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絵本嫌いのママ。もしくは物語る癌患者

職業柄、読書の大切さを説くことが多い私は、たぶん20回くらいしか息子に絵本を読み聴かせたことがない。
来月で4歳になる息子なので、年間5回程度しか読み聴かせていないことになる。何を大袈裟なと思うかもしれないが、大袈裟ではないのだから至らぬ親である。

絵本が、好きではない。いや、苦手である。
教訓めいた展開は素直に受け取れないし、子供の感性を揺さぶろうとするダイナミック過ぎる絵に出くわしたときなどは密かにその大胆さを嫌悪してしまう。
そして、「絵本の読み聞かせ」となると、苦手というよりもはや嫌いである。
「こころ」やら「山月記」やらを音読するのは大好きである。そんなときの聴衆はひどく従順であるか寝ているかなので、私は静まり返った空気の中に朗々と自分の声を響かせることができる。
しかし絵本はそうはいかない。聴衆はたった一人なのに制御不能。こちらが気持ちよく読み上げているのに、結末を知りたいタイミングで容赦なく最後のページをめくる。愉快で笑える場面があれば、いつまでもそこを読むよう強要される。
物語が急に終わるのも、永遠に進まないのも、我慢ならなかった。
本は丁重に扱うものであると信じているのに、目の前で契れんばかりに乱雑に繰られるページを見るのも辛かった。

でも一番は、掘り返したくない痛みに触れる作業だからだと思う。

息子が0歳の頃、黒い背景に原色バリバリの水玉模様やストライプで描かれた動物や果物が賑やかに散らばっているシリーズの絵本をよく読み聞かせていた。
胸にしこりを見つけ、がんセンターを紹介され、MRIやらPET-CTやらの予定がバンバン入り、「私がこの子にママと呼ばれる日は来ないかもしれない」と思いつつ過ごしていた日々も、私は熱心に読み聞かせをしていた。
「ぷるぷる、ぷるるんっ!」
等と読み上げる私の声はふるふると震えた。
息子はとにかく笑う赤ん坊だった。自分がもう死ぬのかもしれないなと思うとき、息子の笑顔は一番に私の心を抉るものだった。
絵本の読み聞かせとは、そうして心を抉られながら、無神経なほど楽しげなオノマトペを延々と吐き出し続ける苦行だった。
いつの間にか、私はよほど元気なときしか絵本を触らなくなった。そしてそんなときはそれほど多くないのであった。

母は私を傷付けてばかりだけど、絵本の読み聞かせだけは熱心だったらしい。
私が愛してやまない言葉の世界の基礎がソコだとしたら、それを与えてやれない私は母以上に毒親なのかもしれない。
そんなことを思いつつ、絵本でできた穴を図鑑や生き物のフィギュアで埋めてきた。
そうして3年。
アンデルセンやグリムを知らない生き物大好き坊主が育った。

息子が幼稚園に入ると同時に私は仕事がものすごく忙しくなった。
息子を寝かし付けてから深夜の3時まで、もしくは息子と寝落ちしてから深夜の3時から、持ち帰り仕事をしなければ回らない毎日。
「息子を早く寝かすこと」
それが私のQOLと翌日のパフォーマンスを握るカギとなった。
それまでは寝かし付けの時間は遊びながら寝落ちするのを待つ時間だった。一緒に歌ったりクイズを出したりじゃれあったりのドンチャン騒ぎ。眠気を誘うどころかどんどん覚醒していく日もあった。
それはそれで楽しく掛け替えのない時間だったが、そうも言っていられない社会の荒波に私は復職2年目で再度巻き込まれていた。

寝かし付けのあり方を変えなければならない。そう思っていた夜のこと。
そうだ、昔話をしよう。私は思い立った。
私の話をする抑揚や声色が泥沼のような眠気を誘うのは実証済みだった。成人するような世代がそうなのだから、もっと小さな息子なら尚更だろう。これは勝ち確である。
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが」
私は朗々と始めた。
が、吉備団子をもらった辺りで、
「お歌うたって!」
と息子が痺れを切らした。
絵本を落ち着いて読む習慣がない子供が、昔話を落ち着いて聞く素養があるわけなかったのだ。
私の桃太郎は何度も何度も猿犬雉に出会い直し、永遠に鬼ヶ島に着くことはなかった。

息子は自分の元々好きなものにしか興味を示せない。絵本に親しんでいないのだから、わけのわからない他人がわけのわからない戦いに出る話など興味が持てるはずがない。
そうして私がたどり着いたのは、息子が川で桃を拾ってきて、桃を切ってみると中から私が出てくるというストーリーだった。
桃から出てきた私は、悪い奴等から逃げるために桃に入っていたと説明し、その話を聞いた息子は義侠心にかられて鬼ヶ島を目指す。その道中で今度はスイカが川を流れてきて、中からは夫が現れる。夫も悪者の襲来を恐れてスイカに隠れていたのだが、息子の勇敢な姿に胸を打たれ共に鬼ヶ島を目指す。鬼ヶ島では息子と夫が大活躍し、我々夫婦は果物に隠れる必要がなくなり、晴れて3人で楽しく暮らす。
……だいたいこんな粗筋だった。
これはヒットした。
その日から、「むかしむかし、おじいさんと……」と言いかけたところで「ちがう!」と遮られるようになり、月から来たのも息子なら枯れ木に花を咲かせるのも息子になった。桃から生まれるのを息子にしなかったのは我ながら謎である。息子を産んだのは桃ではなく私だという潜在的な意地があったのだろうか。

しかし、順調に思われたシン・寝かし付けも、息子が毎日同じストーリー展開に飽きるとクイズ大会の前座に成り下がってしまった。
また、私は私でなるべく元の話を踏襲しなければと思っていたものの、実は意外と私自身が昔話のストーリーを覚えていないことにも気付かされた。
かぐや姫などは、何人男がいて誰から何をもらったのかが曖昧だし、花咲か爺さんは舌切りスズメとマッシュアップ状態だった。
あんなに絵本を読み聞かせてもらい、あんなに自分でも昔話集の雑誌を読み込んでいたはずなのに、「舞姫」の粗筋より思い出せない。
私はもう他人の物語を語るのをやめた。
……そういうと聞こえが良いが、もう適当な話を行き当たりばったりで作ってしまえ、という投げやりな気持ちになっただけである。

こうして私の寝かし付けは、息子から出されたお題を即興でお話にするというイイ加減なくせに頭は使うコスパ悪い代物になった。
ベッドに入ると息子は可愛らしい真ん丸の目で「ママ、はなしして!」とせがむ。「なんのはなし?」と聞くとお題が出てくる。たいていは「虫」である。そして私は、別段過去の時代設定でもないくせに「むかしむかし……」と語り始める。

「むかしむかし、あるところにカブトムシがいました。
カブトムシは真ん丸で大きな身体だったので、速く飛ぶことができません。
ある日、トンボが空をピュンピュン飛んでいるのを見ました。カブトムシは言いました。『いいなぁ、僕もあんなに細かったらあのくらい速く空を飛べるのかなぁ。そうだ、僕もダイエットしよう』
そうしてカブトムシは、その日から甘い甘い樹液を我慢しました。何も食べなくなりました。カブトムシはみるみる痩せていきました。そしてついにトンボと同じように細い身体になりました。
『やった!これで素早く飛べるぞ!』
しかし、カブトムシはご飯を食べていなかったので、飛ぶ力が出ません。細長くなったカブトムシは困ってしまいました。仕方なく地面を這うことにしました。
そこにミミズがやってきました。『こんにちは!君は新しいミミズかい?』と言いました。カブトムシは答えました。『違うよ!僕はカブトムシだよ!』ミミズは大笑いしました。『君がカブトムシ?まさか。カブトムシはもっと真ん丸い身体だよ。なんでそんな嘘つくの。一緒にご飯でも食べよう』
カブトムシは困ってしまいましたが、お腹が空いていたのでミミズについていきました。
しばらくすると『ここがご飯の場所だよ』とミミズが言いました。そこはただの泥塗れの場所でした。『え!これがご飯なの?』『そうだよ。僕たちは土を食べるんだ』そうしてカブトムシも、ミミズと一緒に土を食べることにしました。『うわ、まずい!』土はとても苦く、カブトムシは食べられませんでした。カブトムシは細くニョロニョロになった身体で一生懸命逃げました。そして樹液の木に着きました。カブトムシは本当に久しぶりに樹液を飲みました。『あぁ、なんて美味しいんだろう!』カブトムシはその日から、前と同じように毎日毎日樹液を飲みました。そうしてだんだん元の身体に戻りました。カブトムシは真ん丸の身体になり、やはり速く飛べませんでした。でもカブトムシは『やっぱり樹液はおいしいな!僕はトンボみたいに飛べなくてもいいや!』ととても満足していました。おわり」

この「おわり」に、渾身の「寝なさい」というメッセージを込める。
カブトムシがトンボになろうとする話には、闇雲に見当違いな理想を追うと痛い目を見るぞ、というビターな教訓を込めた。
私はニョロニョロになったカブトムシの気色悪い姿を空想しつつ、今日の話はなかなか上出来だなと常夜灯を見つめながら自己満に浸った。
だからだろうか。
この話を思い付いた夜、私はある事実にも思い当たった。

この物語は、どこにも遺らない。

そりゃそうだ。そもそも私だって今回のものがたまたま気に入っただけで、その他有象無象のお話はほぼ覚えていない。でも、そう、だから、本当に、遺らない。

「子供の頃ね、あなたこんな本が好きだったのよ」
そんなものが息子にはない。
息子が懐かしむ物語は私の中にしかない。
私が「そういえばだいたいこんな話だったよ」と語ってあげられるなら、いい。
でも、そういった懐かしい話……まさに家族の「昔話」を語る時、私はそこに……?
目の前にホログラムでも浮かんでいるかのように、私の脳裏にはハッキリと、「僕の母は僕が小さい頃、手作りのお話をたくさんしてくれたんだ。でも僕ももう思い出せないんだけどね」と何者かに打ち明ける息子の姿が浮かんだ。
口伝とはそういうものだ。そういう、抗いがたい切なさを孕んだものだ。
幼い頃に母を亡くした薄幸の青年は、母が自分に毎晩オリジナルの物語を聴かせてくれたことを思い出す。話を聴いていたときの楽しい気持ちは覚えているが、どんな話だったのかは全く思い出せない。……などという、山田詠美的な村上春樹的な、飄々とした中に影のあるストーリーが浮かぶ。そんなストーリーの主人公に、息子をしたくない。

その夜から、息子の「ママ、はなしして!」が切なく聞こえるようになった。
それと同時に、虫の声が、夜風の音が、秋が、聞こえてきた。
3年半検診はもう1ヶ月後に迫っていた。

問題児の息子が、幼稚園の女の子たちからは「かわいいかわいい」と引っ張り凧なのを見て、小学生から中学生の間にたくさん見てきた「ヤンチャでちょっと顔がかわいくて社交的で時々優しい男子」たちを思い出す。そういう男の子がいつも女の子のヒソヒソ話に登場したことも思い出す。そういう男の子の時折見せる「影」に女の子たちが夢中になるということも。
たまに優しい不良が、実は幼い頃に母を亡くしていて…なんて、使い古されたプロフィール。
そこに息子を当て嵌めるのが怖い。

手垢がつくことのない、でもホコリにはまみれた絵本たち。
あれらは、捨てない限り永遠に残り続ける。何の思い出も思い入れもない骸として、居座り続ける。
息子が目を輝かせ、何度も聴きたがる話は、何の姿かたちも持たず、私の中に生まれては消える。「方丈記」を地で行ってるなと嗤いたくなる。かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

もし私がもっと器用で、もっとエネルギーがあったら、何冊でも手作りの絵本にしたのだろうか?
答えは意外なほど早くノーが出る。
形にしたらしたで、「この本は死んだお袋がね……」と影のある笑顔で語る青年期の息子がチラつく。
だからやっぱり、絵本を読めば良かった。何版でも増刷されて、いつでも、私の存在の有無に左右されずいつでも、Amazonで明日届くような絵本。それを思い出の一冊にできたらよかった。そうすれば、そうすれば……。

何一つ大袈裟に扱わないで済む子育てがしたかった。この4年で何百回何万回と思っている。
小さな些細なことが全てマイノリティになっていく。絵本が嫌いな理由さえ、それを後悔している理由さえ、29歳で癌におかされた珍しい人の珍しい悲劇になってしまう。
こんなお話、望んでなかった。

毎晩息子が「はなしして!」という。
その一夜一夜が確実に次の検査を引き寄せていく。
震えながら読み聞かせたオノマトペが甦る。
ふるふると震える心に、夜はしんしんと更けていく。

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