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昔の話。はじまりの日の話。

富士の麓の春は遅い。春の日差しの中に冬が残していった刺すような風が残るそんな季節。
学校は高校受験を乗り越えれば少し業務に余裕が出る。久しぶりに明るいうちに帰ろうとする私を、校長が呼び止めた。
「新しく音楽ができる人が来ますよ」
「ほんとですか!」
それは朗報だった。

私は中高と卓球部に所属していた。足掛け6年やっていた割には熱心だったわけではなく、中学時代は無断欠席をし部活動出席停止を喰らったこともあったし、高校時代は部員が少なく、6人中4人が団体戦レギュラーになれるのに一度も選ばれたことがなかった。ちなみにもう一人の3年間陽の目を見なかった部員は高校に入ってから卓球を始めた初心者だった。そういうわけで、私には部活を熱心にやった思い出はない。そんな私が教師になったところで指導できる部活などあるはずもなく、初任の私は定年直前の、しかも60近くにはとても見えないくらいヨボヨボの吹奏楽部顧問の下で副顧問をやることになった。
ヨボヨボはあっという間に定年退職したが部員からは祖父のように慕われていたため、私がそのまま繰り上がって吹奏楽部の主顧問になった年も外部指導者として指揮者を勤めてくれた。
私は吹奏楽部の顧問でありながらいつまで経っても音符を覚えることもできず、どうしても私が指揮を振らなければいけない場面では「私たちは止まらないんで先生はただ棒を振っててください!大丈夫です!」と部員から励まされる有り様だった。が、当時は生徒との年が近かったこともあって、私は部内では「何でも話せるお姉さん」として確かな需要を得ていた。さほどレベルの高くない、女子ばかりの部活動。人間関係のトラブルは絶えず、私は一向に音楽ができないまま何故か人望だけは厚くなる一方だった。まだクラス担任を持たせてもらえなかった私にとっては、吹奏楽部が唯一自分を必要としてくれる場所に思え、私は彼女たちを溺愛した。ちなみに愛の力を持ってしても私が楽譜を読めるようにはならなかった。

そんな私をよく思わなかったのが、「生徒を想うと、僕のあとを任せられるのは君だけだ。絶対に吹部に残ってもらわなきゃ困る」と言ったはずのヨボヨボだった。彼は私の方が生徒と密になっていくことを嘆いて、部長に「もう僕は必要ないよね…」といったメンヘラ彼女のようなメールを送りつけるまでになっていた。
その他にも外部指導者なのに部費を知らないうちに大量に使い込む等というトラブルもあり、私は主顧問としてヨボヨボに引導を渡すことになってしまったのだった。指揮も振れないのに。
生徒もさすがに、「RONI先生にはいてほしいけど指揮者はどうするの…?」と困惑していた。2年間私と音楽との相性を見極めてきた彼女たちの中に「RONI先生が指揮者になる」というプランは無いようだった。
このような事情があり、この頃の私はどんな業務をしているときでも常に次年度の我が吹奏楽部を憂いていたのだった。
そこに校長からのこの朗報である。私は安堵のあまり校長がかなりオフレコな話をしているのも忘れて自然と声が高くなった。

「まだ詳しくは言えないんですけどね、ずっと音楽をやってきた方が、初任で来てくれます」
初任…。私の浮わついた気持ちにフッと陰がさした。私より若い子が来る。若いから話しやすいというだけで吹部の顧問を指揮も振れないくせに勤めてきた。音楽のできる若い子が来たら、音楽のできない若くもなくなってきた子(私)は要らないんじゃ……?
「えっと、男性ですか?」
せめて男性であってくれ。「何でも話せるお姉さんポジション」を譲りたくないという汚い私欲に囚われて私は校長に踏み込んだ質問をしてしまった。
「それはあの、言えないんですけど、まぁ、男性です」
後日このやり取りを先輩教諭に話したら「だいぶ言っちゃってるじゃん!」と手厳しい突っ込みが飛んできた。
校長には申し訳ないことをしたが、男だということがわかりようやく私は手放しで安堵できた。
しかし、若い男とタッグを組んで仕事をする緊張感が新たにすぐ芽生えた。
当時私は19歳年上の男性と交際していた。それもあって、職場の同年代の男性はどうしても幼く見えて信頼できないという年上彼氏持ちの嫌な女そのものだった。そしてそんな空気が出ているのか、交際相手がいることは伏せていたが同年代の男性教師とは尽く馬が合わなかった。同年代の飲み会も自分だけ誘われないことにすっかり慣れていた。
そんな私が、果たして初任ホヤホヤの男の子と上手くやっていけるのか。
……そして、上手くやって行けすぎたら??気が多いのも私の欠点のひとつである。繰り返すが、私には当時19歳年上の恋人がいた。

そんな、ハラハラドキドキで勝手に心を痛めているうちに、ついに初任者・新任者との顔合わせの日が来た。
会議室で古参が新入りを待ち受けるのがいつものならいである。新入りが入ってくるのを待つ間、隣に座った中年の女性教諭が「あ!」と嬉しそうな声をあげた。
「RONI先生、今日スカート?!かわいい~」
「あ、たまにはと思って!」
私はこの頃、毎日色褪せたUNIQLOのレギパンで出勤していた。しかし、今日は新しい指揮者(新卒の男の子)と初めて会うのだ。第一印象は大事である。繰り返すが、私には当時19歳年上の(以下略)。
スカートに気付かれたバツの悪さで過活動膀胱を起こしそうになりながらも、私はしっかり手元の資料に目を通した。新しい吹奏楽部副顧問の名前をチェックした。うーん、名字も名前もなんか地味。数学?理系か~わかり合えないかもな。そんなことを一瞬にして思いあぐねたが大変失礼な上にわかり合う必要など無い。
程なくして教頭がニューフェイスたちを引き連れて会議室に入場した。
ちょうど私の目の前に、3人の若い男の子が並んだ。距離があるので名札は見えないが、このどれかが新しい副顧問で間違いなさそうだった。
背の高いタレ目の眼鏡と、小柄な筋肉質の眼鏡と、背の高い太い眉毛の眼鏡だった。
そうだなぁ……タレ目か太眉が良いかなぁ……。
いったいどの立場からの希望なのか、3つ並べてどれにしようかなんてポケモンマスターのような気分で3人を見比べていた。
ニューフェイスたちの自己紹介が始まった。私は静かな会議室なのに耳を研ぎ澄ませた。さぁどれ?!どの眼鏡なの?!
……タレ目の眼鏡が、書類で穴が空くほど見つめた名前を名乗った。

会議が終わると、前年度副顧問に付いていてくれた(そして共闘してヨボヨボを追い出した)体育会系の先輩教諭が私の腕をグッとつかんだ。
「ほら!さっそくあの先生に入学式で振ってもらえるか聞こうよ!RONI先生、自分が呼名するのに指揮まで振るのは無理なんだから!」
私はこの春初めて新一年生を担任することが決まっていて、入学式の吹奏楽部の演奏をどう乗りきるのかも課題のひとつだった。
私は就職したての若者にいきなり保護者含め大勢の前で指揮を振らせるのは酷だと思っており(そのくらいの良識はあった)、自分が呼名も指揮もこなす気でいたが、1年間私の下で副顧問をしていた先輩教諭は私と音楽との相性が壊滅的であることを見抜いていた。
私は彼女に強引に手を引かれるまま、退室しかけている新副顧問の前に立ちはだかった。
「はじめまして!吹奏楽顧問のRONIです!」
早口のせいか地声が女にしては低いせいか、新副顧問は私の言葉を聞き取るため「はじめまして◯◯です」といいながら少し屈んだ。私はそのとき初めて、彼はタレ目なのではなく恐ろしく睫毛が長いのだと気づいた。ラクダのような、濃くて下を向いた睫毛がアンニュイな影を落としていた。
私は続けた。
「あの、私この春から1年生の担任をやるので、入学式で指揮が振れなくて。先生いきなりで申し訳ないんですが振っていただけますか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「えっ!」
まさかの二つ返事だった。元副顧問の先輩もさすがに驚いたらしく、
「すごーい!!何の楽器やってたの?!」
と持ち前の金属音のような声で問うた。ラクダは目を伏せたまま、
「中学までホルンで、高校大学ではコントラバスです。大学では指揮も振ってました」
これは……!!本当にすごい人が来た。管楽器も弦楽器もできるの??指揮も??2年かけて楽譜すら読めない私からするとこのラクダはショウヘイオオタニだった。

その後、ラクダとは部活だけでなく学年も担当する部署も同じだとわかった。
学年部の会議では偶然隣に座った。新卒とは聞いていたが、ラクダはとても22、3には見えなかった。目元に影ができるせいか、自分より年といえば年に見えた。
「ラクダ先生は、大学出たてなんですよね?若いな~」
私は白々しく探りを入れた。
「僕、院出てるんです」
なんと……!!管楽器も弦楽器も指揮も出来て院も出てるの?!学歴コンプにまみれた私はこのラクダはもう殿上人だなと小さくため息を付いた。
そして数学のテストでガチ0点を取った頭でザッとラクダの年を計算した。
「あ、じゃあたぶん私と一個しか変わらないですね?」
これは数学教師であるラクダに私も計算くらいできるんですアピールをしたわけではない。社会人なりたてのこの殿上人に、隣に座ったオカッパ眼鏡女も案外若いんですよ、とアピールしたのである。繰り返すが、私には当時19歳年上の(以下略)。
会議が始まると、私はラクダの手元を見て目を疑った。このラクダ、会議の内容を手にメモしている!?しかも小学生みたいな字で?!
「ラクダ先生、メモとか無いんですか?」
「あ、はい」
「よかったらこれどうぞ」
文房具オタクで無限にメモ帳を持っていた私は一枚ラクダの座った机上に差し出した。
「あーありがとうございます」
しかし私まだこのとき、ラクダがハンドメモをカッコいいと思ってやっていることなど知るよしもなかった。ただただ殿上人のオチャメな面を見れて勝手に心が潤っていた。

会議が一通り終わり、私は元副顧問の金属音先輩にご飯に誘われた。
「よかったねー!音楽できる人来て!」
そのときにはもう私は殿上人の放つ清く素朴なオーラとスペックの高さとのギャップにあてられ桃源郷に迷い混んだようなフワフワした気分になっていた。普段職場では色恋のイの字も見せないよう徹底していたはずなのに、気付けば私は
「3人眼鏡の人並んだ中で正直一番タイプでした」
などと合コン初心者のダサい大学生みたいなことを口走っていた。
「えー?RONI先生ああいうのがタイプだったんだー?!彼、一番フェミニンだったよね?」
先輩はキンキンした声で「意外~」と笑った。

次の日は休日だった。
私はこれから始まるラクダ先生とのめくるめく吹奏楽ライフに想いを馳せ、25歳にして初めてコンタクトレンズを買いに出掛けた。
繰り返すが、私は当時(以下略)

それから三ヶ月もしないうちに、私はラクダを家に引きずり込んだ。
19歳年上の恋人に別れを告げ、「今後一生涯、僕の前に現れないでくれ」という呪詛をいただいたのも良い思い出である。
ちなみにこの元恋人とは同じ職場になってしまったのだが、それはまた別のお話……


あの日の軽率な一目惚れが、今隣で繰り返される2つの寝息に繋がっている。
夫が指揮を振っていた交響曲を聴いていたら、突然こんな与太話を綴りたい衝動に駆られた。
あの日、彼の長すぎる濃い睫毛に私が息を飲んだことが、夫にとって幸福に繋がったのかは、わからない。
否、自信がない。
あの瞬間。私の声を聞き取ろうと身を屈めたあの瞬間に、彼の癌患者の夫になるという運命は決まってしまったのだろうか。

2年前の秋の日、母子同室の個室で、生後2日くらいのふにゃふにゃの息子の枕元にスマホを置いた。
息子に産まれて初めて聴かせた音楽は、夫が指揮を振ったコンクール曲を録音したものだった。「鷲が舞うところ」。出会った年のコンクールに演奏したものだった。
その曲の、夫の指揮が好きだった。
未だに音楽の知識がない私は、あれがアクセントだったのかスタッカートだったのかはわからないが、小気味良く、叩き込むように、音を区切っていく姿から目が離せなかった。
その私の視線は、夫にとって、幸せの始まりだったのか、苦難の始まりだったのか。

どんな癌患者も、ただの人。
ありふれた恋をして、ありふれた家族を作っただけなのに。
恋にだらしない女が、社会人なりたての後輩に目を付けた、そんな、どこにでもある、ロマンスにもなれないお話だったのに。
これからの私たちに、幸せが待っていたとしても、不幸が待っていたとしても、もうそれは「ありふれて」くれない。
20代で癌になってしまった稀有な女性と、それを支える健気な家族の物語になってしまうだろう。
そしてその物語は、夫が望んだものなのか?
殿上人だと焦がれた相手を、私は奈落に引きずり下ろしたのではないか……?

夫との過去を振り返るとき、ただの下らない恋愛の先にあったはずのものすら、癌が変えてしまった、と思って眠れなくなる。
……空が白んできた。
癌患者を抱えた家族の一日が、また始まる。

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