。彼は地域の医師会の会長をしている名医だ。

話を戻そう。私の命を救った脳神経外科医は、もう一度私のところに戻ってきて、胃部内視鏡検査も受けなさいと宣言した。
さすがに私は、ものすごい勢いで抵抗した。怒り爆発だった。
下血の色は看護師から聞いておられますよね? 痔ではないなら、明らかに腸の内部の出血です。この病院で数年前に腹痛で救急で診てもらった時に、腸内に憩室があり、ストレスある時に痛みが出ると診断されています。先日お渡しした人間ドックの結果にも憩室ありと書いているじゃないですか。だから腸の検査は仕方ないと思う。でも4ヶ月前の人間ドックで胃部内視鏡検査を受けて、問題なしと診断されているのに、今回どうして私に必要性の低い胃の方の検査も受けろと言うのか。
全くこの文面通りではないにしても、ほとんど同じ内容の事を担当医に言った。
担当医は、私の勢いにたじろいで、今日は大腸の方をするから、胃の方は今日はしない。よく考えて下さいと言って部屋を出ていった。

結局この後残酷なことが起こったのだが、詳細については長いので次回に書くことにする。

大腸内視鏡検査をした日の夜に夫から電話があり、ものすごい勢いで胃の検査を受けろと説得された。この頃の夫からの電話はいつも辛かった。私の命の恩人だよ、と心の中で唱えて耐えたが、途中で寝たままの姿勢で電話をすること自体が苦しくなって、しんどい、頭が痛くなってきたと言って電話を切ってもらっていた。
でも、この日の昼間に病院から呼び出されたのかは不明だが、すでに夫が私の代わりに胃部内視鏡検査の同意書にサインをしてしまっていたことは、長い間気が付かなかった。胃部内視鏡検査は私の知らないところで受けることが決まっていたのだ。私は夫の説得に精神的に辛くなって、この次の日に自分がサインして胃部内視鏡検査を受けたのだと思い込んでいた。でも、転院間際になって、夫が私の代わりにサインしたということを、優しい院長先生のおかげで知ることができた。私はサインしてしまった自分を長い間責めていたのだが、私は私なりに不要な検査だと抵抗していた事実だけが残った。当時私のことが心配で混乱して、何でもかんでもサインしろと言われれば何も考えずサインしていた夫を責める気持ちは全くない。むしろ、心配をかけたことを申し訳ないと思う。

約2年前に大好きな父がこの世を去った。
私の夫は父の最後の友だちだ。
フルタイムで働く私の代わりに、狭心症の持病があるため61歳で仕事を続けるのをやめた夫が、父の通院の付き添いをかって出てくれた。最初は実家へ1時間、病院に30分、送り迎えをして受診の時に一緒に話を聞いて自宅に帰ってくるまでは5~6時間だった。でも途中からは母と同じ施設で暮らす父の送り迎えと付き添いになったので7~8時間に増えた。心臓の病気で一級障害者である父の付き添いは大仕事だ。私も父がまだしっかりしていた時期でも付き添いをして自宅に帰るとくたくただった。
父は心臓の重病を乗り越えて長生きしていたのに、91歳になるのを前に下血が続き、貧血がひどくなった。ふらついて倒れそうになる。病院の受診時に毎回輸血するようになった。父の受診の付き添いにかかる時間は12時間を超えた。夫は輸血する何時間もの間、父とたくさん話をして楽しませてくれた。父は病院に行く日はお楽しみの日と言っていた。

私が下血をして、私の血液検査の結果を聞いて、父が輸血を繰り返しても治らずこの世を去ったことを思い出し、夫が判断力を失うほどパニックになったのは理解できる。

夫のことは色々困ったなあと思うことはあるが、これだけ父と私のお役に立ってくれているので、腹が立つと思っても、父が夫と話すときの幸せそうな顔を思い出すと、夫の姿は腹が立つ前の姿に戻って、ありがとうと言うしかない。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?