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爆進!ウィッグ道④~お呼ばれWedding編~

2021年。
生後4ヶ月の息子を抱え、29歳で乳がんになった2021年。
22年来の友人を、仲違いの末に自死で亡くした2021年。
クソッタレな1年。早く、1日でも早く終わってくれよ…これ以上の災厄を起こす前に。
私は砂時計の砂を焦れったく見つめる子供のように、祈るような思いで師走の一日一日を過ごしていた。
あともう少し…あとほんの少し、という12月29日、教え子からLINEが来た。
「式の日程決まりました!
8/20です!
来てくれますか?」
差出人は、高校2年から付き合い続けた同級生の彼氏と少し前に入籍したばかりのサナ(仮名)だった。保育士をしていて、来年24歳になる。卒業後も仕事の悩みなどで度々連絡をくれ、入籍した日も報告してくれた。そういえば、式に出てほしいとは前々から言われていた。
この病気になってから、8ヶ月後はとんでもなく遠い。車が当たり前に空を飛ぶのを待つような遠さがそこにはある。まして年が明けて2月の終わりには術後1年検診が控えている。もしそこで「何か」見つかったら…?私は8月何をしているんだろう?……私は8月、居るんだろうか。
少しの逡巡。先の予定を立てるのはいつも怖い。でも、それでも。
私は深く息を吐いてスマホを握り直した。
「もちろん!
是非行かせて!」
「もちろん」という言葉で、自分で自分にプレッシャーをかけた。本当に出られるのだろうかという一抹の不安を圧し殺すため、わざとそんな文面にした。友達が少ない私にとって、サナの結婚式は親戚以外で初めて参列する式になる。…最初で最後になるかもしれない。だからこそ、出よう。出なくては。変な動悸がした。
それでもサナのこの慶ばしいお誘いが、自分の爪の先も見えないほど真っ暗闇だった2021年の最後の最後を、少しだけほんのりと照らしてくれた気がした。
そんな感慨も一瞬のこと。私は瞬時に思い出す。
「8月に一日中ウィッグか……」

私は友達が少ない。そんな私が許せないのは、「腹を割って話せる友達が少ない」ことを「友達が少ない」と自虐する連中である。彼らには大抵サークルかなんかで出会った「たまに会ってバカ騒ぎする奴ら」が15人はいる。もしくは会社の同期かなんかの「半年に一回ランチする子」が5人はいる。気の置けない友達の次のランクの友達として、奴らはそういう有象無象を抱えている。自分の犯した恥ずかしい失敗や倫理にもとる行為を赤裸々に話せる友達がもし一人だとしても、休日の予定がバンバン埋まるような奴らは「友達が少ない」に認定することはできない。私は認定しない(ヒガミじゃなく審査が厳正なのだ。公務員だからね)。
私には友達が5人しかいない。そのうち自分の全てを真っ裸同然で打ち明けられるのは4人。そのうち存命なのは3人。そのうち既婚となった今でも会うことが許されている同性は2人。
そう。私はすべてのランクの友達を全員総動員しても本当に5人しか友達がいないのである。一人は鬼籍に入ってしまったので私の友達はついに片手の指より少なくなってしまった。さらに是非会いたいと思う気の置けない友達に絞ると2人。ピースである。peace?平和なもんか。

こんな畳二畳くらいに収まる狭い人間関係で生きている私なので、教師として社会に出た後、これまでの寂しい友人関係を相殺するかのように7つ年下の教え子たちを溺愛した。初任の年と2年目の年は副担任という気楽な立場で、美しいけれど某少年漫画の石の仮面に良く似た、感情を露にするのが苦手な担任の先輩教諭から「嫌われ役は私がやります。RONI先生はこのクラスの優しさを担当してね」と甘やかされていたこともあり、私はどんどん生徒とズブズブになっていった。
特に、2年目に他の同期が担任デビューする中、副担任残留になってしまった私は(同期の中で最年少であり、年功序列だから我慢してねと管理職には説明されたがその実はわからないよネ)、唯一自分が主として任せてもらえた吹奏楽部の3年生と平日も休日も音楽室で駄弁り深い深い絆を築いた(もちろん溜まった仕事の山も築いた)。
今回結婚式に招いてくれたのはそのうちの一人。副部長でクラリネットのサナだった。笑うと目がなくなるほんわかした雰囲気、困ったことがあるとすぐ泣いてしまう脆さがありながら、誰よりストイックに練習する芯の強さがあった。友達関係の悩み、この度めでたく結ばれた野球部の彼キョウ君の惚気など、何でも話してくれた。
他には、成績優秀で人見知りのために一見大人しく見えるが、突然ナダルやオラフの物真似をし始めるひょうきんなパーカッションのマユ。
練習より恋愛第一で嵐のように気分にムラがあり、トラブルメーカーだけど本当は周りのことを思いやる優しさに溢れたフルートのユナ。
遅刻魔で何を考えているかわからないが確かな演奏技術が武器だったバスクラリネットのナナミ。
そして、部長のサックスのサクラがいた。
(ここまでもちろん全員仮名である)

サクラは不思議な生徒だった。ミステリアスということではない。むしろ素直で、良く笑い、礼儀正しく、引き受けたことは責任をもって最後までやり通す優秀な部長だった。その一方で到底手の届きそうもない、学年でも屈指の高身長イケメンへの片想いを打ち明けてくれる可愛い一面もあった。
でも、他の部員が後輩や妹、年下の友達のような存在であったのに対し、サクラは身体が大きいせいか、実年齢以上にしっかりものであるせいか、お母さんのような安心できる存在だった。

そんなサクラとサナが揉めに揉めたことがあった。3年生にとって最後の定期演奏会を控えた初夏だった。
土日もパンパンに練習を入れたいストイックな副部長のサナと、休みがほしいという後輩部員の声も大事にしたい部長のサクラ。他にもサクラの口調がきついとかサナの態度がよそよそしいとか、いろんなこれまでの不満も蓄積されているようで私は昼休みや放課後など全ての時間を割いて双方の話を聞いた。
吹奏楽部員にとって、指揮者の存在は大きい。部活によっては指揮者の鶴の一声で部員が団結することもある。が、残念無念なことに、この部活は顧問である私が指揮者ではないという致命的なハンデを抱えていた。定年退職をし、講師として時々現れる前顧問が指揮者であり、私はただ生徒と仲が良いというだけで音符も読めない吹奏楽顧問をしていた。
本当だったら、音楽を理解する顧問が、部の実力を図って練習日程を決めるはず。しかしそれができない私は、ただ二人の話を聞いて落としどころを探すしかなかった。部員が大事だったからこそ歯がゆかった。
そんな中、サクラの話を聴いていたときのこと。日が延びたはずなのに、外はもう真っ暗で、開け放った窓からは虫と一緒に土の匂いが入ってきていた。私はいつも生徒の相談を受けるときは、他の教員が滅多に来ない教科準備室を使っていた。
その安蛍光灯が妙に明るい2人きりの部屋で、大人に気を遣い、どんなに困っても笑顔で相談してきていたサクラがついに泣き出したのである。サクラは完璧な部長だった。そんなサクラが、「もうイヤです。みんな私が嫌いなんです」と顔を覆って泣いている。サクラじゃない。不甲斐ないのは「鶴の一声」を持たない私。タクトを持てない私。サクラの涙に、ずっと言葉にするのが怖かった本音が漏れた。
「いつもサクラに申し訳ないと思ってる。私が音楽ができれば、サクラが頑張らなくても私がみんなを顧問として引っ張れるのに。ほんとごめんね」
生徒が泣いているときは笑うように決めていた。私は本音を話しつつ、自虐的にフフッと笑うのも忘れなかった。するとそれまで顔を覆っていたサクラが顔を上げ、しっかり私を見据えて言った。
「RONI先生が楽器できるできないを気にしてる子なんていませんよ。みんな先生が吹部の顧問だって認めていますよ」
そう言ってサクラは、涙の水滴で目尻をキラキラさせながらいつもの聖母のような笑顔を見せた。
「……そう?だといいんだけど」
とはにかんだフリをしたけど、慰めているのはこちらなのに私は涙を堪えるので精一杯だった。

そんなみんなが卒業して6年になる。OGになってからも何人かは部活に顔を出してくれたが、それでも4年は会っていない。
その間に私は妻になり母になり癌になり……デブになった。
1年検診をクリアし生の喜び(性ではない)を謳歌していた(つまり好きなものを好きなだけ食べていた)私を、一通の封筒が現実に引き戻したのは6月の終わりごろだった。何の飾りもない真っ白な封筒に、中学生の毛筆のようなダイナミックな字で書かれた宛名。見慣れない美しい鶴の柄の切手。サナの結婚式の招待状だった。
いよいよか。あんなに暗い気持ちで憂慮したのに、私はめでたく生きている。結婚式に出席するのに支障はない……ある二点を除いては。

一点はさっきも書いたように、ものすごく太っているということである。どのくらい太ったかというと、久しぶりにスカートを穿いて外出したら両股がギチギチに擦れてマタ擦れと肉割れで赤黒い痣だらけになったほどである。痣が出たので私も覚醒した肉柱である。(デブの呼吸は浅い)
そしてもうひとつは、ウィッグ選びである。結婚式にしていくようなウィッグが無いのではない。ありすぎるのだ。抗がん剤を終え、派手髪ウィッグで武装することがなくなると、私はベーシックカラーのウィッグ集めに狂った。復職が近づいてきたせいもあり、仕事にしていってもおかしくないウィッグを集めに集めた。ショート、ロング、ストレート、ウェーブ、ブラック、ブラウン等々……。数?日本野鳥の会でも連れてきて。
服はもう、買うしかない。片乳を失ったときにフェミニンな服は全て捨てた(捨ててないとしても罹患前より3サイズもアップしているのでもはや捨てたかどうかは無関係であるが)。
ただ服を買うには、先にウィッグを決めたいという思いがあった。服は好きに選べないが(世に出回っている女性モノの服は8割方入らない)ウィッグなら何でも好きなものを選べるからである(幸い頭囲にはまだ脂肪が及んでいない)。
何でも、とはいえ季節は夏真っ盛りの8月20日である。スキンヘッドだった頃は地肌に3枚の冷えピタを貼って暑さを凌いでいたが、今はもう出来損ないのブロッコリーのような頭をしているためその手は使えない。ロングという選択肢は真っ先に消えた。かといって、ショートだとウナジから天パのせいでアンダーヘアのようになったヘアが見えてしまう。私は肩までの長さのものからいくつか見繕った。一応教員として出席するので色もブラックからブラウンの落ち着いたものに絞った。
まず一つはショコラブラックのボブ。首に向かってスッキリとしたシルエットで、彼女たちが在学していた頃の私の髪型に似ていた。もう一つはブラックの全体が丸みを帯びたボブ。これはかなり気に入っているが夫からDr.ハインリッヒとの評をもらったものである(是非調べてみてほしい)。そして最後に、肩に付かないくらいのダークブラウンのカーリーヘア。肉柱なのでホウレイ線が怪しく弛んでいる私は老けて見える危険性があるためチャレンジ枠である。
さて。私はこれらのウィッグを順番に被り、盛れる角度で写真を撮り、Twitterにアップした。いつかの記事でも書いたが容姿が付いてこないくせに承認欲求だけは読モくらいあるので、どれがいいか意見が欲しい気持ち3割、派手髪以外も意外とイケるんですよとアピールしたい気持ち7割で投稿した。まぁそうは言ってもそこら辺の31歳デブサンいやオバサンの自撮りである。2、3人に意見が貰えれば御の字である。
ところが。来るわ来るわリプライの嵐。皆さんとても親切に3つのうちのどれが好みか思い思いのご意見をくださった。気付くと40件くらいのコメントを貰え、私は返事に追われた。そして更に意外なことに、老けて見えそうだと危惧していたカーリーヘアがダントツで人気だった。私は何度でも言うが友達が少なく親戚以外の結婚式に呼ばれたことがない(5人の友達のうち1人は挙式したが私は呼ばれなかった)ので知らなかったのだが、どうやら結婚式というのは多少華やかにしていった方が良いものらしい。そしてDr.ハインリッヒには1票も入らなかったので夫の審美眼は馬鹿にできないなと反省した。
だが、これでめでたくウィッグが決まった…わけではなかった。皆さんに選んで貰ったカーリーヘアはマイナーなメーカーの安価なもので、どうしても毛質が人形のようだったのだ。つまりウィッグバレの可能性が高い。
私は友達が少ないので(何度でも言うが)乳癌がわかったとき、これまでの生徒たちにもLINEのストーリーと最後に自分が担任したクラスのクラスLINEで報告した。頑張ってね!って言ってもらえる数が友達だけだと少ないし、何より若い彼らに「癌、20代でも来ます」という事実を突きつけて警戒して欲しかった。そういうわけなのでサナたちにウィッグバレするのは何の問題もない。が…いくら公表してるとはいえ、今まで懇意にした学年の生徒全員に個別に連絡したわけではない(それやったら狂気ですよ)。新郎側の野球部OBの面々には私の病気を知らない子もいるだろう。新郎新婦の親族や会社の来賓なんて知らなくて当然だし、年齢が上がってくれば「もしかしてあの人、ウィッグ?じゃあもしかしてあの人……」なんて考えが巡る人も増える。サナの結婚式は、参加者全員が終始サナとキョウの最高に幸せな門出を全力で祝い慶ぶ一時でなければならない。「若い癌患者」なんていう目を背けたくなる不幸な影は落としたくない。……バレちゃダメだよ。
私はこのとき初めて、自分の中でウィッグに求めるものが変わったことに気づいた。今までは、派手であること、奇抜であること、ベーシックカラーだとしても、私が可愛く見えることが大事だった。明らかにウィッグらしいウィッグでも、似合っていれば大歓迎だった。でもサナの結婚式に出るに当たって、初めて「バレないウィッグ」を求めている自分に驚いた。私は溶け込もうとしてる。「癌患者の私」を隠して、「日常を健やかに暮らす人々」の群れに紛れ込もうとしている。今まで無かった心理だ。でも不快ではない。たぶんこうやって徐々に「取り戻していく」のだ。たぶんだけど。
そういうわけで大手2大メーカー(と私が勝手に思っている会社)の少し値が張るシリーズに絞って候補を選び直した。候補者総取っ替えの再選挙である。前回の投稿を参考にストンとしたストレートはやめて毛先や全体に動きのあるものを4つ選んだ。さすがに似たような投稿…しかも自撮り満載の勘違い投稿を2回もしたらアンチコメが来るかもしれないと思いつつ、でも優しい人からの意見だけ参考にすればいっか!という中年に差し掛かった女らしい図々しさで私はまたもや番号を振った自撮りをツイートした。意外とアンチコメが来ることはなく、フォロワーが減ることもなく(ミュートくらいはされたかもしれないが)1回目と同様に皆さん温かいご意見をたくさんくださった。結果、想定していたよりちょっと明るめのブラウンの、ホイップカールとかいうなんとも可愛らしい名前が付いた肩に付かないくらいのカーリーヘアに決まった。ちょっと髪色が明るすぎやしないかと心配したが、育休中だから髪を染めていてもおかしくはないし、私自身が妙な考え(校則で生徒に禁止していることは教師もなるべくやらないべき)に取り憑かれているだけで、この程度の茶髪の教師は居ないでもないからヨシとした。

めでたくウィッグが決まり、ようやく服選びに入った。気付けば結婚式まではあと2週間ないくらいになっていた。
母の「紳士服のお店に売ってるよ」という言葉を真に受けた私は市内のAO◯Iと洋服の青◯を梯子して絶望した。どっかの都会の知事や女優上がりの議員が着てそうな麗しいセットアップはたくさんあるものの、結婚式に出るような所謂カクテルドレスは売られていなかった。仕方なく私は某ファッションセンターの土管のようなシルエットの喪服でサイズだけ確認させてもらった。痣が出現した肉柱ボディである。いったい何号になることかと心配したが意外と13号に収まった。ちなみに全盛期は女子アナが穿くようなフレアスカートにニットをインして着られていたが今となってはそんなスカートはモモを通過できず裂けるだろう。
ネット記事によると13号はLLということなので「ドレス フォーマル LL」をブルー系の色に絞って検索した。選んだウィッグのブラウンには落ち着いたブルーが合うだろうと思ったのである。程無くして「グレイッシュブルー」という夜明け前の空気のようなお上品な色の理想通りのドレスを見つけ、私の衣装選びは幕を閉じた。
そして第二幕が始まった。なんと届いたドレスが和装以上に締め付けが苦しいサイズ感だったのである。某ファッションセンターで着た13号が土管のようなシルエットだったのに対し、こちらはウェストが美しく括れたシルエットだった。ウェストなどない女が偽りのウェストを手に入れようとした結果バチが当たったのである。LLなら軽症のデブよねと思い上がっていた私はカレンダーと通販サイトの返品手続きページとにらめっこしながら3Lのドレスを買い直すハメになった。幸い全く同じ色・デザインのドレスを何故か別ブランドで見つけ事なきを得た。余談だが私のドレスが入りましたツイートは動揺するくらいのいいねを獲得し、世の人のデブへの好奇心の高さが伺い知れる結果となった。

時間との戦いを征し(もっと前から己の肉と戦うべきであったのは言うまでもない)、無事に式前日を迎えた私の心は、驚くほど沈んでいた。担任でもなかったのに教え子の結婚式に呼んでもらえるという光栄、癌治療を乗り越え検診を乗り越え、今のところ癌がない身体で参列できる奇跡。私は恵まれた教師であり、幸運な癌患者である。
しかし私は数少ない友達の中で、息子と同い年の子を持ち新築を建てたばかりの子と、都会で稼ぎの良い男性と結婚したばかりの子とは久しく会えないでる。言うまででもないが、自分に渦巻く妬み嫉みに胸が潰されそうになるからである。明日の式、純白のドレスを着た教え子を目にした瞬間、私の喉元にこんな嫉妬が込み上げたらどうしよう。リップサービスでなく、生徒のことが友達より家族より自分より大事だった。でももし嫉妬してしまったら、私はあの時の私じゃなくなる。私が教師でいる意味は無くなる。どうしようもない人生を転がるように進んできた私の唯一の誇りなのに。
アルプラゾラムを1錠飲み下し、私は無理やり眠った。

会場は知らない若者だらけだった。よく見ればおそらくかつて授業を持った教え子なのだろうが、茶髪で、魚眼レンズで撮ったような体型になった自分を見られる勇気がなくて敢えて誰のこともよく見ないまま待ち合いの椅子まで急いだ。
椅子に座った先客の中に見慣れた大きな身体があった。サクラだった。
「久しぶりー!サクラ~!」
サクラは不思議な生徒だ。誰にも見つからないように歩いてきた私でも、自然と声をかけられる。かけたくなる。
「わー!先生ー!!お久しぶりです!誰かわかりませんでした!!」
はしゃぐサクラの言葉にドキッとしつつ、見慣れた安心感のある笑顔に張り詰めていた気持ちがほぐれた。よく見たらバスクラのナナミも来ていたが、どうやら別のグループの子と話し込んでいるらしかった。しばらくするとフルートのユナとパーカッションのマユが現れた。ユナは私を見るなり昔と変わらぬイタズラな笑顔で「せんせー、オンナになったね!」と軽口を叩いた。オンナ…茶髪だから?デブだから?でもね、ユナ、この茶髪はほんとはね…私は瞬時に乱れ飛んだ思いを全部圧し殺して「ありがと!」と笑ってみせた。今日はサナの、100%しあわせな1日。病気を思わせることは口にしないことに決めていた。

私たち元吹奏楽部はチャペルの新婦側の席の最後列に陣取った。式典で必ず頻尿になる私であるが、実はユナも結婚したばかりであったり、サクラにもマユにも結婚を考える相手ができたりといった話をしているうちに緊張することもなく新郎が入場した。学生時代からスラッとした生徒ではあったが、大人になり逞しくなり、真っ白なタキシードが映える男前に成長していた。
神父が祭壇につき、新郎が登壇し、いよいよサナが入場するときが来た。一同が固唾を飲んで重厚な木製の扉を見つめる。
ギィ、という優しい音と共に、真夏の日差しを背にその日差しよりずっと眩しい真っ白なサナが現れた。称賛のどよめきの中歩き出すサナの姿に、2017年3月1日の記憶が蘇った。卒業式のあの日、生徒退場を見送る中で泣きじゃくりながら退場するサナを見て、私は担任団を差し置いて学年部の誰より早く、そして誰より激しく泣いたのだ。「RONI先生、副担任でこれじゃあ担任やったら大変ですね」と同僚から引き気味に笑われたっけ。でも今日の私は泣かなかった。あの日、深緑のブレザーの袖で涙を拭いながら歩いていた少女は、今、この世の何より白いドレスを着て満面の笑みで歩む大人の女性になった。時の流れの不思議、美しい淑女に成長したサナへの敬意、このときに立ち会えた感謝で、拍手をする手に力がこもった。サナがあんまり幸せそうに笑うから、私も目の前にこんな幸せが在ることが嬉しかった。私はやっぱり、この子たちの「先生」だった。

式が終わり、フラワーシャワーのため中庭に出た。8月の正午の外は、どこもかしこも白とびするくらい眩しく、暑かった。涼しいチャペル内では感じなかった水気を含んだ熱がウィッグの中に籠っていくのを感じた。
色とりどりの造花の花びらが案外キレイに飛ばなくて焦ったり、ブーケをキャッチしたマユをからかったりしながら、私は自分の頬が赤みを差していることを悟っていた。倒れはしないだろうけど、明らかに他の参列者より暑そうに見えるだろう。デブだからってことで気にしないでくれるかな?なんの役にも立たない贅肉がここへ来てカムフラージュとして役に……立たないかなぁ。
中庭で新郎新婦と参列者全員で集合写真を撮った。心の底から、私は高所からレンズを構えるカメラマンに微笑んだが、いつかサナが、この写真に写り込む私を哀しみと共に見返す日が来たらどうしようという暗い妄想が過らないでもなかった。

中庭から披露宴会場に引率される途中、サクラが人と人との間が広く開くのを見計らったようにすぐ脇に飛び込んできた。
「先生、もう体調は大丈夫なんですか?」
誰にも聞こえない低く抑えた声で、でも表情は明るく柔らかにサクラが囁いた。
「あ、うん。もうだいぶ元気!でもコレは地毛じゃないから暑いんだけどね!」
あっ、と思ったときには遅かった。サクラの前では隠していたい言葉が勝手に溢れてしまう。私が深く悔いるより先に自然な間でサクラは言った。
「でも全然ウィッグに見えないですよ!大丈夫です」
そうして私に向けられた満面の笑みは、あの初夏の夜、目尻に涙を光らせて見せた笑顔とまったく同じだった。「みんな先生が吹部の顧問だって認めてますよ」と言ってくれた夜の笑顔だった。
「そう?ならいいんだけど!」
そして私の返事もやっぱり、あの夜と同じだった。
こうして私はまた、混ざっていくのだ。癌を抱えながら、時に隠しながら、列を成して、健やかな人も病める人も笑い合う「日常」に。
サクラの笑顔がそう教えてくれた気がした。

披露宴会場のテーブルはナナミ以外の吹奏楽部メンバーがまとまっていた。ナナミはサナと同じ中学出身なので中学時代の友人の席に割り振られていた。「新婦友人」がぐるりと巡る中に一人だけ「新婦恩師」と書かれた下に私の名があった。「恩師」という言葉にはいつになっても慣れない。何も持たない私を「師」にしてくれたのはこの子たちだ。恩があるのは私の方なのだ。
席に座ると、青で統一された美しいテーブルセットに見とれた。結婚式って…そうか…こんなに豪華なのか……。友達が少ないせいで結婚式経験の浅い私は静かに興奮してカメラを出した。
気付くと私以外のメンバーが席札の裏を見て何か言いながら笑い合っていた。私も自分の氏名が書かれた席札を裏返した。それは新婦であるサナからのメッセージカードになっていた。
解答用紙で、楽譜の端で、小論の練習で、もらった色紙や手紙で散々見たサナの字が、昔と変わらない可愛らしさでギッシリ並んでいた。
『◯◯(旧姓)先生
今日は、出席してくださりありがとうございます。今でもこうして関わることができて本当に嬉しいです!◯◯先生大好きです!!楽しんでいってください』
席札は今の名字なのに、メッセージ内は全て旧姓だった。サナにとって、そしてこの子たちにとって、私は今でもあの頃と変わらない◯◯先生なのだ。たぶん、永遠に。私が私を誇り、愛していた時代の◯◯先生を、彼女たちは今も大事に思ってくれているのだ。みんながメッセージの内容でワイワイ盛り上がっているのに、私は黙って人知れず涙を堪えた。

サナの結婚式は、どこにも哀しみや苦しみがない、幸せと愛だけが溢れた時間だった。
美味しい食事、久しぶりに見る顔。
私の源氏物語を子守唄に寝ていた子が中学で体育を教えていたり、いつも笑顔でバケツいっぱいにボール拾いをしていた子が園長を任されていたり、担任に叱られて目に涙をためてそっぽ向いていた子が2児の母になっていたり。
誰の時計も止まらずに、それぞれ希望に満ちた時を重ねていた。
平凡な人々が平凡に大事な人生をしっかり歩んでいた。
その中に私もいた。
頭にはウィッグが乗っているけれど、毎朝1錠薬を飲んでいるけれど、検査の度にどうしようもなく怯えているけれど、私も私の時計を止めずにここまで来た。平坦ではない道を、平凡な人として。そうして今、やっと還ろうとしている。派手に武装した戦いの日々から、何の変哲もない愛おしい日常へと。
成長した教え子に混ざって笑いながら、「ようやくここまで来たな……」と、やっと一息吐けた気がした。

私の人生が、どこまで続くのかはわからない。やっぱり短いのかもしれないし、案外長いのかもしれない。
でもこの先に残された時間が何年であれ、私は生涯きっとこの日を忘れない。何度でも、命が続く限り、大事な日として思い出す。
眩しい真っ白なハレの日の中で、私もまた、愛おしいケの日々を取り戻そうとしていると気付いた、この夏の日を。







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