妻の育った街を,息子と歩いた日(育児日記その5)

 知らなかった街が「知っている街」に変わるのは,一人で歩いたときなのかな.

 ちょっと以前のことになりますが,11月の半ば頃,妻が息子を連れて5日間ほど帰省しました.帰省と言っても同じ県内,車で1時間ちょっと走ればすぐに着いてしまいます.それでも生まれて3か月も帰省しなかったのは,ご承知の通りのコロナ騒ぎで妻の両親からも「帰ってくるな」と言明されていたためです.夏の,いわゆる第2波がちょっと収まったように見え,年末の第3波に襲われる直前の隙間を縫って帰省に至れたのです.ぼくは初日に車で送り届けたあと数学デーin名古屋に参加して自宅に戻り,帰宅前の最後の1泊だけ妻の実家に泊まりました.
(余談ですが,子どもを連れての帰省は荷物の量が倍以上でした.子ども連れで新幹線の距離を帰省する家族は大変ですね)

 社会性に乏しく人様にあまり気を遣えないため(そんな年齢でもないわけですが)まあまあ気ままに過ごしていましたが,そんなぼくでも妻の実家ではそれなりに緊張もします.夕刻過ぎに着いて食事をし,大人4人で眠そうな息子を囲んで世話を焼くと見せかけてつつきまわし,お風呂に入って眠りにつく.普段より多少早かったので,iPadで電子書籍をちょっと読んで眠りにつきました.枕が変わったから眠れないことも,三十路を過ぎてからはほとんどなくなりました.

 朝はだいたい妻の方が早いです.妻の実家でも,それは変わりませんでした.ぼくが目を覚ますと妻は隣におらず,息子は両手を挙げてぐっすり眠っていました.こぶしを振り上げるように顔の横に両手を置いて眠るのは普遍的な現象なんでしょうか.

 一緒に階下に降り,朝ご飯を食べて着替え,すっかりすることがなくなったぼくは,息子を連れて散歩に出ることにしました.

 妻の実家に来たのは何度目でしょう.結婚のあいさつ,引っ越し,妻の兄弟の帰省に合わせてなど,全部合わせても両手で足りそうです.これまでの滞在では,一人で街を歩くこともありませんでした.

 ベビーカーを押し,うつらうつら眠りに落ちそうな息子と話しながら(もちろんぼくが一方的に話していただけですが)街をゆっくり歩きます.『中国嫁日記 ママたいへん編』では「ベビーカーではどこへも行けん!」とも言われていましたが,なかなかどうして,ベビーカーは便利です.

 妻が育った街を,息子と二人だけで,小一時間ほど歩いたでしょうか.風は寒くもなく爽やかで,なんとも楽しい時間でした.そして妻の育った街に少しだけ馴染めた気がしました.これからどんな街を一緒に歩き,どんな景色を一緒に見られるでしょう.息子と一緒に,ぼくの知っている街も増えていくのでしょう.楽しみです.

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