江戸川乱歩の人間椅子を読んだ。炊飯器で一合以下の米をうまい具合に炊く奴。


 人間椅子を読んだ。すごい速さで読んだ。そこで自分が考えたことをここに記そうと思う。駿と申します。初めまして。


 人間椅子を一番簡単に説明すると、椅子職人が椅子になっていろんな人に座られてその快感を覚えるというものだ。すいませんね簡単に説明しちゃって。ちゃんと名作ですよ。ぜひ読んでみてください。


 この作品では登場人物が椅子になる(正しくは椅子と同化するだが)話であるが、もし私が何かものになるならショルダーバッグになりたい。リュックでもトートでもウエストバッグでもない、ショルダーバッグだ。肩から胸通って腰に抜けるあのバッグだ。


 その理由についてほかのバッグと比較しながら考えていこうと思う。



 鞄のひもを自分の腕だと仮定したとき、トートバッグは腕に絡みついている感じかもしくはシンプルに手を握られて引きずられている状態になる。これだと全く未知の快感を味わうことができない。せっかくカバンになったのにそんなことじゃ困る。

 次にウエストバッグ。これは別れたくなさ過ぎて彼女の腰に泣きついているクソだる彼氏が想像される。「えーん、別れないって言ってよー。僕を置いてかないで―。」だ。せっかくカバンになったのにこんな不甲斐ないことはしたくない。

 次にリュックサック。これになりたい人はいるのではないでしょうか。なんてったって触れている面積がダントツで広い。イメージはあすなろ抱きに近いのか。人間界でこの抱き方を許されるのはキムタクと菅田将暉ぐらいであろう。ではなぜリュックじゃないのか。それは相手の背中と自分の腹との間に隙間がなくて蒸れそうだからだ。特に夏場はカーキ色のTシャツの背中が変色している人をよく見る。これはリュック側も同じなのだ。でもここまで書いてリュックになりたいと思えるシチュエーションを思いついた。それはバスの座席に座るときだ。その時は向かい合わせで座ることができる。これは捨てがたい。しかしそれを凌駕するショルダーバッグの良さ。まずは自分の胸に聞いてみてほしい。

 ショルダーバッグの良さは手が長いことによる自由度の高さであろう。ある人は腰のあたりで。またある人はおしりのあたりまで伸ばして。首のみにかけても新鮮。なんといってもあのなじみ深さ。皆幼稚園や保育園で一度は肩から掛けたであろう。そこからくる何とも言えない安心感。包まれているというぬくもりを感じさせることができる。鞄にとってこれがどれだけの幸せに値するのだろうか。私たちには到底想像できないであろう。これは鞄になった甲斐がある。この幸せを切に感じてみたい。


 まさか人間椅子を読んでの感想がこれだなんて、気味が悪くて仕方がないでしょう。しかしその気味悪さをあれだけポップにそれでいて狂気的に描く人間椅子。ぜひおすすめしたい。


本日も皆さんお疲れさまでした。ありがとうございます。




 個人的に火星の運河という話もとても面白かった。それだけをここに置いておこうと思う。


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