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脳出血(*_*)、骨折(TOT)でも、歩こう②

4月26日、飲食店で転倒して負った左大腿骨頸部骨折の手術が行われた。

入院直後から前年の脳出血の後遺症の視床痛がひどくなり、毎日、叫んだり、うめいたりで、病棟を騒がせている。骨折した箇所の痛みをきっかけに、左半身の痛みが、増幅されるのだ。

前年の脳出血で、私は、片麻痺になった。とはいえ、退院した時には、リハビリの効果で、杖をつかなくても結構歩けていたし、トイレやお風呂に介助を必要としなかった。

しかし、退院してから、視床痛がどんどんひどくなった。
痛みの波が強くなると、何もできずに横になって、その波が去るのを待つ。
本人は苦しいのだけれど、知らない人から見ると、怠けているように見えるかもしれない。

私の今の病名は、脳卒中による視床痛、言い換えれば、難治性疼痛である。同じ苦しみを持った人はたくさんいるのに、その存在を知る人はほとんどいない。医療関係者でさえ、理解してくれる人は少ない。

前年の同窓会で立ち上げられた掲示板で、その苦しみを書くと、多くの人が私が早くよくなるようにと、優しい言葉を掲示板の中で綴り、祈ってくれた。

その中のひとりと、最近ラインで会話を交わすようになった。彼女は、私が掲示板で24時間絶え間のない痛みの辛さを書いていたのを見た時に、その病気は、吉永小百合が主演した「いのちの停車場」で主人公の父親が患っていた病気を思い浮かべたと教えてくれた。彼女は、映画の中で出てきた「本来痛いと感じない刺激を全部痛みと脳が認識してしまう」というセリフを、私の状況に当てはめて、私の苦しみを理解しようとしてくれていた。
「たいへんですね」という言葉をかけてくれる人はたくさんいるけれど、その「たいへん」の中身を本気で理解しようとしてくれる人は少ない。彼女と交流していると、彼女の心と私の心がつながり、響き合っているような気がする。

まさか、私の苦しみが映画で紹介されていたとは、と驚いた。吉永小百合演じる女医である主人公の父親は、その痛みに耐えられなくなり、娘に安楽死させてくれるように頼むのだ。

私には、父親の気持ちがよく分かった。他の痛みとは異なり、視床痛に効く薬はない。気休めに神経痛の薬を飲んでいるが、効いているとは思えない。副作用で眠気が出るので、寝る前に飲むと、眠気と痛みとの戦いが生じて、眠気が勝った時にしばらく痛さを忘れて眠れるという心地よさを得られるので、服用しているが、本来の薬の効用とは言えない。

手術の話に戻ろう。
手術の当日の朝、看護師が書類を持ってきた。手術の同意書と手術の説明、出血の多い手術なので、輸血が必要になった場合の同意書である。輸血の同意書以外は、もうすでに、私の名前が夫の文字でサインが施されていた。
また、やられた。
私はこの病院の入院時に、サインが必要な場面では、まず私に説明をして、私自身にサインさせてくださいと頼んでいた。

痛くて、痛くて、叫び続けていたけれど、入院と手術が必要ですと告げられたときに、夫が病院に到着する前に頼んでいたのだ。
病院は、患者の願いを裏切るのを何とも思っていない。

私は、一箇所だけ残っていたサイン欄にサインしながら、上記の事を話すと、看護師は、形の上で謝ってくれて、その紙を持ち去ろうとした。
そこで私はすかさず、その説明書きを読ませてくださいと頼んだ。
夫は、その説明をしてもらったうえでサインしていたのですか、と尋ねると、自信なさげに、はい、と看護師が答えた。
前回の脳出血の入院の時には、帰宅したら、勝手にサインした書類が多数あったが、それらの全てを、言われるがままにサインして、中身は知らないと言っていた夫だ。今回も中身を理解しているはずがない。

入院当初、怪我の4日後に手術が行われる予定だった。でも、私が飲んでいた、血液をサラサラにする薬の影響で、薬が抜けるのに一週間の休薬期間が必要となり、4月26日が手術日となったのだ。

手術は、左半身を少しでも動かすと激痛が生じるので、全身麻酔を希望したが、私の手術日に全身麻酔できる麻酔医が確保できないという理由で、意識のあるままの、下半身麻酔となった。患者よりも病院の都合が優先だ。
でも、私は、6月3日から始まる仕事にエントリーしている。不自由な身体でも、在宅で好きな仕事ができる機会を逃したくないと、4月26日の手術の日程を受け入れたのだ。

手術の説明を読み進めた。脊柱管注射による意識があるままの半身麻酔と書いてあるが、その下の小さい文字を読んでいて、「患者が希望すれば、鎮静剤を使用して、眠った状態で手術を受けることができます」と書いてあるのを見つけた。これだ、胃カメラの時も、眠ったままで苦しい思いをせずに検査を受けることができた。
麻酔というほどのものではなく、鎮静剤と説明されていた覚えがある。

私は、それまで、ベッドを移したり、体位を変えるために少しでも触られたり引っ張られたりするたびに叫び声を上げていた。手術前も手術中も、激痛に叫び続けるのは間違いない。手術医も看護師も不快に違いない。お互いのために、私は眠っている方がいい。
鎮静剤のところを◯で囲い、私は、鎮静剤を使ってもらうのを希望します、と看護師に言った。
看護師は驚いた顔をして、それは、今日の回診の時に、先生に、直接聞いてみてください、と答えた。

たまたま手術の担当医が手術日の回診担当だったので、鎮静剤の希望を伝えようと、待っていたら、やっと隣のベッドの患者さんの回診に来ているのが分かった。
手術前だから仕方がないのか、その日まで、回診の先生が来ても、「あ、手術まだだったの」と言って、すぐに去る、3秒回診だった。
今日は、さすがに私が質問するぐらいの時間はあるだろうと思っていた。

担当医は、私のベッドを囲うカーテンを勢いよく開け、「Rさーん、やっと待ちに待った手術だねえ。」と人ごとのような言い方で声をかけた。
私が、「そうです、毎日早く手術してほしくて。」というと、「それじゃねー。」と言って、すぐにカーテンを閉じて去ろうとしたのだ。
いつもの3秒回診よりはマシとはいえ、10秒回診だ。

朝、私の希望を聞いていた看護師もそこにいて、医者のその素っ気なさに慌てた顔をするのが見えた。
私が、大声で「先生、待ってください。質問があります。」というと、医者は、しかたないなあという顔で、もう一度、私のベッドスペースのカーテンを開けた。
「今朝初めて、手術についての説明書を読ませていただきました。サインは私の名前ですが、夫の字でサインしてあったので、今日初めて手術の中身を知りました。希望していた全身麻酔でしてもらえないことは、直接お聞きしましたし、納得しています。でも、説明には、半身麻酔の場合であっても、希望すれば、鎮静剤を使って眠った状態で手術を受けられると書いてありました。私は、ご存知のように、視床痛のために、少しの刺激でも激痛を感じます。だから、鎮静剤を使ってほしいです。」医者が、すぐ逃げそうな角度を向いていたので、一気に言った。
すると彼は、ニヤニヤしながら、「あーそれね、それは患者の状態見て僕が決めることだから。じゃあね。」と言ってカーテンを勢いよく閉め、スタスタと去っていった。

医者が去ってすぐに、私の不安感が体いっぱいに広がり、左側全体がギシギシ痛みだした。機械に挟まれて揺り動かされている感覚が何度も襲ってくる。痛い、痛い、声を上げた。前日の夜から水分を禁止されているので、いつもの鎮痛薬を飲むことすらできない。頭の先から足先、左側の内臓までもが挾まれ、絞られる痛さだ。

午後1時前になると、私は、ベッドに横たわったまま移動が始まった。エレベーターで、手術階へと送られるのだ。
手術室のドアが開き、薄暗い中へと私は吸い込まれていった。
ベッドが移動する時の振動で、痛みはどんどん増してきていた。
痛くて、うめいた。うなった。
でも、もう逃げることはできない。

まな板の上に乗ってしまったのだ。



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