青は時計と春の色

 ぼくの母校である名古屋大学の講堂,豊田講堂というんですが,日が暮れるとてっぺんの時計が青く光るんですね.これから暗くなっていこうというのに暗色の青というのがそぐわない印象を抱いた一方で,その青は青の中でも何というかくっきりした青で,その色合いはとてもぼくは好きでした.

 よその大学のことはほとんど知らないのですが,名古屋大学という大学は構内を片側2車線の公道が突っ切って東西に二分されていて,地下鉄の駅やバス停も構内にあるものですから,「これから大学に入るんだ」というイメージを抱くタイミングがあまりありません.歩いていたら,バスに乗っていたら,地下鉄の駅を出たらいつの間にかキャンパス内に迷い込んでいた,そんな感じです.

 つまり,門らしい門がないのです.

 入学式の日,スーツ姿のぼくは「ここから大学だ」という気分もなくキャンパスに入り,それから十年以上歩くことになる坂道を上がって講堂の前の広場に出て,そこで初めて「これが大学です」という建物を目の当たりにしたのでした.そう,豊田講堂です.

 刷り込みに例えれば,ぼくにとって名古屋大学とはつまり豊田講堂なのです.

 ぼくが十年を過ごした数学科の建物は,この豊田講堂のわきにあります.講堂を正面から写真にとると,左手に数学科(正確には多元数理研究科)の建物が写ったり写らなかったりする,そんな位置です.キャンパス内を突っ切る公道から豊田講堂へ向かう坂道を上がり,途中で枝分かれして下るとそこに数学科の建物があるわけです.帰りはまた同じ道を戻りますから,朝晩2回は豊田講堂を見ながら通っていたのですね.

 とはいえ,1年生の最初の頃は講義と言えば教養科目ばかりで,数学科の建物に来るのは週に数えるほどです.月曜日の午前中に数学展望(学部1年のこの講義は,大学で受けた「講義」の中では一番印象深いものだったかもしれません)と数学演習の2コマがあるほかは,数学科学生控室で先輩から乱取り(自主ゼミ)をつけてもらうくらいだったでしょうか.

 一通りの日常を過ごし,友達もぽつぽつとできて,ぼくはたまには夕暮れまで大学にいるようになりました.そして,理由はすっかり忘れてしまいましたが,ぼくは早い初夏の風に吹かれながら,夕暮れの講堂を初めて見たのです.

 その青い光はなんとも厳かに,ぼくたちを捉えました.と同時に,ぼくはそのとき「ああ,大学生になったんだ」と思ったのです.もちろん,自分が大学生になったことは頭では分かっていました.しかし,ではいつ大学生になったのかと聞かれると,ぼくの実感としてはその青い光を見たときという気がしてならないのです.

 講堂の時計が青い理由をぼくが知るのはそれから10年以上経ち,青色発光ダイオードにノーベル賞が与えられたときのことでした.初夏のさわやかな風が吹いているうちに,今年も一度青い時計を見たいなあ,と思っています.

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